サッカーとの出会い〜小学生

出会い

僕がサッカーと出会ったのは3歳の頃です。
いや、正確にいうとサッカーボールに出会ったと言った方が正しいですね。

親の話だと、
「赤ちゃんの頃からふわふわの柔らかいボールで遊んでたから、3歳の誕生日に本格的なサッカーボールを買ってあげた」
と聞きました。

親に買ってもらったボールをひたすら遊びで蹴っていましたね。
自分では特にサッカーしてるって感覚はなく、ボールと遊んでいるって感覚で本当にひたすら蹴っていました。
この蹴り始めた頃に左足で蹴っていたらしく、現在は完全左利きになっています。
ちなみに右足は本当におもちゃです。左足で蹴るときに支えるだけの右足ですね。笑

プロになっていない自分が言うのもおかしいことですが、左足1本で勝負してきて、ある程度のレベルのサッカーが出来ていたので、左利きのプレーヤーは右足を特別練習する必要ないんじゃないかな?と思います。


小学1.2.3年生のサッカー

幼稚園の頃にひたすらボールを蹴っていたおかげもあり、小学1年生の時にはボールを蹴ることに関しては他の人よりも確実に上のレベルにいました。

小学1年生の頃に地元のサッカー少年団の国立SSSというチームに入りました。

特にセレクションみたいなのは無く、国立市のサッカー好きな子たちが集まって一緒にサッカーしようといったコンセプトのチームです。
SSSとはサッカースポーツ少年団の頭文字Sを3つ取ってSSSとなってます。(確か現在は名前が変わったのかな?」

とにかくボールが蹴ることが好きだった僕は、サッカー大好きで1年生の時はチームに同級生が少なく、一つ上の学年に混じってサッカーさせてもらっていました。

当時は学年とかよく分からなく、ボール蹴れれば楽しいって思ってました。

2.3年と学年が上がってもボールを蹴るのが楽しいといった感覚は変わることなく、家でもチームでも学校の放課後でも常にボールと共に過ごしていました。

小学4.5.6年生のサッカー

小学校4年生に上がると、他のチームから国立SSSに入ってくる子たちが多くなり、同学年の子たちとサッカーする機会が格段に増えました。

なぜ4年生で国立SSSに入ってくる子が多くなったかというと、国立SSSの近くにもサッカーチームがあるのですが、そのチームは3年生までしかチーム活動がなく、4年生からは他のチームに移らなければいけなかったからです。

そのこともあり、同学年の子たちと一緒にサッカーする機会が増えました。

そうなると、サッカーボールを蹴るのが楽しいと思ってやっていたサッカーへの心情が少しずつ変化していきます。

「こんなに上手な人いるんだ、ヘディングすげー、ずっと落とさずリフティングしてるー、走るの早いー。」と、国立SSSのチームメイトしか見てなかった自分は、他チームから移ってきた人たちを見て素直にすごいと思いました。

「ボール蹴るのは楽しいけど、サッカーは上手くならなきゃ楽しくない。」

いつしか、ボールを蹴ること自体とサッカーを切り離して考えるようになってました。

人前で努力してるのを見られるのがあまり好きじゃない僕は、家の前の壁に向かってボールを蹴ったり、学校に行く前の早朝5時過ぎに親が付き合ってくれて自主練のようなことをしていました。

今になって考えたら、ほんと自主練に付き合ってくれた親には感謝してもしきれないです。

そんなこともあり、チームでは中心選手として試合に出れて、6年生の時には都大会でベスト8になることができました。

都大会ベスト8になったことがきっかけに、サッカー人生が大きく動き始めます。

都大会で優秀選手に選ばれ、その優秀選手の中でも様々なセレクションがあり、運良く東京都選抜のメンバーに選ばれました。

そのメンバーで都県対抗大会があり、たまたま良いプレーが出来てらその大会でも優秀選手に選ばれました。

その大会後にチームの監督から家に電話があり、「孝太君がナショナルトレセンのメンバーに選ばれました」と電話で親が言われて、最初何のことだかわからなかったですが、親が大喜びしてくれて僕自身もなんか嬉しくなった覚えがあります。
(ナショナルトレセンとは、おおげさに言うと小学生年代の日本代表合宿のようなもの)

実は僕自身チーム活動してたのが、土日だけだったっていうのもあり、平日は友達とボール蹴って遊んだり、遊戯王カード、ミニ四駆、テレビゲーム、ゲームボーイで遊んだりと、ごくごく普通の小学生でした。

特別サッカーに注力してたわけでもなく、周りの子たちは平日もサッカースクールにかよったり、チームを掛け持ちしたりする子が多かったですが、僕は好きなことを好きなだけやってる小学生でした。

ですがサッカーボールは肌身離さず持ってたのは覚えてます。もうひとつは、サッカーボールは絶対手で触らないと自分の中で勝手にルールを決めて過ごしていました。

現在大人になって思うことは、


「やらされるサッカーよりも自分から進んでやるサッカーが1番大切だったんだな」


とつくづく思います。


ナショナルトレセンのトレーニングが静岡であり、そのトレーニングが終わって少し経ち、小学校から中学校に上がる際にどこのチームでやるかといった、チーム選びがありました。

僕の周りの子たちは中学校の部活でやる人がほとんどでした。

そんななか、ある子がFC東京ジュニアユースの練習会があるからちょっと行ってみるって話があり、僕もとりあえずその子の付き添いで一緒に参加してみようと思い、一緒に参加しました。

練習会では100人前後の子たちが来ていて、何グループかに分かれて試合をしました。ここでも運良く自分が思っていたプレーが出来て、FC東京のスタッフ陣の目に留まる事が出来ました。

練習会が終わった後、個別でFC東京のスタッフに呼ばれ、別室で「是非うちのチームに来てほしい」といった話をいただけました。もちろん即答でお願いしますと答えました。

とんとん拍子でFC東京の内定が決まり、むさしか深川(FC東京ジュニアユースは2チーム存在)どちらでも好きな方を選んでいいと言われ、自宅から近かったむさしを選びました。

ここから新たな中学生サッカー生活が始まります。

大切なこと

小学生年代で今思うと1番大切なのは先ほども述べたとおり、

自分から進んでサッカーをする

だと思います。

やらされてたら間違いなく途中で嫌になるし、中途半端で終わってたと思います。

自分の課題は自分で見つける。

課題がわからなかったら、周りに目を向ける。

それでもわからなかったら、自分の1番身近な人に聞く。(親でも友達でも)
監督やスタッフに聞くのも良いと思いますが、個人的には監督スタッフは自分の悪いところはハッキリと言ってくれない気がします。

あとは、真似する事が上達の速さを高めると感じました。

僕自身、中村俊輔選手のキックが大好きで、毎日壁に向かって中村俊輔選手のキックを真似て蹴り続けてました。


長々と話しましたが、これらが僕の幼少期〜小学生のストーリーです。

中学生年代の話はまたの機会に更新します。

諸井孝太☕️

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