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黄砂を見て思ったこと

外に出ると、いつも見えている山が消えていた。
視界が全体的にうすぼんやりと白く濁り、太陽も白い。
懐かしい車粉(しゃふん、と読む。昔、スタッドレスタイヤが義務化される前に、雪国の春に舞っていた、スパイクタイヤがアスファルト道路を削り取った粉のこと)のにおいがする。

黄砂だった。

黄砂は、アジア大陸の最奥部にあるタクラマカン砂漠や、ゴビ砂漠から運ばれやってくる。
毎年、2~3億トンが、風に舞い上がり黄砂になっているそうだ。
そんなに大量の砂を黄砂として供給し続けて、二つの砂漠の砂は、無くならないのだろうか。

調べてみると、タクラマカン砂漠は、東西約1000km、南北約400km、面積はおおよそ324,000㎢というから、日本の本州がすっぽり入るサイズの砂漠だ。

Wikipediaより

本州サイズの巨大な砂場から、風力で砂を無くしてしまおうと思ったら、その作業中にもう一度氷河期がやってきてもおかしくないくらい、時間がかかるだろう。
つまり、私が生きている間に、黄砂が降りやむことは、まずありえない。

想像もつかないほど、果てしない出来事でも、一度数字に変換してみると、終わりが見えてくる。
ロマンを感じるような、悠久の時間経過を必要とする作業であっても、果てがあるとわかると、とたんに現実感が湧く。

毎年、2~3億トンの砂が黄砂となって運び出されるタクラマカン砂漠は、2~3億トンの升を以て計れば、いつ消滅するかは予測できる。
数字に強い人が、常に現実的な思考をするのは、ロマンに逃げられるほどあやふやな世界に生きていないからだろう。

同じ黄砂が飛ぶ世界に生きている私と、その人とでは、視界が違うのである。

**連続投稿434日目**


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