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中学生〜高校入学まで

中学1年生

小学校を卒業した僕は晴れて中学生になり、中学校の部活には所属せずにFC東京U-15むさしというクラブチームに所属することになりました。

小学生ではナショナルトレセンを経験し、東京選抜にも選ばれ、順風満帆な生活を送れたのですが、FC東京に入団して上には上がいるんだっていうことを身を持って体感しました。

入団直後の僕は、「俺が1番上手い」と心のどこかで思っていました。
しかし、上の学年には自分より遥かに上手いし強いし早い選手がたくさんいて、同級生にも「こいつ上手いな」って思う選手がいました。

小学生の時は周りからチヤホヤされて育ってきた自分だったので、現実を受け入れられず、どーやって乗り越えれば良いか分からなかったです。

ひたすらボール蹴ってただけの小学生とは違い、自分の欠点だったり足りない部分を補うといったトレーニングが必要になってきました。
かといって、学校もあるし、チームのトレーニングには電車で通ってたし、自主トレーニングする時間がなかった僕はどうすればいいか分からず、ただただチームトレーニングをこなすだけでした。

当時ウォークマンが流行り、音楽を聴くのがカッコいいと思い、トレーニングと学校がない時はTSUTAYAに行ってCDを眺めるといった、今では無駄な時間を過ごしていたような気がします。

今思えば、TSUTAYA行く時間あるなら少しは自主トレしろよって思うのですが、当時はTSUTAYAが憩いの場所になってしまっていました。

「何かを手に入れるなら何かを犠牲にする」

当時の僕は自主トレを犠牲にして音楽を手に入れていましたね。
逆に音楽を犠牲にして自主トレを手に入れた方がもっと上手くなれたと思います。

思春期の中学1年では何かを犠牲にするって考えは全くなく、やりたいことをひたすらやって、やりたくないことは全くやらないという生活になっていました。

後々になって焦って学校のテスト勉強をしたりと、期限ギリギリで何かをやるってことが多かったです。


中学2年生

中学2年生になり、心も体も少しだけ成長したような気がします。
周りから見たら成長してたかは分かりませんが。笑

なぜ成長したと実感できたかというと、周りの選手たちの上手さを受け入れることが出来たからです。

一番の出来事が、ドイツワールドカップの前座大会でチームとしてドイツ遠征に行ったことが自分が変わるきっかけでした。

日本の選手しか見てなかった自分は、海外選手と対峙した時に衝撃を受けました。

「背が高いのに足元上手い、背が低いのに競り合い強い」

欠点を欠点とさせない海外選手たちは、僕の想像の遥か上を行っていました。

なかでもフランス代表の選手たちは全員でかくて、全員上手い。

「このチームには勝てない」

素直にそう思いました。

結局予選で負けて、トーナメントには進出できて、決勝でリベンジして勝って優勝したのですが。

結果は優勝で、外から見たら最高ですが、内心めちゃくちゃ悔しいし、フランス代表に勝てないと思った自分が恥ずかしい、勝てないと少しでも思った自分が憎いと思いました。

もう1人、中学2年生で衝撃を受けた選手がいます。

宇佐美貴史(現ガンバ大阪)

サッカーしてる人なら誰もが知ってる宇佐美選手。
彼は飛び級でユースの試合に出ていたり、同年代の選手では間違いなく別格でした。

高円宮杯で全国決勝まで進んだ我がチームはガンバ大阪との決勝でした。
結果は1-2で敗戦。
ガンバ大阪で活躍してた選手は2年生の宇佐美を筆頭に僕と同年代の選手たちでした。

こいつらに負けたくないけど、現時点では明らかに差が開きすぎてると思いました。
差を埋めるべく僕は最上級生の3年生になります。

中学3年生

最上級生になった僕はなるべくサッカーに関わる時間を増やすために好きだったものを犠牲にしてサッカーに打ち込みました。

当時好きだったウォークマンを机の中に封印し、学校の教科書よりもサッカーの本をひたすら読んでました。(学校の勉強を適当にやってたわけじゃありません笑)

実際はサッカーの勉強をするってよりは、ただただサッカー好きだったから本を読んでいたってことです。
サッカー選手の自伝を良く読んでいました。

夏に開催されるクラブユース選手権では関東大会を勝ち上がり、全国大会に出場しました。
ベスト16で京都サンガと戦ったのですが、ここでも衝撃的な選手と出会いました。

駒井善成(現コンサドーレ札幌)

とにかく速い。ドリブルスピードが尋常じゃない。

現在はコンサドーレ札幌でボランチを主戦場としている選手ですが、当時は右サイドで生粋のドリブラーでした。
抜かれないために距離を取ったディフェンスをしても、それでも抜いてくる。

結局1-6で京都サンガに負けたのですが、駒井善成の衝撃しか頭に残らなかったです。

夏が終わってFC東京のユースに上がれるかどうかという面談があり、当初は5人ユースに上がれると言われていて僕は5人の中に入っていました。

ですが、2回目の面談時に「今年は4人しかユースに昇格させないから残念ながら昇格できない」と言われ、僕はあと一歩のところでユース昇格を逃しました。

当時の監督から「ユースにぎりぎり昇格できない代わりに行きたい高校どこでも入れてやる」と言われ、当時の僕はなぜか親元を離れてみたいと思っていました。東京の高校以外に行きたいと考えていて、山梨学院がサッカーに力を入れ始めていて、全額免除の特別待遇だったので山梨学院に進学することを決めました。(高校年代の話はまたの機会に投稿します)

ユースに上がれないことがわかり、進学する高校が決まり、残るは冬の高円宮杯だけになりました。

前年度準優勝だった僕たちは順当に東京都大会、関東大会を勝ち上がり、全国大会に進出しました。

全国大会のグループリーグも勝ち上がり、ベスト16で去年決勝で負けたガンバ大阪との対戦になりました。

中学2年生で衝撃を受けた宇佐美選手は飛び級でユースで活動していたため、今大会は不在でした。

不在とは言っても当時のガンバ大阪は実力者揃いで強かったです。

前半1分に失点し、なんとか1-1に追いつき延長戦までもつれたのですが、延長で失点し、延長終了間際にカウンターからさらに失点し、1-3で敗退しました。今でも覚えている、名古屋港サッカー場での敗退でした。

これで僕の中学生活が終わり、高校生活へと移り変わります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。 

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それでは次回の投稿でお会いしましょう!!

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