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2024.08.12 能登原付旅・後編~どうか自分を信じておくれ~

西能登の海岸線から山中に入り古和秀水に向かったら、あまりにも山中であまりにも田舎で、修復工事がまだ追いついてなかった。コンクリが剥がれて砂利道になっていたところがあって、普通に原付で突っ込んだら思いっきりハンドル操作ができなくなって焦った。

前輪を真横にしてドリフトしてブレーキをかけるような感じだった。慌ててどっかに小石を噛んでないか点検して、舗装された道だったらハンドルが動くのも確認して再び出発した。自動車1台分の幅よりも狭い道を、原付でスイスイ走っていった。やっぱ名水に行くには四輪じゃなくて二輪だな。

それで古和秀水 ※1 に着いたのだが、構造というか、造りというか、それが藤瀬の水とまるっきり同じだった。右側に水が湧いていて、道路から少し下ったところにある。石碑・小屋・湧き水の3点セット。

1つ珍しかったのが、水を溜める石の箱みたいな器にガラス板が被せられていて、溜まりに手を突っ込んで冷たさを感じるやつはできなかった。流れる水の方に触ってみたら、夏なのに冷たかったな。飲める湧き水と飲めない湧き水の2種類があった。何が違うのだろうか、左の水を煮沸して冷やしてから、右から流してんの?

この2か所でこれまで訪れた名水の数が40を超えた。40/100、と見せかけて40/200 ※2。まだ2割。制覇するのはいつになることやら。まあ生涯を費やして長らく楽しめる夢があるというのはいいよね。達成できるまではくたばれない。

この時点で11時半、ガソリンの量は残り半分くらい。念のためこれくらいの時点で給油をしておきたい。しかしこんな田舎にちょうど良くガソリンスタンドがあるのか分からず、ひょっとしたらガス欠になるのではないか、やっぱり道中で見たガソスタをスルーせずにこまめに給油しときゃよかったのかな、とか思ってた。

ただ西能登海岸線を南下してたらわりかしすぐに小規模なガソスタがあったので助かった。給油量はいつもの生活と同じくらいだったから、言うほどピンチでもなかったみたい。

ガソリンを満タンにして安心して走り出して、お腹もすいてきたからたまたま近くにあった道の駅「とぎ」で休憩した。食べて能登を応援しよう!という取り組みをしていて、少しでも能登のためになれば、お役に立てればと思った。

奮発して海鮮丼にした。どれが能登の海の幸かは分かんなかったけど。のどぐろが、…あったのかな? ワカメが能登名物だった、…のかな? 色合い的にサーモンか貝的なやつがあったから、貝だったら歯ごたえが苦手なんだよなぁと思って口に放り込んだらガリだった。ガリをお刺身と同じ切り方して並べないでくれよ。いやぁ、美味しかった。

ワカメの上にあるのがガリだった

ここの道の駅の裏手の海岸に「世界一長いベンチ」という、ギネス記録にも認定されているベンチがあると聞いていたので見に行った。2位を知らないから世界一っぷりを実感はできなかったが、とにかく長いなーって思った。

せっかくだし記念に腰かけるかと思ったのだが、先に手をついた瞬間、ベンチが砂まみれになっているのに気づいて座るのをやめた。たしかに海岸にあるベンチなんだから砂と潮で汚れるよなと思うわ。結局座らず立ち去った。去り際、地元住民らしき人が「昔は背もたれがあったんだけど、今は無くなってるみたいだね」と言ってるのが聞こえた。

ここからは特に何もない田舎道を走るだけだった。ただとある区間で、左手にやたら「施設内立ち入り禁止 北陸電力」という貼り紙が貼られたフェンスがずーっと続く道があった。何かしらの発電所なんかな、太陽光発電?と思ってた。

そのフェンスが途切れたところで入り口に「志賀原子力発電所」とあった。おい原発の真横走ってたのかよと軽くビックリした。頼むぜ、安全神話。電気の安定供給と周辺住民の安全を託したぞ。

ただ原付を運転してるだけなのもアレだし、スマホで音楽を流してた。音量を最大にして原付の前かごにスマホを入れれば、イヤホンをしなくてもエンジンの音に負けずにかすかに聞こえる。

これまで歌詞に救われてきた曲、歌詞に自分を重ねてきた曲のプレイリストを再生した。何も無い道をひたすら走っていると次第に無心になり、過去の情けない記憶がよみがえってくるのだ。

その時流れたNICO Touches the Wallsの『ストラト』に「たかが4つそこらの小さな言葉 聞き逃してた小さな言葉 それを信じる」という歌詞がある。今までこの「小さな言葉」が何なのか分かってなかった。

分からなくてもいい、明示しないのもカッコよさの1つだと思ってた。『ヒーローマニア-生活-』の主題歌で主要キャラが4人だったから、4つってのはこの4人のことかな、なんて考察をしてた。

ただこの時新しく思ったのが「それ『を』信じる」なのではなく「それ『は』信じる」なんじゃないかと。信じる、発音なら4つだし、聞き逃しがちだし、それをてにをはの妙で上手く隠したのかな、なんて思った瞬間、走りながらなんか泣きそうになった。

情けねえ時もあるけど、情けねえ日もあるけど、どうか忘れないでくれ、どうか自分の人生の数奇さを、信じておくれ。俺は俺だと、他の誰にも送れなかった人生を今送っているんだと、信じておくれ。あの日西能登で一番俺が人生を楽しんでいたんだと、信じておくれ。なんてことを思ってた。

石川にいた時はある程度の厚みの雲に覆われてて熱さが和らいでいたが、帰り道、富山に入った辺りで太陽が顔を覗かせてきた。あの照り付ける日差しが、暑いを通りこして痛かった。実際に腕と顔を日焼けしていたみたいだ。今でも腕が熱いし、鼻の周辺がヒリヒリしていて、鼻をかむと痛い。

そして9時間の運転による疲労が蓄積していた。道のりの半分くらいでまず握力が弱まってきて、次に手首が腱鞘炎みたいになって、それをかばったのか肩もこってきて、国道8号線に乗ったら膝も軋んできた。

1日の運転は9時間、距離は240キロが限界だと分かった。そんな時看板に「新潟 260キロ」とあって、新潟は原付ではなく新幹線で行かないといけないと学んだ。日記を書いてる今も右手の軋みと痛みは治ってない。それをかばって、見て見ぬふりして書いてる。

ようやくアパートに到着した、達成感があった。小学生が初めて自転車で隣町まで行った時のような気持ちだった。石川の輪島市まで片道120キロ走れたのなら、もう富山県内ならどこでも電車・バスじゃなくて原付で事足りるんじゃね?とも思った。ただ公共交通機関ってラクなんだよなぁ、日焼けすることもないし。


※1 かつてこの近辺に住んでいた親子がこの水を飲んでみたところ、親父には酒となって酔っぱらったのに対して、子供には澄んだ清水(しゅうど)としていくら飲んでも酔わなかった。

子供が「親は酒々子は清水(しゅうど)」と呟いたことから、こはしゅうど、古和秀水という当て字がついた。俺は酔っぱらわなかったから、俺なんてまだまだ子供なんだなと思う。

※2 「日本名水百選」とは言いつつも、昭和に選定された100か所と平成に選定された100か所があるため、合計200か所となる。平成20年に平成の名水百選が選定されたため、俺は令和20年に「令和の名水百選」と題して、さらに追加で100か所が選定されると思っている。



この旅以降、ストラトを結構リピート再生している。そんな中でまた別の歌詞も身に染みてくるようになった。「意味も無いのに書いてた言葉 強くないのに買ってたケンカ それを信じる」と。

人生の半分を日記に遺してきた、でも本当は意味なんて無いのかもしれない。自分の弱さから逃げたいがために心の中で色んな人とケンカした、全部負けた、俺が弱い人間だったから。無駄だったと思うかい? 俺は信じることにした。

自分の弱さから逃げてた時期だって、きっといつか将来役に立ってくれると思ってる。弱さを知らない人間に、強さが何たるか分かるわけがないもん。

長年、すぐに劣等感を抱いてしまう自分の性格がコンプレックスだった。スクールカーストに巻き込まれて自分の分際をわきまえる学生時代を過ごし、大学生になってクラス制度が廃止になった後でもキャンパス内でイケてる大学生を見る度に、送れなかった別の人生をずっと夢見てきた。

もっと容姿端麗で、もっと背が高くて、もっと外向的な性格をしていて、もっと自分から人を誘えるような積極性があって、もっとファッションのことが分かる頭の良さがあって、もっとヘアスタイルに精通できる知識量があって…。そんな世界線の人生に憧れていた。

自分には何にもないと思っていた。でもふと後ろを振り返れば、かけがえのない親友と、人生の半分が詰め込まれている日記帳と、どう頑張っても説明しきれないくらいの数奇な出来事と、自分の弱さとようやく戦い始めた自分がいた。

今年の5月、吉住さんがやっているラジオ「吉住の聞かん坊な煩悩ガール」の初の公開収録に参加した。その収録風景の写真を見てほしい。

これをどうやって何も知らない人に説明したらいいんだよ! なんで俺はラジオの公開収録でヤバいセミナーに参加していたんだよ! 3年間の歴史を丸々紐解いていかないといけないじゃないか!

黎明期では吉住さんが生きづらい話をしてて、ある回で吉住さんがこんな発言をして、それにリスナーが乗っかって、こんなノリが形成されていって…。あー説明がめんどくさい。

でもこの公開収録の帰り道、笑って叫んでヘトヘトになった頭で俺は、ようやく自分の人生の面白さと数奇さを感じ始めたのだ。整った容姿もファッションセンスも外向性も無い、でも俺には奇天烈すぎる思い出が沢山ある。

それはどっちが優れているか劣っているかではない。他の誰でもないたった1人のあなたに、たった1人の自分に与えられた、生を楽しむ権利、生を肯定するチャンスでしかない。それだけの話。

だからたとえ小さい出来事であったとしても、前編で書いた道端にポイ捨てされていたルックバック劇場特典版の不可思議さを、無視せずちゃんと向き合って笑うことにしたんだ。また1つ数奇な思い出が増えた、嬉しい。

どうか自分を信じておくれ。イケてるような人種にはなれなかった、でもその代わり、きっと世の中を面白がる力を、自分の人生を面白がる力を持って俺は生まれてきた。どうか信じておくれ、と自分に言い聞かせる。まだ完全に強くなりきったわけじゃないから、何度も心の中で反芻する。

原付で海岸線を走ったことを、日本名水百選を制覇するという目標を、その目的が無ければ絶対行かないまま死んでいったであろう田舎を訪れたことを、サーモンかと思ったらガリでそれに内心笑ってたことを、小雨に降られたことを、原付旅のくせに原付を停めてしばしルックバックを読んでいた謎行動を、どうか肯定しておくれ。何度も言おう、どうか、どうか信じておくれ。

たかが4つそこらの小さな言葉 聞き逃してた小さな言葉 それは信じる