新体操を辞めた本当の理由

いつか話さなければいけないこと。
私にはリストカットの跡がある。

中学時代から高校卒業まで、私はリストカットを繰り返していた。理由は、新体操だった。ミスをする度、トイレに行き、ミスしたことの贖罪として、腕に1本1本カッターナイフで傷をつけていた。体重が思うようにコントロール出来ないとき、唾を限界まで吐き、指を口の中に入れ、ほぼない水分を吐き出す。それでも減らないときは、手首を切って血液が減れば体重が減る。そう思っていた。明らかに異常だったことに当時は何も気づかなかった。
親にはカッターナイフを取り上げられ、学校のカウンセリングの先生には、腕を切りたくなったら赤ペンで腕に線を書くように言われた。それでも、新しくカッターナイフを買い、過食しては吐き、ミスを責められたら贖罪のように腕に傷を刻んでいくことはやめられなかった。

ノースリーブの衣装のときはテーピングで隠していたが、同級生は私がリストカットをしていることを知っていた。親経由で母が知り、お願いだからやめてと言われても、私は自分自身をどこまでも痛めつけることを辞めることが出来なかった。狂っていた。

そんなとき、顧問と教室で1対1で面談をした。自分の体を大事にしなさい。切るのはやめなさい。どの口が言うのかと、話半分で聞いていた。体を大事に、と言いながら怪我しても病院に行く時間すら与えない顧問。顧問が珍しく涙ながらに私の手を握ったのは覚えているが、何を言っているのか、私は全く理解出来なかった。

肋木にロープを括り、首を吊ろうとしたこともあった。その日は練習中に、あんたなんか居なくなれ、二度と視界に入ってくるな!と怒鳴られた日だった。私がトイレに行くと言ったまま帰ってこないのを心配した、唯一心を許していた先輩が肋木にロープを括り付ける私を見つけ、ロープから私をおろし、先輩の手は私の首元を強く締めた。もちろん息が出来なくなり、必死で抵抗した。その先輩は練習中の怪我で、生死をさまよい、選手生命を絶たれた先輩だった。

苦しくなって暴れる私を解放した先輩はこういった。

死にたいなんて二度と言うな!

先輩も泣いていた。

結局その日はいろんな感情が溢れだしてしまい、その後練習に戻っても泣き続けながら通しをしていた。

文章がまとまらないが、先日生徒にリストカットの古傷のことを聞かれ、ああ、まだ残っているのか。と認識した。生徒には、前に猫に引っかかれたんだよー!と誤魔化したが、あの頃の狂った自分を思い出し、この子達には絶対にこういう思いはして欲しくないと思った。

手首を切るより練習しろよ、と今になれば思うのだが、朝の6時から22時近くまで練習して、それでもできない、特に団体でメンバーに迷惑をかける、その贖罪として自分を傷つける。正直今となってはよく分からない。なぜ、そのような思考になったのか。余程追い込まれていたとしか思えない。

私のような経験をした人が全く居ないわけではないと、正直思っている。今は指導者もメンタルケアの方法を学ばなければいけないし、暴言を吐くなんて以ての外である。

私のような思いを、行動を、もう誰にもして欲しくない。なんとまとめたらいいのか、着地点がわからなくなってしまったが、リストカットだけではなく、拒食や過食、自傷行為に走る選手がいなくなりますように。

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