映画館に行く勇気を持とう
この前映画館に行ったら、SNSの悪影響が垣間見えた気がする。
先週、暇だったから一人で映画館に足を運んだ。とりあえず席が伽藍堂だったクワイエットプレイスDAY1を選んで、ポップコーンとコーラを抱えて席についた。ホラー映画はあまり慣れていないので、けっこう身構えていた。
映画泥棒のパルクールシーンに目鼓をうって、さぁいざ映画が始まったと思った瞬間、クワイエットプレイスじゃないけど、沈黙を破るような不愉快な音がした。俺にはわかった。BeRealだ。正直この映画の最中よりも、この時の俺のほうが肝を冷やしたと思う。あわててスマホを確認するけど、当然電源はオフだった。「じゃあ誰だろう?」この答えは俺の右斜め前に座っていた尼の手の中にあった。
俺と同じく慌てた様子なのは同じだった。自分の携帯がなりだしたのだから、驚くのはもちろんのことだ。
じゃあとっととその携帯の電源を切ってカバンにしまいやがれクソ野郎!と俺の中のナランチャを心の中にしまって、ふと思った。まだ操作してる。
別に電源を切るのなんて、造作もないだろう。説明するほどでもない刹那的なプロセスを踏めばすぐおわるのに、なかなか終わらない。
まさか。「想像しうることは全て現実に起こる」というマーフィーの法則の立証を裏付けるかの如く、シャッター音が静寂のせの字からくの字までを網羅したこの空間にこだました。
「怒りを通り越した先には呆れが存在する」と聞いたことがあるが、ロックバンド並みに首を縦に振りたい。最初は激しい怒りと共に、生成から般若と行って真蛇までのフルマラソンを軽く完走したが、その後はもう呆れるしかなかった。どのくらい呆れたかっていうと、エーミール100人分ぐらいだ。
まぁ私の感情起伏道中膝栗毛はここまでにして、思ったことを書こう。
前座が映画の制作会社の紹介ぐらい長かったな。
最近みんな、一人になったことはあるか?
これは物理的な話ではない。
最近はsnsのおかげで、誰でもどこでも繋がれる時代だ。snsを絶って、他者からの上っ面のリアクションや、クソみたいな写真を拒んだ先にある本当の孤独を味わったことはあるか?起きたらすぐスマホを持ってsnsを確認して、ベッドで横になって寝る寸前までsnsを見る。あなたは「一人」になったことがあるか?誰の存在もそこには介入せず、ただ自分の思考のみが広がる世界。あなたが最後にそこにいたのはいつだろう。
別に、snsを否定しているわけではないことをわかってほしい。
ただ、「一人でいることを恐れるな」ということだ(言って気づいたけどこれ割と万物に共通してるな)。
自分はこれを早い段階で、親にNintendo Switchを買ってもらった時に決めた、時間のルールで教えられた。「みんなが何かを一緒にしたり、同じ輪にいる時に、自分だけいないことを恐れるな。」ということだ。
筆舌で尽くせない、痒いところに孫の手をそえるなら、最近のsnsでみんなが恐れているのは、「一人でいること」というよりも「みんなの中にいないこと」だ。いい例えがあるのだが、You are scared of being alone? No, you are scared of not being alone. こういうことだ。ずっとみんなからのいいねとか、リアクションとか、コメントに承認欲求をタプタプに満たしてもらった人間は、其れがなくなった時のことを想像できない。怖いからだ。
まぁ確かに、「自己認識は他者が存在して初めて可能になる」っていうけど、snsで作られる自己認識なんて、クソほどの足しにもならない。
snsをほんの少し触らないだけで、自分が「みんな」から外れて行くような気がして怖くなって、映画中にも関わらず、つい見てしまう。映画中とかいう話じゃない。ずっとだ。ずっと。電車や街中で、みんな金属製の四角い箱に全てを捧げてる。初めて見た時の気持ち悪さといったら、どこぞのクソカルトみたいだった。
だから、「映画館に行く勇気」を持ってほしい。「一人」で、「みんな」から遮断された空間で、スマホやsnsも気にしない時間を作る勇気をだ。そしたらきっと、もっとおもろいよ。
P.S. クワイエットプレイスはおもろい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?