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1人でできることが、そんなに偉いと思うなよ

さて、先ほどの続きというか、裏話。

私は熊谷晋一郎先生の「自立は、依存先を増やすこと、希望は、絶望を分かち合うこと」という言葉が大好き。
とくに前半の「自立は、依存先を増やすこと」というのは、なんでも、1人で突っ走ってやりたくなってしまう自分への、戒めの言葉として脳に刻みつけている。

1人でなんとかできることなんて、そんなにないし、どちらかというと「自分が頑張ればいいのだから」と思い詰めると、事態は悪化の一途を辿り、手遅れになることもある。
特に子育て中はそうだった。

第一子が生まれた時、夫はそれはそれは喜び、
「この子には、俺が持っている知識と知恵の全てを授け世界一幸せにしてやる」
と言っていた。
素晴らしいお父さんである。

けれど、それは裏を返せば
「俺以外のバカなやつらから、妙な洗脳など受けることのないよう、純粋培養で育てるのだ」
と宣言していたわけで、子育てに他者が絡んでくることが、とにかく嫌だったのだろうということには、後から気づいた。

今思えば、なぜ最初からわざわざ茨の道を選んだのかと思うのだが、私は、生まれた赤子に「布おむつ」を使っていた。
それで、仕事から戻った夫は、おむつを洗って干すことが日課になった。
新生児の使うおむつの量は、それはそれはすごい枚数だ。
張り切ってそれらを洗いながら
「今、俺、生きてるって感じがするなあ!」
と、夫は言った。

その陰で私は、産後の鬱と不眠に苦しみ、発狂しそうになっており、
「今、私、死んでるって感じがするなあ」
と思っていた。
いや実際、瀕死だった。
何を食べても味がしないし、何もしてないのに勝手に涙が出てくる。
会陰切開の後は痛むし、乳首はちぎれそうに肉が見え、血が滲んでいる。
体はズタボロ、心はマタニティブルー以外の何物でもない。

夫が、布おむつを嬉しそうに洗っているこの時間に、少しでも私を寝かせて欲しかったし、こんなゾンビのような嫁の状態を見ながら、なぜプロのベビーシッターを探してこようとか、行政の支援を探そうとか、思いつかないのだろうかと、不思議に思っていた。

後に夫は、こう言ったことがある。
「娘は俺の血を分けた家族だが、お前は他人だからな」
と。

なるほど、他人だから後回しにされていたのか。

そうして一月も経たないうちに音を上げた私は、紙おむつの利用と、しばらくの間、昼間だけでも寝かせてもらえるよう、誰かに来てもらうことを夫に提案した。

その時の夫のセリフがこちらである。

「俺は仕事もしながら、すごく頑張って育児もしている。初めての子だから2人だけで育ててみたかった。お前がこんなに根性のないやつだとは思わなかった。残念だ」

ちなみに、彼は、夜中の育児を代わってくれたことは一度もない。
夜はたいてい酔っ払って寝ていた。
赤子を抱っこしていても、泣き出すと
「ママがいいんだって」
と寄越してくる。
夜泣きがひどかった2月に
「うるせえ!眠れない!」
と怒鳴りつけられ、寒風吹き付けるベランダで子どもを抱いて泣いたこともある。
つまり、最も過酷な赤子の新生児期に、彼が張り切ってやっていたのは、布おむつを洗うことだけだと私は記憶しているのである。

それで「すごく頑張って育児してきたのに」とはよく言えたものだなと思う。
さすが36時間の陣痛(家で耐えていた頃からカウントするともっと長い)の後に、赤子を産み落とした私に
「俺ならもっと上手く産めた」
と言い放った男は違う。

これらの事実から、何が言いたいかというと、彼にとっての自立とは
「自分だけの力で完璧にこなすことであり、他人の手など借りてはいけない」
のである。
なぜなら
「人にはそれができる能力があるし、たいていのことは努力と根性で乗り越えられるはず」
だから。
つまり、「自助努力」をとても重視しているのだろう。

で、話題はここから、やっと本題の「裏話」に移行するのだけれど。

夫は昨夜、私が、市内のボランティアさんを探したのがとても、気に食わなかったらしい。
娘と話してOS-1ゼリーが必要だとわかったなら、なぜまず俺に頼らない?と言うのである。

いや、だってあなたは、膝をやっちゃった濃厚接触者でしょうに。
そんな人に、どこに売ってるのかもわからないものを、買ってこいとは言えない。
何軒はしごすることになるかわからないし、夜中に雪の積もる滑りやすい道を歩いて、さらに大怪我して、帰れなくなることだってあるだろう。
何より敦賀は、多世代同居が多いと聞く。
どこのコンビニ、どこのドラッグストアの店員さんも、みな、家族に重症化リスクの高い、お年寄りを抱えていると思った方がいい。
それを相変わらず、派手なくしゃみをしまくっている夫に行かせるのは、いくらなんでも許してはいけないだろう。

いや、わかってはいるのだ。
彼が言ってるのは、「頼りにされなかった寂しさ」の問題であり、まず「こういう情報が届いたよ」と報告し、現実的な話は、その後すればよかったのだろう。

けれど、他人を頼りたくない、他人に家庭を覗かせたくない夫に相談すれば、確実に「俺が行く」となるだろうことは目に見えていた。
「1人でできるぼくちん、えらい?」の人だから。

ちょっと今はまだ、喧嘩できるだけの元気がないので、夫とやり合うのは避けたいけれど、私の体力が回復したら、ここを徹底的に話し合って、詰めたいと思っている。
これから歳をとったら、どうしたって「1人でできるもん!」は無理になっていく。
自助努力だけでは限界が来るのだ。
その時、周りに頼るスキルというのは、実際、とても大切なことではないかと思う。

上手く周りに頼れる人になってくれないと、私が困る。

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