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アドベントカレンダー12月1日 お題「井上陽水・にんじん」BY苗木さん

「こんにちはー」
アカリが部室のドアを開けると、室内のあらゆる視線がドアと反対の壁際に集中していた。
ちょうど、ヒロシのミニライブが始まるところに来合わせたらしい。

パイプ椅子に腰を下ろしたヒロシは、ギターのボディを軽く指の背で叩きながら
「ワン、ツー、ワンツースリーフォッ」
と、(一人でやるのにそれいる?)という、謎なカウントをとると、気持ちよさそうに歌い出した。

誰も知らない夜明けが明けた時
街の角から素敵なバスが出る

「リバーサイドホテル」

陽水だ。

入部したばかりの一年生女子たちが、うっとりそれを聞いている。
アカリは、またかとうんざりする。

ヒロシは、顔も声も甘い。
ギターだってへたじゃない。
歌にはなんだかオーラがあって、一瞬でその世界に引き込まれる。

そしてここは、JーPOP研の部室だから、別にギターをかき鳴らして歌うやつがいたって、まったくもって構わないのだ。
じゃあ、何にイラついているのか。

それは、ヒロシに群がり陶酔する一年女子たちが、かつての自分を見るようで気色悪かったからだった。
そう、ヒロシは、アカリのかつての恋人だった。

昨年の新歓の舞台で、なぜか自分も新入生のくせに、陽水を熱唱していたヒロシ。
上京したてのアカリには、その姿は、おしゃれでセンスあふれる都会の象徴のようで、たまらなくかっこよく見えた。
よくわからない井上陽水の歌詞だって、ヒロシが歌えば、人類のだれにも解けない数学の難問のようで、凡人には理解できないからこそ価値があるように聞こえた。

目がハートになっているアカリが、ヒロシに落ちるのはあっという間だったし、落ちたアカリがヒロシのチャラさに嫌気がさして、這い上がるのもあっという間だった。
ヒロシは、アカリと付き合っている間も、頻繁にほかの女の子の家に上がり込んでいたのだ。
アカリは許せなかった。
自分だけ見ていてほしかったのに。

夏休み前にフリーに戻ったアカリは、ヒロシがすいすいと要領よく、いろんな女の子たちの間を泳ぎながら、それでも、誰にも恨まれず、先輩たちからもかわいがられているのが不思議でならなかった。
アカリのあとに、ヒロシと付き合った女の子たちは、片手じゃ足りないくらいいたはずなのに、誰もヒロシを悪く言わない。
別れた今も楽しく遊んでいるようだ。
アカリだけが、ヒロシの素行を監視するクラス委員長のように、不真面目な態度にやきもきしていた。

ヒロシは自分の顔と声と歌を餌に、女の子たちから、代返、レポート、テストの過去問をゲットしまくり、なんとか進級したものの、何も学んでいる様子はない。
いったい、自分の将来をどう考えているのだろう。

歓声に我に返ると、ヒロシの歌は終わったようで、部室が拍手に包まれていた。

「あっ、アカリちゃん!」
ヒロシがなれなれしく呼ぶ。
「アカリちゃんは、新歓のステージで何を歌うの?」
「さユりの、ヒロアカのエンディング」
「おお、かっこいいね。俺、ギター弾こうか?」
「キーボードだけでやるからいい」
つっけんどんな物言いに、一年女子たちの間に(あいつ、何様よ?)という空気が広がっていくのがわかる。
「アカリちゃんの鍵盤、すっごくいいもんね。楽しみにしてる」
ポンと軽く肩を叩いたヒロシから、ふわっとスパイスの香りがした。

スパイシーな香水?
いやちがう、もっと軽い。
シナモンと、なにかのような。
そういえば、ヒロシは、付き合っていた時も、いつもスパイスの香りを纏っていたような気がする。
聞いたことなかったけど、カレー好きなのかな?

アカリは気にするのをやめて、楽譜を取り出すと、鍵盤のソロで演奏できるようアレンジを考え始めた。

新歓ライブも無事に終わり、ヒロシは昨年同様、何人もの女の子をとっかえひっかえしているようだったが、やはり、ふられた女の子たちの恨みの声は聞こえてこなかった。

同じサークル内で!
次々と部内恋愛を楽しみながら!
修羅場にもならず!?
サークルクラッシャーと呼ばれてもおかしくないのに?!

アカリは不思議でならなかった。
私だけがヒロシを引きずっているのか?
ほかの女の子たちは、もっと軽々と恋愛を楽しんでいるのだろうか?

そんなアカリの疑問が解ける日が、突然やってきた。
楽譜を買いに街に出たアカリは、ヒロシが女の子二人を連れて歩いているのを見かけ、とっさにあとをつけてしまったのである。
「この時点で、すでに二股してるのに、なんであんなに和気あいあいとしていられるのよ」
アカリは、帽子を深くかぶり直して、三人を見失わないように離れてついていった。

角を曲がった店の前でヒロシの声がする。
「ここ?」
「そう。キャロットケーキが、看板メニューらしいよ」
「昔のイギリスの味を再現してるって、お店のサイトに書いてあったよ」
連れの女の子たちが口々に言いながら入っていく。
(なーんだ。せがまれて、ケーキを食べに来たのか)
緑青の浮いた古びた窓からコッソリ店内を覗くと、カウンターしかないようだ。
(絶対見つかっちゃうよなあ)
アカリは、向かいのコンビニで、雑誌を立ち読みするふりをして三人が出てくるのを待った。

30分ほどで出てきた三人は、なんだか、困ったような顔をしている。
ふたたび尾行しながら会話を聴こうとすると、切れ切れに
「もっと生地がみっちり詰まってて」
「チーズじゃなくてバターがのってるんだよ」
などと、ヒロシが力説する声だけが聞こえた。

(ケーキが食べたかったのは、ヒロシだったってこと?)
アカリはくるりと踵を返し、先ほど三人が入った喫茶店に戻った。
何か、つかみかけている気がした。

「あの。さっきここに、男一人女二人のお客さんが来たでしょう? その男の人が食べていたものと同じものをください」
店主らしい老婦人は、いぶかしそうな顔もせず、キャロットケーキと紅茶を出してくれる。
(いつもヒロシから香っていたのは、この匂いだ!)
くるみやレーズンが見えるキャロットケーキの断面は、ほのかにオレンジがかっていて、数種類のスパイスの香りがした。

「あなたもレシピが知りたいの?」
老婦人がそう言った。
「え?」
「あら、ちがった?ごめんなさいね。先ほどいらした方たちが、昔のイギリスのキャロットケーキのレシピを探してるって言ってたものだから」
「あ。えっと、そうなんです」
話を合わせた方がいいだろうと、とっさに出まかせを言う。

「昔のキャロットケーキなんて、砂糖の代わりにニンジンの甘みを使っていたって言うじゃない。いまどき、そんな甘くないケーキ、誰も食べないもの。作ってるお店は無いと思うわ」
老婦人は、自分のケーキが否定されたようで面白くなかったのだろう、少し不満気だ。

「ははっ、ですよね。でも、これ美味しい。ニンジンってケーキになるんですねえ。野菜なのに」
「ニンジンだけじゃないわよ。根菜って、葉っぱが作った糖分を根っこに貯めてるわけだから、何だって、それなりに糖分が入ってるのよ。ジャガイモだってレンコンだって、すりおろせばケーキになるんじゃないかしら。熱を加えれば、甘みも強くなるし」
「へえ!そうなんですか、知らなかった、さすがです」
老婦人は、まんざらでもなさそうな顔をした。

「それにしてもあの子、すごいわね。東京中のキャロットケーキを食べ歩いているそうよ。幻のケーキを探しているんですって。なんだかワクワクするわよね」
「幻のケーキ?」
「あら、あなた、あの子たちのお友達じゃないの? 話しちゃっていいのかしら?」
「あ。ごめんなさい、私、本当は元カノなんです。付き合ってた時から、何か探してるなって感じてたんですけど、私には何も言ってくれなくて」
「まあ、まあ」

老婦人は、女の子を二人も引き連れてやってきたヒロシの顔を思い出し、私のことを苦労が絶えなかった元カノとして、同情してくれたようだ。
「モテる彼氏を持つと大変よね」

「ええ。それで、幻のケーキって?」
「あの子のご実家、おばあさまが作ったカフェなんですって。イギリスで修業したとかで、小さい頃は、おばあさまの作るキャロットケーキが大好きだったっていってたわ。それで、自分がカフェをつぐんだって思って大きくなったのに、ご両親に反対されて、大学だけは卒業しろって言われてしぶしぶ進学したらしいわよ」
それで、あんなに勉強する気がなさそうだったのか。

「で、おばあさまは、もう、ご高齢だからお店をたたむつもりでいるらしくて、それを、自分が何とかするから、続けさせてくれって、あの子が頑張ってるんですって。お歌がお上手らしくて、お店で歌ったりもしているそうよ」
なるほど、ヒロシが入学当初からプロ級に歌がうまかったのは、昔から、実家のカフェでライブをやっていたからなんだ。
やっとわかった。

「何とかするって言っても、あの人、調理師学校に通ってるわけでもないですし、素人がなんとかできるものなんですか?」
私が尋ねると、老婦人は言った。
「私だって、調理師免許なんて持ってないし、学校に通ったこともないわよ。独学よ。美味しかったら人は来るんじゃない?」
なんだか、真理だ。
きっとそういうものなのだろう。

「それにしても、おばあさま、いじわるよね。せっかくお孫さんが、お店を継ぎたいって言ってくれてるのに、自分が作るキャロットケーキと同じものを再現してみせなさいって、それが条件だって、言ってるんですって」
「それで、同じ味のキャロットケーキを探して、食べ歩きをしてるんですか。自分で工夫して作ってみる方が早いのに」
「そうよねえ。でもご実家で作るわけにもいかないんじゃない? 聞いた限りではご家族はお店を閉めたいみたいだし。キッチンも使わせてもらいにくいんじゃない?」

「あ!」
私が大声を上げたので、老婦人は胸を押さえて、びっくりした、と言った。
「ごめんなさい」
(そっか、私の家には、ろくな調理器具がないから、ケーキなんて作れなかったんだ。だから……)

謎が解けた。
いつもスパイスの香りがするヒロシ。
女の子をとっかえひっかえしているように見えるヒロシ。
でも、誰とも修羅場にならないヒロシ。

付き合ってたんじゃなかったんだ。
キッチンを貸してもらっていたんだ。

頻繁に家に入り浸っているのに、手も出さず、ケーキばっかり焼いてる男なんて、そりゃ、ふられるわよね。
なんだ。
もしかして、私だけだったのかな。
ヒロシがちゃんと付き合った相手って。

私は会計を済ませると、浮かれた足取りで自宅に戻った。
台所の模様替えしよう。
オーブンを買おう。
ボウルもブレンダーも泡だて器も。
あとは、ヒロシと相談しながら、増やしていけばいいや。
きっと、ヒロシはまだ私のことが好きだもんね。

**連続投稿303日目**

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