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没頭は、恐怖すら消す

「ネガティブを消すのはポジティブではなく没頭」

大好きなオードリー若林さんの言葉である。
反論の余地なく、全くその通りだと思っている。
ネガティブに呑まれると、自己否定の嵐が続き、止むことがない。
嵐をさっさと収めるには、ネガティブな感情に向き合って、ポジティブなアサーションで消火活動をするより、圧倒的に、マンガや映画や音楽など、好きなものに熱中する方が早い。
あっという間に、忘れ去ることができる。
「そんなの一時しのぎにしかならないじゃないか」
と言いたい人は言えばいい。
人生は、一時しのぎの連続でできている。

ネガティブは、簡単に消せるが、手ごわいのが「恐怖」だ。
「恐怖」はいったん捕まると、増幅する。
背中を這い上がり、じわじわ広がり、気づくと、胸のあたりまで冷たくなっている。
「恐怖」を感じる自分と長く一緒にいると、本当にいろんなことに一歩踏み出せなくなっていく。
もし、ロボトミー手術などで「この感覚だけ遮断してください」とオーダーできるなら、私は私の中から「恐怖」を消し去ってほしい。

そうは言っても、人間は、失意、喪失感、痛みなど、過去に味わった死にたくなるような、もしくは、本当に死ぬかもしれなかった記憶を忘れられないもので、2度とそれにつかまらないように、必死で避けようとする。
「恐怖」は、その信号だ。
その先に進んだら、またあの痛みを味わうことになるんだぞ、と脳が体にブレーキをかけてくるわけだ。
それ、いらんのに、余計なことを。(※個人の感想です)

金城一紀の名作「フライ、ダディ、フライ」の中に、こんなセリフがある。

「どうしてまだ何も起こってないことにビビってんだよ!恐怖は喜びとか悲しみとかと同じで、ただの感覚だぞ!弱っちい感覚に支配されるな!」

金城一紀『フライ,ダディ,フライ』 文庫:p147

映画版「フライ、ダディ、フライ」では、若き日の岡田准一くんが、このセリフを言うのだが、何かにビビって立ち止まりたくなる時、私の頭の中であの声が、何百回再生されたかしれない。
新しいことに挑戦しようとするとき、初めての場所へ行くとき、知らない人に会う時、ビビりの私は、たいてい楽しみよりも恐怖が勝る。
その度、「これは、ただの感覚、実体のない電気信号、だから大丈夫」と、鳥肌の立つ腕をさすりながら、念じてきた。

ブレーキをぶち壊して進まないと、見えない景色や味わえない感情があると知っているから。
単なる感覚のひとつでしかない「恐怖心」を、何とか消し去りたいと強く思う時は、その先が見たい時なのだ。
本心では、立ち止まりたいわけではない。
そんな時にも、役に立つのが「没頭」なのだ。

私は、ひとりで海に出かけ、ひとりで潜っているので、よほど泳ぎに自信があるのだと思われることがあるが、そんなことは全くない。
潜水だって、20秒も続かない。
足のつかない暗い岩場は、今も潜る前はドキドキする。
初めての場所ならなおさらだ。
今日死ぬかもしれないと、いつも思っている。
出かける前は、楽しみでウッキウキというより、憂鬱で「やめとこうかな」と半分思いながら準備をしている。
それでも、海に入って最初の一匹のウミウシを見つけた時に、それらのネガティブな感情や恐怖心が、スッと消えていくのがわかる。
そこからの私は、強い。
ウミウシを探すことに「没頭」してしまうからだ。

潜る上で恐怖は、体をこわばらせ、脳の酸素を消費する邪魔ものでしかない。
しかし、没頭は、恐怖すら消す。
恐怖が消えると、リラックスがうまれ、脳の酸素消費量が減る。
そして、自由と多幸感がやってくる。
私は、ウミウシのおかげで、水中で瞑想しているようなものなのだろう。

没頭は恐怖すら消す。
敦賀にきて学んだ、一番大きな収穫がこれだと思っている。

**連続投稿604日目**

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