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どうして書くのか?

子どものころから、文章を書くのが好きだった。
絵や音楽や文芸の才能はかけらもなかったし、書くことに才能があるのかと言うと、それも怪しいけれど、書くことは苦痛を感じずに続けることができた、唯一の表現手段だった。

道具もいらず、いつでもどこでもできる、一番簡単なはずの「話す」というコミュニケーションがとにかく苦手で、思ったことの半分も言えない経験ばかりしていた。
だから、他人に伝えるには、書くしかなかったのだと思う。
仲のいい友達や恋人とは、必ず交換日記をしていた。

ライターになるずっと前から、毎日何かしら書き続けてきたし、ライターにならなくても、たぶん、毎日書き続けていただろう。
頭の中にあるものを、全部吐き出したい時、紙の上に文字を並べる以外の方法を持っていなかったからだ。
だたの自己満足な時間ではあったが、書くことは私の便利な道具であり、癒しをもたらすものだった。

ある日、占いを学ぶ知人が、私を占って言った。
「あなたの役割は、拡げることです。有益な考え方を、世の中に広め、多くの人に伝えることが、持って生まれた使命です」
へえ。
なんでも、人の役割は、①生み出す ②拡げる ③継続する ④守って戦う の四つに大別できるのだそうで、大きく分類すれば、私の役割は②だ、ということらしい。
ふーん、じゃあ、話す人か、書く人にならないとできないな、とその時思った。
話すのは無理だから、書くしかないな、と。
怪しいとか、胡散臭いとか、信用ならないとか、全く思わずに、すとん、とそれを受け入れた自分がいたのである。

どんなに「やりたい」と思うことをやっても、しっくりこなくて、だいたい7年周期でやめてしまう私にとって、やりたいわけでも、続けようと思ったわけでもないのに、続いてしまったのが「書くこと」だったから、それが「持って生まれた使命」なら当たり前だな、と思ったのだ。

理屈で考えたら、人類80億のうちの4分の1である。
20億の人たちが、拡げる使命を背負っていることになる。
私が頑張らなくても、誰かがやってくれるんじゃない?という気がしないでもない。
ただ、「何を」の部分が明らかになっていない以上、20億の人たちはきっと、別々の何かを拡げようとしている人たちだ、と考えることもできる。
だとすると、私が拡げなくてはいけないのは、すでに出会っている何かなのだろう。
ぼーっとしていても死んでしまうだけなので、少しずつでもそれを形にしなくてはならない。

……と思いつつ、何を拡げたらいいのか、よくわからずにいるのである。
間に合うのか、これで?

**連続投稿501日目**

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はんだあゆみ
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