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[明石昌夫]突出した才能が無い場合

前世と才能についてのお話をYoutubeでお聞きしましたが、やりたいものが向いているかわからなくても、続けた方が良いのでしょうか?プロになれるほど才能や適性がそもそもないのか、ただ努力と言われるような行動が足りないだけなのかわからない状態です。それとも理想を諦めて単に自分の天職のようなものを探すべきなんでしょうか?これらの判断方法についてのお考えアドバイスをいただきたいです。突出した才能が無く音楽や芸能を目指す方は、このような悩みを持たれる方が多いのではないのでしょうか?私もその一人です。

僕も20代の頃でもその売商ミュージシャン行った頃も、お正月に温泉に行ってそこのバンドの仕事みたいなのをやったりするんですよ。その時にドラムが菅沼孝三だったりするんですけども。そこで司会者の人っていうのは占い師の人で、その人に自分たちの名前を姓名判断してもらって、じゃあ僕のこの名前って向いてますかって真剣に聞いてました、僕。その時に言われたのが、あなたのこの昌夫の昌っていうのは、これは遠藤実が長年探し求めていた芸能にめちゃくちゃ向いてる字なんで、だから千昌夫とか森昌子っていう自分の一番一押しの人にこの名前をつけたからめちゃくちゃ向いてますよって言われて。へえって言いながらまだ全然信用できなかったっていう。

僕もそうでした本当に。結局は諦めれなかっただけなんですよね。結局そういう音楽とかそういうのって、資格があるわけでもないし定年があるわけでもないし、辞めるときに自分で辞めるわけだし。結局は究極を言うと、やりたいものが向いてるかどうか分からないっていうのは、それは向いてようが向いてまいが、結局なんで向いてるかどうかっていうのを考えるかどうか。向いてるかどうかってことをやるのが効率がいいって、そういうふうなこう今の資本主義のシステムの洗脳なんですよね、そうやって。結局はやりたいものはやればいいんですよ。でそれで別に結果が出なくても、やってて楽しければやってればいいわけだし。結果が出ないと嫌な人は、なんで結果が出ないと嫌なんだろうっていうことじゃないですか。そうするとそこで承認欲求の問題なのか、世の中の常識なのか、親からボロカス言われるのかわかんないですけども。人にマウントをとりたいと思うか、バカにされたくないか、そういうふうなところをすごい一生懸命、なんでこういう気持ちになるんだ、なんで向いてるか向いてないかっていうこと自体が気になるのかとかね。そうすると向いてると楽にこれが実現できるとか。結局は楽に結果を自分は求めようとしてるなみたいな、そういうところが、みんなそうだとは思うんですけどね。僕の理論で言うと、そういうふうないろんな失敗を重ねることによって、自分が成長するっていうのが人生の目的なんで。そうするともうそれって本末全倒な感じなんですよね。特にその音楽っていうのはその確率的にやっぱ食える確率が少ないっていうのがあって、だいたい食えるか食えないかっていうところで、人生を判断するってこと自体も全然違うと思うんですけども。そんな感じです。

だから向いてるか向いてないかわからなくても続けた方が良いって、ここの続けた方がいいってのも、ここもちょっとなかなか微妙な部分があってですね。始めたことは続けないといけないっていう、そういうまたクソな常識がありましてですね。僕の理論から言うと、やったことないことはとりあえず一回やると。それで楽しければラッキーだし、やりたいくないとか、つまんないとか、嫌だとか、わけわかんないとか、そういうのは即刻やめた方がいいです。もう時間の無駄です。それは頑張るだけ。とりあえず頑張らない。頑張るってことはある種、頑張るってことはやりたくないから頑張るわけでしょ。やりたいことは頑張らなくていいから。その頑張るとか努力するっていうのは、何回か言ってますけども。傍から見て頑張ったり努力してるっていうのはいいんですけど。自分が頑張ったり努力してダメなんですよ。そうすると時間の無駄で効果はないし結果は出ないし自分は大変だしっていうので、何にもなんないですよね。それで得られることというのはやりたくないことをやると、効果がないなってことに気がつくみたいな。それも大事なんですけどね。なんですけど結局はそういうことなんですよね。でも世の中はそれで頑張らないといけないっていうそういうふうな常識があるから。なんで何回も何回も頑張って、これは頑張りが足りないんだって、それもありますよね。

プロになれるほどの才能や適性がそもそもないのか。ここの部分っていうのは適性や才能っていうのはそれは前世の回数ですから、今世はプロになれなくても来世はだいぶ進んでるところから始まりますから。だからその今世で、20代ぐらいでやめてしまえばそこまでのスキルなんで、そこから来世は始まるし。それがもうずっと一生続けていればそれなりに進むじゃないですか。そうすると次に来世に生まれた時はそこが生まれた時の才能なんで。そうするとこれは天才だってなるわけですよ。なんでそういうふうな感じって考えると、そもそも適性や才能がないというよりは、才能や適性を今ベーシックを作ってるんだっていう考え方。そうすると楽しいじゃないですか。しかももう余命宣告とかされても、そこまでやりたいことをずっとやっていれば無駄には絶対にならなくて。それは今世では結果は出ないですけども。別に結果を出すことがその目的ではないんで。でも今のこの資本主義のシステムは結果を出すっていうところが、もう一番大事だってことになってるじゃないですか。なんですけども結局はその結果を出すっていうのと、そのあなたの幸せっていうのは全くリンクしてないんで。結果が出ても幸せに思えるパターンもあるし。でもこんなもんなのかと思うパターンも当然あるし。虚しいなと思う時もあるし。いろいろあるんですよね。それもそうやって虚しいとか、思うことも体験するってことがやっぱ自分の成長になったりもする。とりあえずなんでもいいですよ。結局はそういう正解がないとか、どうすべきだっていうのも、その努力と言われるような行動が足りないっていうのも、それも努力って思うんだったらやめたほうがいいです、即刻。理想を諦めて。ただ理想っていうのも、自分の難しいとこなんですけども。

例えば稲葉さんの歌に憧れてボーカリストをやりますと。で同じような歌い方をします。なんですけども、稲葉さんの声って稲葉さんしか出ないんですよ。あの人はああいう声を出そうと思って出してんじゃなくて、あの声しか出ないんですよ。あれ大きい声に聞こえますけど大きくないんですよ。なんだけどあれを真似してあんな声を出そうとすると、大きい声出さないと出ないんですよね。それがたまたま大きい声出さなくてもそんな声が出るのが、WANDSの上杉くんだったりするわけで。1000人に1人とか1万人に1人のパターンなんですよね。なんでそうやって憧れて一生懸命やってる人達っていうのは、結局そういう他人になろうとしてもダメなんですよね。あとは自分の理想を他人に求めるっていうのは悲劇の元です。絶対無理です、それは。似たようなものにはなれるかもしれないんですけども。

本当にそこは自分の天職っていうのかな。天職っていうのもやってて楽しいことが天職だと思うんですよね。こうやって僕はYoutubeで喋ってるのも好きだから天職だし、学校で教えてるのも好きだし、ライブやるのも好きだし、アレンジするのも好きだし、ミックスするのも好きだし、いろいろわけのわからないか考えるのも好きだし、ずっとスマホでゲームするのも大好きだし、もう僕いつもゲームをしながら人生感じてますから、みたいなのもあるんで。この辺の判断の方法ね。判断の方法はやりたいことはやって、やりたくないことはやらない。でやりたいことがいっぱいあったら、その時の気分でやりたいことをやたらこうずっとやるんですよ。それが一番良かったりします。こっから1ヶ月はこれをに専念するとかね。絶対決めない方がいいから。僕はそれをお薦めします。こういうふうに言う人、ほとんど学校にはいないですけど、先生にはね。なんだけど僕はそういうふうなことはすごくあります。そういうふうな価値観とか判断とか人生観とか、そういうものが僕のYoutubeのチャンネルの中には底辺にあるんですけども。その辺を感じていただければ嬉しいなって、もうそれが本当に僕の一番の伝えたいこと。僕が65年間生きててやっと見つけた、こう人生たるものみたいなものを、僕なりのね。そういうのに共感していただけて、それでみんなが楽になったり幸せになったりすると、それ以上の幸せはないですっていうのがこのチャンネルの主旨です。みたいな話までできて、どうもありがとうございます。

Akashi Masao Official
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