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当たり前は変わる

ロシアの軍事専門家である、東大先端科学技術研究センターの小泉悠先生が、何かのWebセミナーの折に、ロシア人の愛すべきところとして、『生きる力の強さ』を挙げていらっしゃった。
ロシアでは、道路わきでエンストしている車のボンネットに頭を突っ込んで直そうとしている人や、簡単な家電品の修理をひょいとこなしてしまう人がたくさんいるらしい。
かの国では、公共も民間も、とにかくサービスというものがあてにできないので、何でも自分でやるしかなく、国民のスキルが日本人よりずっと高いのだ、というお話だったと記憶している。

それを聞きながら、昔は日本にもそういう人たちが、当たり前にいたなあ、と思い出していた。
私の父親世代の男の人なら、簡単な大工仕事程度のことは、みんな身に着けていたように思う。
ちょっとした家の修繕をわざわざ業者さんに頼むことはなかったし、台風の後など、どこの家でも男の人が屋根に上がって、雨漏り個所を治す光景が普通に見られた。
それに、車のエンジン回りの構造も、今よりずっと単純だったので、素人でも直せることが多かったのだろう。
自転車のパンク修理なんて、近くに自転車屋がなかったのもあって、みんな家でやっていた。
どこの家でも、使えるものは、とことん修理して使い倒していたのである。

小泉先生が心惹かれた『ロシア人の生きる力の強さ』とは、貧乏故に、身につけざるを得なかった類のものなのではないかと想像する。
小泉先生と私は20歳くらい年が離れているので、おそらく、そういう一世代前の日本人を見たことがないのだろう。
知っていれば、ロシア人の特性ではなく、貧しくてサービスの悪い国の民なら、当たり前に身に着けていたものだと、ことさら感銘を受けることもなかったのだろうと思う。

さて、そんな昔の「壊れるまで使ってこそ正義」の時代に、幼少期を過ごしておきながら、私はいつの間にか「壊れたらさっさと買い替える」という消費姿勢を身に着けてしまっていたのだなあ、と改めて思うことがあった。
釣竿の話である。

先日、釣りに行った時に、コンパクトロッドの先端を、木に引っ掛けて折ってしまった。
コンパクトロッドとは、分割された竿が入れ子状になって格納された、振り出し式の釣竿である。
折れた先端部分は細いため、瞬間接着剤でくっつけても、すぐにまた折れそうだ。
ほかの部分は無事なのに、こんな細いパーツがちょっと欠けただけでもう使えないなんて、と自分の不注意が悲しかった。
それでも、釣り竿がないことには、これからの釣りシーズンが楽しめない。
「新しい竿を買わなくては」と、とぼとぼと師匠のいる三水釣具店に向かったのだった。

店のドアを抜け、釣り竿コーナーに向かう私のリュックからは、折れた竿が覗いている。
それに気づいた師匠は
「折れとるやん?」
と声をかけてくれた。
「そうなんです。新しいの買わなくちゃと思って」
私がそう言いながら、リュックを降ろすと、師匠は
「なんで、買うの? 直して使いや?」
と不思議そうに言った。
新調しなくてならないものと、決めつけていた私は驚いた。
「直せるんですか?!」
「直せるよ。人が作ったもんで、人が直せないもんはないやろ?」
そう言いながら、師匠は、てきぱきと私の愛竿を直してくれたのだった。

折れた先端から、ガイドをとり外すために、ライターであぶっていたのが、とくに印象的で目に焼き付いている。
「こうすると、接着剤が解けて外れやすくなる」
師匠が言いながら引っ張ると、本当にガイドはするりと抜けた。
そして、折れ残った穂先の竿を少し削って、太さを調節し、先ほどの外したガイドをつけ替えた。
その過程は、不器用な私でも十分にできそうに見えた。
それなのに、私は直して使うということが、頭をかすめもしなかったのだ。

「直すにはどうしたらいいだろうか?」という問いより、
「新しく買ったらいくらするだろう?」という問いが先に来てしまっていた。

生きる力よ、どこへ行った?

私はこれまで、いろんな家具や家電の修理をお願いしてきたと思う。
そして、修理依頼をすると、2回に1回は
「これはもう、部品を作ってないんですよ。買い替えですね」
「このパーツを取り換えるだけで、数万かかりますよ。買った方がお得です」
「古い型なので、もう修理できる職人がいないんですよ。買ってください」
などの言葉を受け取ってきた。
そうやって「壊れたら直せない」という新しい「当たり前」を自分の中にインストールしてきてしまったのだ。

チョロすぎるにもほどがある。
この「当たり前」は、アンインストールすべきものだ。
師匠も言った。
「人が作ったもので、人が直せないものはない」のだ、と。
今後は、何かが壊れても、まずはよく観察して、どうやったら直せるかを考える癖をつけようと思う。

**連続投稿435日目**


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