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私が見つけた、って思っていればいい

しばらく前に、海を探検していて、洞窟を見つけた話を書いた。

エントリーポイントから400mくらい泳げば行けるところだし、船釣りの人たちには、以前から知られていたところなのだと思う。
海の上からなら、丸見えだし。
けれど私は、一人で海を泳いで、未知の世界を探検し、波に削られてできた洞窟に、偶然たどり着くことができたので、すっかり興奮して「発見」した気分になっていた。

ところがである。

昨日、洞窟の先はどうなっているのだろうかと、またまた泳いで出かけてみたところ、なんと、洞窟のある入江に、クルーザーが泊まっていた。
そして、クルーザーの持ち主っぽい、いかにも海の男なおじいちゃんが、周囲に目を光らせている背後で、おそらくお孫さんだと思われる、二人の小さな女の子が、浮き輪でぱちゃぱちゃ遊んでいた。

この、がっかり感、伝わるだろうか。

いや、地元の方が、ずっと前から知っているお楽しみスポットを、たまにしか会えない(のかどうか知らないけれど)お孫さんに見せてやろうと、船を出して遊んでいたという、そのことについては何の問題もない。
むしろ、ほほえましい。
ステキなおじいちゃんがいて、うらやましい。
ナイスな光景だ。

引っかかっているのは、そこではなく。
小さな女の子が浮き輪で遊べるようなところを、「探検」した気分になり、クルーザーで乗り付けられるような、誰でもアクセスできる入り江の洞窟を「発見」したと思っていた私の高揚した気持ちの問題だ。
膨らんだ心から、ぺしょっと音がして、何かが抜けてしぼんでしまった。
かなり、しょんぼり。

それでも大好きな場所には違いないし、きっとまた行くのだけれど、「私だけが知っている秘密の場所」感は、浮き輪を見た時、一気に消し飛んだ。
あまりに自己中で、めちゃくちゃな言いがかりだとわかっているけれど、できれば、誰にも会いたくなかった。

こういうことって、文章を書いていてもよくある。

『すごい発見をした!』と思って、長文を一生懸命書いて公開しても、人間の考えることって、だいたい似たり寄ったりなのだ。
どこかで、誰かが、もっとうまい言い回しで、もっと簡潔に、もっと伝わりやすく書いていることなんて、いくらでもある。
まったくオリジナルじゃないし、発見はひとつもない。

特に何かを極めようと思って生きているわけではなく、ごく普通に暮らしている私が、人類の未踏の地を踏みしめたりできるわけがないのだ。

そんな当たり前なことを、思い知って凹んでいたら、夫が言った。

「俺は小学生のころ、$${a^2-b^2= (a-b)(a+b)}$$を自分で見つけて『俺は天才か』と、自分をほめちぎっていたぞ。高校で公式として習っても、やっぱり自分で見つけた喜びは、変わらなかった。独力で、というのは遠回りだし、無駄足だったりすることも多いのだけれど、自分がその時の喜びを知ってれば、それでいいんじゃないのか?」

そうか。そうだね。
何も、人類に貢献する発見をしたいわけじゃない。
私が知っていればいいのか。

星の王子様の「バラ」みたいなものなんだな、きっと。

**連続投稿169日目**


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