見出し画像

本物を知る意識

ふと、私が建築設計事務所で勤務していた頃のことを思い出していました。

様々なことをその時期に学び、今の考え方や発想などのベースはその時に身につけたといっても過言ではありません。その分、かなりのワードワークでしたので相当な経験値をここで凝縮されたような時間でありましたが、心身ともに限界を迎えてしまい、その場を離れることになりましたが、とても学びが多かったと思います。

その中で印象に残っている教えの一つが「本物を知りなさい」ということでした。

例えば家のドアが木目調だからといって、本当に木で作られているか。
木で作られていたとして、その木目は本物か。
(実際には本当の一枚板の無垢のドアであれば重くて大変です)

ドアを少しノックしてみると分かりますが、無垢のドアであれば軽いコンコンという音ではなく重く響きます。日本の住宅で使用される屋内ドアの多くは合板の上に木目を印刷したシートを、貼り付けた「木目調のドア」です。

けれど、パッと見た感じでは分からないので、特に気にしないというケースが多いと思います。これが仮に無垢の木を使った一枚板のドアであったとして、何か良いことがあるのか、安くて軽い方が良いじゃないか、と私は思っていました。

しかし、本物を知るということは、いつでも本物を使わなければならない、という意味ではなく、「本物を知った上で使い分けられるようになる」ということなのだと後になって分かりました。

本物を知っていると、デザインの意志をどのように込めるのか、伝えるのか、その方法の幅を広がります。形だけの表現だけでなく、素材、本物が持つ重さ、空気感も使い分けることができたなら、その空間をより高めることに役立ちます。

これはドアに限らず、そして建築設計に限った話でもなく、教育においても同じことが言えるのだろうと思います。

例えば魚の内臓や体の構造について資料集や図を用いて授業をすれば知識としては伝えることができるかも知れません。しかし、実際に本物を使って解剖をさせてみると、匂い、手触り、つながり、色合いなども含め、圧倒的な情報が追加されていきます。

直接テストで点数に繋がるか、ということではなく、そういった本物に触れた経験がどこかで活きてくるということなのだと思うのです。

パッと思い浮かぶなら、料理をする際に魚を捌くとき、その経験は確実に活きてくることでしょう。

要は本物を知ることが、直接的にその場で役立つ、という話ではなく、発想や活用の引き出しを増やし、いずれどこかのタイミングでアイデアや行動の選択肢を増やしていくことにつながるというイメージなのだろうと捉えています。

当時はそんな真意には思い至らずに、本物を知りなさいということで、高級な寿司屋や料理屋に連れて行って頂き、御馳走して頂いたのに、純粋にラッキーと思って浮かれていた能天気な若者でしたが・・・

けれど、巡り巡ってその時の経験をありがたく思い出し、自分の糧にさせて頂いているので、感謝しかありません。

また、同じように引き出しを増やすという意味で、いい仕事をしたいなら、その業界のことしか知らない人間になるのではなく、外の世界にもアンテナを広げて情報を知ろうとすることが大切なんだと考えています。

良い住宅を設計をしようと思うなら、人の生活を知らなければならない。料理、子育てなど、様々なライフスタイルについて実体験も踏まえた情報が多いほど引き出しが増えます。図面やスケールだけと向き合っていても、決して良いものはできないでしょう。

同じように、今、私が身を置く学校の世界でも、学校のことしか分からない、教員の世界しか知ろうとしない、というのでは良い教育は難しいのだろうと思います。時には生徒の趣味や今の流行を知ろうとすることも大切でしょうし、自分自身の生活において心を動かされた経験を豊富に持つことも糧となるでしょう。また異業種の同期とリアルな話題で語らうことも、いずれ生徒の進路の相談を受ける時にもきっと役に立つことでしょう。

そういう意味で、本物を知るという言葉は、単にモノに対しての話だけではなく、もっと幅の広いもので、あらゆることに対して知ろうとする姿勢を持て、ということなんだと改めて感じた次第です。



よろしければサポートお願い致します。 勉強会開催の活動費用として充てさせて頂きます。