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最&強のどん兵衛(「“このまま”30歳になるのが怖かった」の続き)

↓一つ前の記事の続きです

数日間、メッセージのやり取りが続いた後、私はすっかりその気になった。実際はその気になったつもりの自分に、浮かれていた。
そう気づいたのは、彼からこの先はLINEでやり取りしましょうと提案があり、LINEのIDが送られてきた後だった。その提案があった時でさえ、私は絶好調に浮かれていた。喜んでLINEを開き、教えてもらったIDで検索したら、アプリと同じ顔のプロフィール画像のアカウントが表示された。アプリではカタカナで表示されていたニックネームと、同じ名前が漢字で、苗字も合わせて並んでいた。やっぱり彼は実在する、生身の人間であった。

私が望めばこの先に、私はこの人と”会ってみる”という選択肢がある。先のことはわからないけど、私が知る友人たちのように、「実はアプリで出会ったんだよね」と照れながら言う未来があるかもしれない。それが目の前に提示された瞬間、さっきまでの浮かれた気持ちは吹っ飛んで、私はLINEを閉じて、何もメッセージを送り返さないままアプリも退会した。

今思い返しても、簡単に見栄を張れるアプリの中で、きっと彼は何も嘘をついていなかった。会ったことはないけれど、かなりいい人で、人を思いやれる素敵な人だと思う。彼に幻滅したということは全くなくて、急にアプリを退会して消えてしまったことも、本当に悪いことをしてしまったなと思う。

私の中で何が起こったかといえば、私が恐れていた「このまま30歳になってしまう」ことの”このまま”の正体がわかってしまった、と言うことだ。

私は、自分で自分を幸せにできる自信がないまま、30歳になるのが怖かったのだ。社会人になって7年、そろそろ感じ始めている今の“働く自分”に対する物足りなさや、これから確実に両親が老いていくことへの寂しさや少なからずの不安、適齢期から離れていく自分の身体、もし働けなくなった時に困るであろう今の貯金額、ふとした瞬間にそういったことが湧いてくる時、私は自分で自分を幸せにできる自信がなかった。自分以外の誰かの手が差し伸べられるのを、どこかで期待して待っていた。そしてその手が差し伸べられたら、おそらく縋り付いてしまうであろう自分の弱さが、怖かった。

マッチングアプリの一件は、疑似であったとしてもその手が差し伸べられた時に、結局私は自らその手を取らなかったということで私に自信をくれた。

簡単に縋り付くほど、私は弱くなかった。

ちゃんと、自分で自分を幸せにする覚悟が芽生え始めていた。

それは何も、一生ひとりでいるとか、そういうことではない。素敵な人には出会いたいし、母親になる人生もいいなと思っている。
この先どうなっても、パートナーと出会っても出会わなくても、こどもができてもできなくても、働き方が変わっても住む場所が変わっても、変わらなくても、私を幸せにするのは私だ、ということ。

寂しさや不安が押し寄せてきた時に「大丈夫、アンタのことはアタシが幸せにするから」って、自分で自分の背中をゴシゴシさすってやる、そんな心持ちだ。

2023年、私は30歳になった。
30歳の靴が、幅広な私の足にピッタリと馴染んできた、今日は大晦日。明日から始まる2024年は、私をどんな旅に連れて行ってくれるんだろう。


キッチンの戸棚の中には、今夜食べるために買っておいた「最&強のどん兵衛」なる、ちょっとだけ高かった年越しそば(カップ麺)がある。

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