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なかなか行動にうつせない(fan℃行動編)

自分と向き合い模索する「fan℃(自分自身のfunやfan)」「WATASHEET」という仕組みを構築しています。「わたしと」というテーマであれこれ綴っていきたいと思います。


今もなお、坊主がゆえに、何歳になっても高校球児のようなおじさんの高校球児だった頃のお話をもとに、こどもの実行力から学び思い出させてもらった行動編を。

小中学生時代は10人(野球は9人制なので補欠という概念がほとんどない)というギリギリの少数精鋭だったが九州大会に出場するほどそれなりに強いチームに所属していた。

高校時代は、野球はしたいが野球一筋というよりは、田舎町の中学校出身の私は、彼女が欲しいとか高校ライフを満喫したいという下心丸出しな少年だったため、甲子園などほど遠く県予選大会1回戦突破さえも6年も縁のないチームである高校に入った。そんな高校だったので、坊主にしなければならないという制度もなく長髪のチャラチャラで、練習もそんでみんなバラバラ。むしろ野球もしてない。

1年、2年と染めた髪、ピアスなどなど高野連に呼び出しされてしまい指導されることもしばしば。3年になりキャプテンを務めることになったが、就任のはじまりは、メンバーの窃盗による休部。ルーキーズを見た時には、まさにうちの野球部みたいだ、いや、そんなに強くはなかったけど、高校卒業後の成人したころの放映だったからか、ものすごく感化された。

私たちの同級生の年代は、中学まで野球をやっていたメンバーは少なく半分以上は素人だったため、他の年代から1番弱い年代になるだろうと言われてきた。そんな弱小チームながらも、私は投票でキャプテンにさせてもらったという自負と、弱小チームが成り上がる構想を勝手ながらに私の内側にじわじわと芽生えてきていた。

私の、打席は2番。守備はショートとしてキャプテンを半年過ごした。練習が変わりチームの雰囲気はすこしばかしか変化しそれなりの野球部っぽくなってきた。が、なかなかチームは勝てない日々を過ごしていた。当初エース(ピッチャー)は球もそれなりに、スピードも出たが練習に来ず、自分のプレーに溺れていた。結果、後半になると体力不足から勝てそうな試合も負けてしまっていた。

そんなことから、気づけば私が、まさかしたことのないエースに。打順は2番でエース。そんな構成はなかなかない。が、私は三振を取るというより変化球を駆使し守備の仲間を信頼し打たせて取る手法。ぐんぐんとチーム力は上がり優勝候補に互角の戦いになったことも。

高校球児、最後の夏。

弱小高校はコールド勝ちで8年ぶりの一回戦突破を果たした。高校中もなぜか期待値が上がった。しかし、2回戦の相手は50人以上の部員を抱える高校。ベンチに入れないメンバーも観客席で応援団として構える。対して、私たちは14人。雰囲気からから、すでに気持ちで負けていたのかもしれない。

あっという間に気づけば最終回となっていた。点差の開いた、最後のバッターボックスは、9回裏最終回ツーアウト、ランナーなし。絶望的だ。

自分にまわってきた。正確に言うと、森までなんとか繋いでくれて、まわしてくれた。ランナー一塁。気持ちはもちろん諦めてはいない。

が、フルカウントに追い込まれ、残念ながらあっけなくフルスイングで空振り三振。

ゲームセット!

今、考えると1回戦を突破していて弱小の高校チームにとっては奇跡が起きていてみんな期待が膨らんでいたのだろう。自分もどこかまだこっからの逆転劇を夢見ていたのだと思う。が、現実は甘くない。

その場での悔しい気持ちはあったけれども、今は、悔いはない。きっと見逃し三振であれば後悔していたかもしれない。バットを振るというアクションを起こしての結果なので、悔いはない。こないだのWBCのアメリカの打者も同じ心境なのかもしれない。いや、全然比べ物にはならないだろうけど笑


そう、先日、こどもたちのテストの回答用紙を見て、とにかく間違っていようともマスを必ず埋める姿勢に、それを思い出させてくれた。そして、今日は1日、こどもたちと遊んだ。どの遊具も全力だ。

子供たちにバットをフルスイングしない、見逃し三振という選択肢はない。

わたしはどうだろうか。

大人になって、三振を恐れて見逃し三振をしていないだろうか。

どうせなら大人になってもフルスイングで空振り三振でもいいから実行にうつしていける子供のような大人であり続けたいと思う。

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