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大学受験失敗記 現役編

今回は私の暗黒(だがしかし青春)の大学受験期3年間について書きたい。しかし、3年もかけたためとにかく内容量が多い。そのため、1年ずつ3回に分けて書いていこうと思う。
ちなみに結果だけ書くと、現役で私は第一志望~第五志望まで落ち、第六志望だった関西の大学(いわゆる関関同立)に進学、その後大学に通いながら2年間受験したがそれも全落ちした大学受験「失敗組」に分類される。

背景

私は推薦で偏差値65(ネット調べ)の私立高校に入学した。中学校がかなりのヤンキー校だったため、中学時代は相対的に勉強が出来る方だった。しかし、高校受験から逃げて大して行きたくもない高校に入学し、高校1年1学期期末テストでクラス37人中35位となり、挫折を知った。ド文系なため数学と物理基礎は万年クラスビリ。しかし高2の夏に(いろいろあって)早稲田大学に一目惚れし、私立文系3教科に絞って受験勉強を開始。

高3春

コロナで学校が完全に休校となったため、4月から東進衛星予備校に通わせてもらう。英語メインで現文古文も1授業ずつ受講。感染対策で自習室の開放時間は短かったけど週4くらいで通いながらゆるゆる勉強。4月の共通テスト模試(本番レベル)の日本史で29点をたたき出し、本気で焦る。言い訳をすると、学校では日本史を江戸後期までしか習っていなかったのだ。しかし今振り返るとこの時もっと本気でやっておくべきだった。

高3夏

学校が再開し、本格的に受験生活が始まる。このころは定期テストで受験に使う3教科はクラスで5番以内には入るようになってきた。私の高校は3年生でも文理以外に区別されることは無いから数学や生物基礎など全く必要のない科目も受けさせられる。これらは赤点を回避し、卒業できればいいというレベルで勉強していた。
夏休みは週5~6で東進。自分にとんでもなく甘いから必ず週1の休みは設けていた。受験生である自分に酔っていた節があり、勉強した気になっていたがこのころは1日6時間やれば万歳レベルだった。本当に何をしているんだ。

春よりは成績向上
第一志望は万年E判定

高3秋

本気で病んだ秋。これ以上の鬱はないレベルに心も体もおかしかった。
まず、英検の点数が37点足りなくて、第2志望だった青学総文の受験資格に満たず、受験を諦めた。このころは英語がめちゃくちゃ楽しくて英検も絶対上手くいったと思っていたからこそ辛かった。東進の担任にめちゃくちゃ慰められたのを今でも鮮明に思い出せる。
次に、時間のなさを自覚し、本気で焦り始める。やっとちゃんと勉強し始めた。クラスメイトの3分の2以上はこの時点で付属校もしくは指定校で推薦合格をしており、クラスメイトの合格報告に何度イラついたか分からない。しかも私のクラスは選抜クラスではなく一般クラスだったため、クラスの雰囲気が地獄だった。授業中は動物園状態。数少ない一般受験組で励ましあって何とか乗り越えた。
そして、焦りがよくなかったのか心だけでなく体がおかしくなりはじめる。まず慢性的な頭痛に悩まされる。おそらく緊張型頭痛。ずっと座って勉強したいたのと運動不足が良くなかったんだと思う。朝から晩まで薬を飲んでも頭が痛くて、勉強が手につかないことも多かった。次に吐き気。受験のことを考えると辛くなって泣いたり、吐き気や腹痛に襲われることが多々あった。これはどうしようもないことだけど、今でも秋になると毎晩吐きそうになりながら予備校帰りに坂道を自転車で下ってたのを思い出す。

37点足りなかった英検

高3冬

12月に入り、私立一般も受験申込の時期。春に比べたら飛躍的に成績がアップしたけれど、第一志望の早稲田大学にはどうあがいても入れない学力だった。親と相談して早稲田の受験を断念した。これを決めた日には受験生になって以降一番泣いた。全部早稲田のために頑張ってきたのに。
1月からは授業が無くなり、一般受験組だけ別教室でひたすら共通テストを時間通りに解く練習をさせられる。私はそんなに共通テストに力を入れていなかったけど周りの雰囲気に圧倒されて一緒に頑張れた。共通テスト当日は父親に車で自宅の最寄駅まで送ってもらったんだけど、車から降りた瞬間に急に不安になって誰にも見られないように爆泣きした。私の代は初めての共通テストで本当に不安だったけど、リスニングが爆死した以外はまあ及第点かなという結果だった。
共通テストが終われば私立一般の受験が始まり、あっという間に1か月駆け抜けた。受験で東京に2回行ったんだけど、1人で赤坂見附のホテルで過ごしたのは多分一生忘れない。もはや赤坂見附を第二の故郷だと思っている。
受験結果が出揃い、私は行きたい大学に全部落ちた。まあずっと勉強した気になっていただけで本当に勉強し始めたのは秋からだったから自業自得。
進学する大学を決めるとき、父親に滑り止めの大学に入学金を払うのちょっと待ってほしいって言えなかったのを今でもずっと後悔している。正直このときは仮面浪人する気なんて一切なくて、切り替えて関西で頑張ろうと思っていた。

→1浪目編に続く!

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