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なつかしの加古川Part1(リライト編)

 むかしむかしの「加古川」のお話をします。もう。60年近く前のお話です。      

ここで言う加古川とは、今のベルデモールであったり、
かつてにぎやかだった寺家町商店街あたりのことを指します。

今の若い方はベルデモールはともかく寺家町商店街に足を運ぶことはあまりないかもしれませんね。(通学路として使うのかな)

今はずいぶん人通りもまばらになってしましたが、

当時の子供達にとって、洋服、靴、着物、玩具、食品、ごちそう、生活用品など、何でもそろって珍しい商品を陳列したお店が立ち並んだ

「寺家町商店街」はアーケードをくぐった瞬間からまるで、
異次元にワープしたかのような夢のような空間でした。

北播地域をはじめ、他の市町村からの買い物客も多く、
今の「ニッケパークタウン」のある場所には、
日本毛織加古川工場、そして川を西に渡れば印南工場があって

「ニッケ」の仕事終わりの工員さんだったのでしょうか、

大勢の若いお姉さんが、西へ東へ移動しながら買い物をされていた記憶が残ってます。

なにせ、人や自転車の流れがとても多いとても活気のある商店街でした。

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旭クラブ・・・父に連れられ「西部劇」を見に行った記憶が残っています。
劇中、字幕も読めず、何をしゃべっているのかもわかりませんでした(笑)


記憶の限り思い起こせば、私の加古川の原体験は昭和40年ぐらい?前回の「東京オリンピック」のあたりだったかもしれません。

夕方になると祖父の自転車の後ろに乗せられ、毎日のように加古川の
「検番筋」に繰り出していました。

当時、自宅からだと加古川橋を西から渡り、東詰からすぐ左へ折れ、
下り坂を加速し右へカーブすると、アーケードの無い「本町商店街」に
入ります。
「旭クラブ」(映画館)、「旭食堂」のあたりからだんだん人が賑やかになり、やがて左に「陣屋」さん右手にお肉屋さん?が見えてきたら、

いよいよ西側からアーケードをくぐっていきます。

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自転車の荷台からキョロキョロとあたりを見まわす諸井少年にとって、

流れゆく「ひだりや」さんや「ごくらくや」さんなど、

ひらがなで読める看板はいい「ひらがな」の勉強の場でもありました。

そしてもう少し東進すると、鼻をくすぐるのが、のちにGパンでお世話にな

った「アサヒヤ」さんの北隣にあった、お好み焼き屋の「ニカワ」さんの

焼きそばの何とも言えない!いいにおいでした。

商店街を通るたびに、漂ってくるソースの強烈なイイ香り!

60歳を越えた今でも鮮やかな感覚として鼻腔にのこっています。

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いいにおいにやられた諸井少年、このあたりで激しくお腹がすくのですが、

「結納」のお店や「サワキ」さん、スーパーマーケットの「フタギ」さん、

大好きだった「あこう食堂」さん、今でも健在の「丸万」さんを越え、
県道加古川・小野線を渡るといよいよ人混みが多くなります。

そして少し進んで、左折するといよいよ「検番筋」です。

「検番筋」は今の、「あずさ珈琲」さんから県道加古川・小野線を

東に渡った一帯の地区ですが、当時の「検番筋」は三味線の音なんかが聞こ

えたりして、猥雑で混沌とした立派な夜の街だったのだな、と今考えると思

うのですが、そんなところへ小さな子供を連れて行っていた祖父は

何を思っていたのでしょう(笑)

そして祖父は何をするかというと、「共楽」という屋号のパチンコ屋でパチンコを打ちます。

その隣の台で一つ一つ玉を入れハンドルを弾きながら私も打つ。(当時はゆるい時代でした)

まれに、玉が出ないとき、台のガラスをガンガンと叩くと、

裏からおばちゃんが、不機嫌そうに顔を出し、チューリップに球を1個入れ

てくれるのです(笑)


そして小一時間もパチンコを打ち、多分勝った時なんでしょう。

換金した後、「鳥幸」へ焼き鳥を食べに行くんです。

友達なのか、他の客なのかわかりませんが、しきりに談笑しながら、串を片手に、祖父はビールをのむ。

私といえば「もも焼き」を一本手渡されます。子供なので食べ終わるまで結構時間がかかります。

そして「もも焼き」が骨だけになった時、一杯入った祖父も、ちょうど出来上がるという計算。

やがて夜の帳が降りた中、ほろ酔いの祖父と再び自転車に乗って、フラフラと帰っていくのです。

自転車から眺める、町の景色は、

ネオンサインが輝き、キャラの立った飲食店や映画館があって、

賑やかで、雑多で混沌。

酔っ払いは飲み、唄い、喧騒の中の路地には少しすえた匂いがする、

いい意味でも、悪い意味でもエネルギッシュな街の光景が拡がっていました。

あの頃、加古川へ出かけるとなると、なんだか子供ごころに楽しくて、待ち遠しくて、ワクワク、ソワソワしたものです。


あれからずいぶん年月がたちましたが、古くからのお店の閉店のニュースなどを聞くと少し寂しい気分になりますね。


でも、これからも、あのとき、子供心に感じた

みんなが集まってくる「加古川」。

楽しくワクワクする「加古川」。

何でもそろう「加古川」。

身の丈サイズのええ町「加古川」。を、

忘れずに、いつまでもこの町と、

そして共に暮らしてゆくみんなを、

支えていこうと思います!


最近では新しくマンションが建ちはじめ、

町の様子も変わろうとしていますが、

昔のように、加古川駅前の賑わいが復活し、

人々がにぎやかに行きかい、

生き生きとくらす、

エネルギーにあふれた町に

再びなってゆくことを、

心から願ってやみません。

(今号は院長が執筆致しました)

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加古川駅ガードの写真より




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