「ある幸せ」と「ない幸せ」

あと数か月で敦賀を去るのだなあと思うと、この2年余りの出来事を、いろいろ思い出す。

コロナ自粛の真っ最中に、知り合いがひとりもいない環境に行くこと、しかも、飲酒の問題を抱えた夫と10数年ぶりに同居するということ。
明るい要素がほぼゼロの中で始まった、敦賀暮らしだった。
あまり期待はするな、と自分に言い聞かせていたような気がする。
気持ち的には、マイナスからのスタートだった。

ところが、神様は私が敦賀に着いた翌日から「君の選択は、そっちでよかったんだよ」と言わんばかりに盛大な祝福を始める。
毎日、それはそれは見事な夕焼けで、空を覆ってくれたのである。

西にさえぎるものがない我が家のベランダからは、黄色、オレンジ、赤、ピンク、紫と、常にひと色ではない夕焼けが見える。
どこからか天使のラッパが聞こえてきそうな空だ。
光の加減で刻々と変わる風景を、一瞬も見逃したくなくて、夕飯づくりの途中で放り出しては、夢中で空を眺めていた。
そのせいで時々魚を焦がしたけれど、夫は文句も言わず、むしろ頬のあたりに笑顔になりかけた何かを漂わせながら、焦げたところを箸で器用に避けて食べていた。
あれはいいシーンだった。
もしも、夫が先に死んでしまったら、私は、酔って暴れる夫ではなく、あの光景を一番に思い出してあげたい。

「いつか、夕焼けがよく見えるところで暮らしたい」と願ってきた私の望みは、ここ敦賀で叶ったのだった。

また、夏には、自粛中の無人のビーチで、海を満喫できたのも幸せな体験だった。
私は自分が、ここまで海が好きだとは、この年になるまで気づいていなかった。
日本海の、サラサラでべたつかない海水は、シャワーを浴びずにそのまま水着で帰るのに最適で、現地での着替えに時間とお金を費やせずに遊べる。
生き物の豊富な磯では、生命が海から生まれた過程を想像して、いくらでもぼーっとできる。
水深のあるところを泳いでいると、まるで空を飛んでいるようで興奮し、快楽物質が脳内にじわじわ出てくるのがわかる。
クスリも何もなくても、視覚だけで意識がぶっ飛ぶ。

回遊する魚たちの群れ、揺れる海藻、一匹狼の地味な根魚、漂うクラゲ。
ここでも私は、見えるものから目が離せない。
こんなに幸せでいいのかな、と思いながら、せっせとあちこちの海に通っては、ウミウシの写真を撮り、海のおじさんたちと仲良くなった。

さて、上に挙げたのは、私が敦賀で得た幸せだ。
広い空と穏やかな海、私の身の丈サイズにうまくはまった自然が「ある」ことが、大きな幸せの源だった。

が、ここにきて思うのだけれど、敦賀には「ない幸せ」というものが、存在したのである。

それはなにか。

私は敦賀に住んだ2年の間に1度も、あの長い触覚とてらてら光る背中を持つ「G」を見ていなかった。
我が家は、エレベーターすらついていない古い社宅だというのに。
台所も、洗面所も、お風呂も、水回りの配管は一か所に集中していて、外からとても侵入しやすい作りのように見えるのに。
寒いから、というのは、もちろんあるのだろうけれど、それにしては夏のセミの大合唱も、蚊の猛攻も、干した布団についてくるカメムシもちゃんと存在しているのに、なぜ「G」だけがいないのか、説明がつかない。

説明はできないけれど、私はこの2年、彼らがいないというだけで、いきなり心臓が飛び出すようなショックを受けることも、どこかに隠れているはずだという猜疑心で眠れなくなることもなく、実に穏やかに暮らすことができた。
確実に寿命が5年くらい延びたと思う。

冬の寒さや、すぐに氷を降らせる曇天の空は、ずっとメンタルにはよろしくないものだと思っていたけれど、実は、あれが「G」を遠ざけてくれていたのだとすると、敦賀の冬も悪くなかった。
「ない幸せ」を確実に私にもたらしてくれていたと思う。

**連続投稿452日目**

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