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〈引越し日記4〉 手放した相棒のこと

前職の最終出勤日の帰り道、愛車のジムニーが故障した話の続きです。

急にエンジンがかからなくなったジムニーがレッカーに運ばれて数日後、車屋さんからもらった連絡では、劣化した部品の交換だけなので部品さえ届けばすぐに取り替えてまた走れる、費用も数万円で収まるとのこと。

1年前にはエンジン関係の修理で十数万円かかったこともあったし、もっと悪い知らせも覚悟していたので、本来ならば喜ぶべき知らせ。でも、今回の急な故障で、私の中にはある予感のようなものが浮かんでいました。

この車は、じっくり考えに考えて、私にとって大きなお金をかけて購入した、大切な車。今でも大好きで、自慢の車。それは事実。
でも、今の私に合っているかというと、そうでは無いかもしれない。

少し具体的には、こんなことです。

この車に乗るために認識を持って対応していく必要があること…

  • 古い車なので、これからも修理やメンテナンス、燃費も悪いのでガソリン代もにも費用がかかる。保険代も高い。

  • 故障のリスクも高いので、定期的にメンテナンスや点検に車屋さんに通う必要がある

  • 車に無理をさせてはいけない。車屋さんによると、古い車は長距離の断続運転が苦手、とのこと。

今の私がこの車に合っていないと感じる状況…

  • 引っ越しと同時に、会社を退職し個人事業主になる。もちろんしっかり生活していけるように収入を組み立ててはいくが、できるだけ出費は抑えたい

  • まずは自分自身の仕事や新しい生活を整えていくことが最優先。一人暮らしでもあるので、車のことに十分に時間やお金を使う余裕が持てる確信ができない

  • 実家がある宮崎に帰省する頻度が増える、帰省の際には片道3時間の長距離運転をするので、長距離でも安心して乗れる車に乗りたい


実は、今回の故障が起こる直前にも、サイドミラーが錆び落ちたり、半年ほど前からエンジンのかかりが悪くなったりといった小さな不具合が続いていたことも、「今とこれからの自分がこの車に見合っていない」ことを予感するきっかけになっていました。

古い車との付き合い方を丁寧に教えてくださる車屋さんから、「それでも古い車に乗りたい」と買ったジムニーなので、車に不満はありません。車が私に合わなかったのではなくて、私がこの車に合わせられない、そんな無理が生じ始めていることを感じつつも、やはり大好きな車を手放すというのは言葉にするだけでもしゅん…となってしまう寂しさと悔しさがありました。

手放すという選択の背中を押してくれたのは、図らずもこの車を私に売ってくれた車屋さんでした。購入するときも、乗り始めてからも、私とジムニーのカーライフに寄り添ってきてくださった車屋さんなので、「結局、古い車に乗る覚悟がなかったんだね」と怒られても仕方ないと思いながら、手放すという選択肢を考えていることを伝えると、返ってきたのはこんな言葉でした。

(古い)車は、機械ですが、ペットや小さな子どもと同じでとても手がかかります。持ち主の都合でケアしてあげられないのであれば、手放すのも一つの選択肢だと思います。
諸岡さんとジムニーは素敵な出会いだったので、なかなか難しい判断になると思いますが、私は車屋ですので車にとって1番いいご判断をして頂きたいと思います。

車屋さんが「手放す」ことを一つの選択肢だと言ってくれたこと、そして”車にとっていい判断を”という言葉で一気にすっきりと答えが見えた気がしました。

私の都合で手放すのは車にとってかわいそう、申し訳ない、そんな思いで決断できずにいたけれど、それはただ私自身がこの車とお別れすることが寂しいだけ。この車にとっていい判断を、と考えればむしろ無理が見えている今手放して、きちんとケアをしてもらえる乗り手の場所に車を送り出してあげることは、まさに”いい判断”なんだ。そんなふうに思えたら、やはり寂しい気持ちは消えないけれど、決めることはできました。

レッカーに運ばれたまま車屋さんの倉庫で休んでいるジムニーに、荷物を取りに行った日が、お別れの日になりました。そこにあるのは車という機械なのに、何だか目も合わせられない。ごめんねと幸せになってねとやっぱり寂しいと、君に見合っていない自分を認めることを悔しく思うのと、いろんな塩っぱい気持ちが混じり合って、わざとらしく「いや〜、はや〜、」とため息のような言葉しか出なかった。

一緒に来てくれた友人に「(ジムニーと私の)写真、撮ろうか?」と言ってもらったけれど、上手に笑顔ができる気もしなかったし、きっと見るたびにキュン…となる写真になってしまう気がしたから、「写真なんて撮ったら泣いちゃうよ〜」と冗談ぽくごまかして、雨降りなのを言い訳に足速に去って。

愛車を手放すという予想外の出来事によって、車のために予約していたカーフェリーもキャンセルしていろいろな都合で夜行バスでの引っ越しになったり、車がない状態で友人に助けてもらいながら引っ越し前の数日間を過ごすことになったり、引っ越し後も母の車を貸してもらえるまでは車なしで生活を送ることになったり。

そもそも引っ越しのタイミングで車が故障したこと自体は不運ではあったかもしれないけれど、そのことをきっかけに車を手放すという選択をして、予想外に大変な思いをしながらも「こんなはずじゃなかったんですよ?」と話のネタにできるくらい、気づけばなんだかさっぱりした気持ちにもなっていたのでした。


今回は、引っ越しという大きな変化の中で表層化したことではあったけれど、意識するせざるに関わらず、自分も、自分を取り巻く状況も変わっていく。これまでは合っていたものが合わなくなるとか、合わなかったものがあってくるとか、それは相手が物でも人でも起こりうること。

そういうことはこれからもあるだろうけれど、その時には、今回のことを思い出そうと思う。記憶の中にしっかりとまだある、世界に一台だけの、あの色のジムニーのこと。私が出会って、手放した、最高の相棒のこと。






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