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手書きのメリット

いろんな人が手書きの良さを説いている。
目で見ながら手を動かすことが、脳を刺激し良い効果をもたらすのだと説明されることが多い。
曰く、
「記憶の定着が良くなる」
「脳が活性化し、創造性が上がる」
などのメリットがあるらしい。

あとは見返した時の、視認性の良さも挙げられる。
スマホやタブレットなどの小さな画面では、メモ書きしたことの部分しか見えない。
手書きなら紙のサイズの限界まで記録スペースとして使えるので、全体の把握が容易になる。
さらに、大切なポイントにマーカーを引いたり、太字にしたり、付箋を貼ったりと瞬時に強調できるため、要点がわかりやすい。

つまり、手書きのノートやメモは、フルオーダーメイドの自分用教科書を、自分で作っているようなものだということだろう。

私はこれにくわえて、手書き成果物のデコレーションについても言及したい。
写真、イラスト、マスキングテープ、カラフルなペン、色鉛筆などを駆使して、可愛くまとめたノートや手帳は、アート以外の何物でもない。
見た目が可愛いと、それだけで気分が上がる。
ゆえに、何度も見返したくなる。
おかげで、記憶の定着もよくなるに違いない、と個人的には思っている。

さて、私はものすごくメモを取る方だけれど、壊滅的に字が下手なので、後から読み返しても何が書いてあるのか5割はわからない。
メモを取る意味はどの辺にあるのだろうか、といつも思う。
なので余計に、きれいな文字を書ける人や、可愛らしいアウトプットを生み出せる人に憧れる。

手書きの「5年日記」なんて、書ける人が羨ましくてたまらない。
あんな文字だけのシンプルな日記は、自分の手書き文字が好きじゃなければ、絶対に残せないと思うのだ。
仮に私が5年日記を頑張ってつけたとしても、見返した時、その日にあったできごとの懐かしさよりも、文字の汚さにイラつくはずだ。
「ああ、1年前も2年前も3年前も、解読の難しい不思議な筆記体がのたくっている。下手くそめ。肝心なところが読めやしねえ!くぅーっ」
と、破り捨てたくなるのが容易に想像できる。

平安時代の日記文学だって、後世に残ったものは、おそらく内容云々よりも手書き文字の美しい作品だったのではないかと思ったりする。
だって、人に見せられないほど下手くそだったら、死ぬ前に恥ずかしくて自分で燃やしていると思うから。

こう考えてくると、私の場合限定になるが、手書きのメリットは、秘密が絶対に漏洩しないことだと言えそうだ。
下手な暗号よりもずっと堅牢で、破られる心配がない。

……こんな悲しいメリットって、もうメリットとは言えなくない?

**連続投稿765日目**

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