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「死ぬのが怖い」はなし

過去に息子と話したことの記録。
18歳の彼が感じていたことです。

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受験生くりさん、煮詰まると部屋から出て話しに来る。

今日のお話は、「死に向き合う人が、希望を持って生きるには」というテーマ。

なんでまた、そんな深遠な話題なのか、と思ったら、いま現国の授業でやってる題材なんだそうで。

その前に、前提として
昔からくりくんと私の死に対する感覚は全然違う。

くりは、死んで自分の意識が無くなってしまう、ということが怖くて仕方ないらしい。

私は死ぬことより痛いことの方が嫌だし、もし、死んで意識が消えるとしたら、それを怖いと認知する自分もいないんだから、何が怖いのか?と思う。

で、ここからくりの話。

く「でさ。現国の教材ではさ、例えば末期ガンとかで、死と向き合うことを余儀なくされてる人は、今生きてることを喜べば、死ぬことは怖くなくなる、って言うんだよ。これ、全然意味わかんない。死ぬかもしれない時に「今生きてる、わー嬉しい」とか思えるわけないじゃん?」

ぢ「そーだねえ、たしかにわけわからん。それ、正確に「今生きてることを喜べ」って書いてあったの?」

く「うん。」

ぢ「でもさ、死と向き合うって言ったってさ、生き物はいずれ絶対死ぬよねえ?意識してるかどうかの違いだけで、全員もれなく向き合ってるはずだよねえ」

く「うん、だから教科書では、余命宣告された人の話から広げて、「生きてる人全員が、希望を持って生きるためには、どういう考え方をすればいいか」ってことまで書いてて、それが、やっぱり、今を生きてることを喜べ、だったわけよ。」

ぢ「へー。あ。でも、それってこの前話した、猿の話に似てない?(注:余裕があったらコメント欄に書きます)」

く「猿に過去や未来の概念はないって話?」

ぢ「そう。常に今しかないから、後悔も悲観もないって話。」

く「似てるっちゃ、似てるかも。でもさ、今を生きてたら、なんで悲観が消えるの?」

ぢ「うーん、わかんないけどさあ。悲観って、「思ってたのと違うー」ってことかと思ってて。」

く「どーいうこと?」

ぢ「例えば、何かを失うと悲しいってのは、ずーっと続くって思ってるから、それが無くなったときに「思ってたのと違うー」ってなるからではないかと思うのよ。」

く「??」

ぢ「だからさ、すごい大事にしてるものが壊れたりしたときってさ、「それをずーっと先まで手元に置いて愛でて使って、わあ嬉しいなあ」って思える自分が続くと思ってるのに、いきなり断ち切られるから悲しいんだよねえ?」

く「まあ、そうかも。」

ぢ「例えば、弥生時代の稲作が始まったばかりの頃って、お米を作ることで安定した暮らしを想像して、これで安心だ〜、とか思うから、お米を作りはじめたわけじゃん?秋になって収穫できたら、これで春まで食べていけるぞー、って思ってたのがざ、台風で全滅とかなっちゃったら、すっごい悲しくて絶望すると思わない?」

く「だろうねえ。食べるもの無くなっちゃうんだから」

ぢ「それも、「思ってたのと違うー」ってことじゃない?」

く「うんそうかな。」

ぢ「だとしたらさ、その最初の「未来に対する希望」があるから、願いが叶わなかったときに悲観するんじゃない?」

く「期待するからだめなんだ、ってこと?」

ぢ「かなー?と思うけど、どう?」

く「でもさ、大事にしてるものとか、未来永劫一緒にあるとは、あまり思ってないよ。」

ぢ「そりゃ意識しては思わないかもしれないけどさ。でも、大抵のことは急激に変わらないだろうと思って生きてない?例えば、明日突然、帰ってきたら家が消えてるなんて未来を予想して生きてないじゃん?それって、「続く」と思ってることじゃない?」

く「そうかー。」

ぢ「うん、だからさ、今のことしか考えなかったら、悲観しないで済む、ってのは、たぶんあるんだと思う」

く「でも、人間ってどーやったって考えちゃうよね。家は無くならないと思ってるし、親は死なないと思ってるし、その前提すら「期待」と言われちゃうと、考えないのは無理だよね。」

ぢ「まあ、そうだよね」

く「逆にいうと、なんで猿は、先のことを考えないでいられるんだろう?」

ぢ「脳の進化具合とかなんだろうけどもねえ」

く「それ言っちゃうと身もふたもないなー。もうちょっと、心寄りの話で納得できる話は無いの?」

ぢ「うーん。よく知らないからテキトーだよ?」

く「いいよ」

ぢ「マズローの欲求五段階説というのがありまして。」

く「うん」

ぢ「最下位の生存の欲求から、最上位の自己実現の欲求まで、下位のものが満たされると、上位の欲求を満たしたいと願望が移っていく、と。(注:詳しくはググってください。テキトーです)」

く「それで?」

ぢ「これ、人の場合のモデルなんだけど、果たして猿には、こんな階層構造の欲求があるんだろうか?猿は群れに所属した後は、自己実現したいとか、思ってんのか?仲間に一目置かれたいとか、考えてるのか?最下位の生存欲求しかないから、今、そこを満たすことしか望んでないんじゃないか、と。……今、思い付きで言ってますけども。」

く「なるほど。。じゃあ、人も、猿みたいに、生存欲求だけを満たそうと生きていれば、未来に対して期待もせず、悲観もせず生きていけるんじゃないかと?」

ぢ「思いつきのテキトーな説だけど、まあ、そう。なんとなく、今生きてることを喜べ!に繋がらない?」

く「繋がる気もする。でもさ、一度、自己実現の欲求を満たしたい!ってレベルで生きてた人が、生存欲求を満たすだけのレベルで生きられるもの?だって、それって「生きてりゃそれだけでオッケー!(^^)」と思うってことでしょ?」

ぢ「死ぬような目にあったことがないのでわかんないんだけど、福ちゃんはきっと、死んじゃうかもしれないって思ったとき、生きていられたら、それだけでいいって思ってたよね。」

く「うーん、そりゃさあ、生きるか死ぬかのギリギリの瀬戸際では、絶対、生きることを望むでしょう?生きることは生物の本能だよ。」

ぢ「私、死ぬより痛いのが続く方が絶対やだ。」

く「母ちゃんは、どっか、本能が壊れてるんだよ」

ぢ「そうかなあ?他にもいると思うけどなー。生きることを望むのは生物の本能だというのだって、思い込みでしかないのかもよ?くりはなんで、そんなに死ぬのが怖いと思うの?」

く「だって、自分がいなくなるんだよ?この先、世界のどこにも自分がいないんだよ?考えたり感じたりすることができなくなるんだよ?怖くない?」

ぢ「よくわからん」

く「やっぱ変だよ」

ぢ「くりは、自分がなくなることが怖いの?体が消えて無くなることが怖いの?」

く「違う。意識が消えること」

ぢ「意識って具体的に何?」

く「え?」

ぢ「例えば、死ぬことの境界線ってどこにあるんだろうか、と考えない?」

く「??」

ぢ「昏睡状態に陥ってる人は、意識無いよね?でも生きてるよ。これは怖い?」

く「生きてるんだよね、じゃあ怖く無い。戻れる可能性があるなら怖く無い。寝てるのと一緒じゃん。」

ぢ「じゃあ、その人が意識を回復しないまま死んじゃったらさ、どこに境界があるんだと思う?くりにとって、死ぬのが怖いのは、意識がなくなるからなんでしょ?どこからが死んでて、どこからが怖いラインなの?」

く「戻ってこれないことが確定した時点かな。」

ぢ「確定ラインなんて、便宜的に決めてるもんだよ。昔だったら心停止は、「死んでる」ことになってたから、戻ってこれないラインだったけど、今は違うよね?」

く「何がいいたいの?」

ぢ「今は脳死が、戻ってこれないラインとされてて、脳死状態になったら、臓器取り出して移植していいことになってるけど、でも、その臓器が使えるのは、臓器が生きてるからだよね?部分が生きてるのに、全体は死んでるっておかしくない?もしかして、未来では臓器が生きてたら、戻ってこられるラインだよって判定がされるかもしれないよ。脳が死んだら意識が消えるってのも、思い込みだよね。もしかしたら、小腸とかに意識が宿ってるとしたら?」

く「怖い」

ぢ「くりはさ、死んだら意識が消えるっていうけど、その意識って、くりの中では何が消えたことになってるの?」

く「どういう意味?」

ぢ「ある時点で死んだ、と決まるわけじゃん?老衰でも多臓器不全でもなんでもいいんだけど、その、死んだ時点の前後で何が具体的に変わってるんだろう?」

く「だから、意識が消えてるんだよね?」

ぢ「意識が「消える」ってことは「ある」から「消える」んだよね?じゃあ、その「ある」ものは、死んだ時点でどこに消えるの?肉体はある時点で急にオンオフするみたいに死なないよね?ゆっくりゆっくり死んでいく。じゃあ、ある時点で突然消える意識は肉体には依存してない。だとしたら、それは具体的なものではないの?「ある」と言えるものなの?あると言えるものなら、それが「消える」ってどうなることなの?質量保存の法則に照らしたら、あるものは、突然消えないよね?どこかに保存されるはずだよね?雲散霧消って言うけどさ、それだって見えなくなっただけで、細かい粒子としては存在してるはずだよ。だとしたら、意識だって「消えない」で「ある」んじゃないの?」

く「それは、魂、みたいなもののことを言ってるの?」

ぢ「名前はわかんないけど、くりは、科学の範囲内で話す方がわかりやすいんだよね?としたら、今の私の話、どう思った?」

く「……ちょっと安心した」

ぢ「どういうところが?」

く「確定させなくていいところが。」

ぢ「どういう意味?」

く「くりは、いままで、「死んだら意識が消える」って前提でそれを怖がってだけど、「死んでも消えないかもしれない」と思ってていいんだ、と考えたら怖がる必要ないのかもしれないと思った。消えることも、消えないことも証明できない以上、どっちも思い込みでしかない」

ぢ「おお。」

く「母ちゃんと話すのは、学校の授業より、ずっと面白い」

ぢ「それはありがとう。(^^)希望を持って生きていけそう?」

く「まだわからないけど、前よりは。」

ぢ「よかったね」

途中端折ったけど、こんなやりとりがあったのでした。

私は、私で、くりと話すことですごく癒される感じがある。

これは、なんなんだろうね。嬉しいなあ。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。