選択的夫婦別姓のその先

選択的夫婦別姓、もう国民の7割が賛成って話が報道されてますが、所詮は選択じゃないですか。それよりも、名前を自由に決める権利の話がなんででないのかと思う。

我々の名前、姓も名も、自分で決めてないんですよ。芸名でも、ニックネームでもなんでもいいんですが、アメリカ映画よろしく、「スネークって呼べよ」でもいいんですが、どこまでいっても、公式の名前は、親に由来する苗字と、何らかの理由があって与えられた下の名前であって、自分で自分の名前を自由に決める権利が、我々にはないのです。つまり、自分が誰であるかをまず最初に表す名前は、他人によってつけられたものだっていうことです。

これ、なんかおかしくないですか?今の名前、、、まぁ気に入っているから別に変えようと思わない人はいっぱいいると思います。でもその名前、自分が呼ばれたくて自分でつけたんじゃぁないんですよ。それはつまり、

あなたの名前は、他人があなたをあなただと認識するためのものってこと。

逆に言うと、あなたは、他人にあなたのアイデンティティのトップにくるはずの名前を他人に決められたままで、それを自分の希望通り変えることが出来ないってことだよ。どんなに通称を使っても、パスポートには他人由来の名前がそこには印刷されるし、住民票も、戸籍謄本も、それは一緒だ。

山田太郎さんは山田太郎さんのままだ、それを野比のび太に公式的に変更することは出来ない。

じゃあ、自分が誰かっていうアイデンティティ的に、名前ってそんなに大事じゃないのか?

いや、大事だろ。じゃぁちょっと名前について考えてみよう。

そもそも名前ってなんであるのだろう。それは、識別するためだ。AとBとCに別々の名前を付けないと識別出来ないからつけるんだ。だからリンゴはリンゴだし、みかんはみかんだ。リンゴはしゃべれないからリンゴと呼ばれる以外にはない。では、ここで想像しよう、もしリンゴの妖精さんがいたらと。そしたらこう言うかもしれない。リンゴって呼ばれたり、アッポーって呼ばれたり、タオって呼ばれたり、正直ウザイからさ、ナシって呼んでよって。そしたら、こちらは困るわけだ。え、ナシですか。それは困ります、ナシは梨っていう別の果物が有るので、それは無しです。みたいに。

つまり、名前ってのは実は識別するためにあって、それは対象が自由に決めるものでは最初からないってことだ。つまり、あなたの名前は他人があなたを誰か別の人やその他人自身とは違う人間であることを識別するために他人によってつけられたものでしかないんだ。ただ、その名前で子供のころから育ったきたから愛着もあれば、自分のものだって思ってるだけだよ。もちろん、そのもらった名前が好きならいいんだけどね。でもどうやら名前自体は完全にあなたのものではないって感じてきたかも。つまり名前なんてものは本来、あなたがあなたの意志で考えるあなたとはだれかというアイデンティティに関しては、あまり重要ではないのだ。名前は所詮、不当低多数の人が識別するのに便利だから使っているにすぎない。だから自分で自由に変更する自由がない。

はい、だから夫婦の姓に選択権くらいあったっていいだろうくらいにしか思わない。でももっと大事なのは、その名前を自分で決める自由だ。自分で自分の名前を自由に決める権利だ。戸籍謄本に、住民票に、パスポートに、免許証に、保険証に記載される「おれ」の、「私の」、「あなたの」名前を自由に決めさせてくれよ。親からもらった名前が好きならそのまま使えばいいさ。でも、変更できる自由があるべきだよ。でも、名前変えると面倒だよね。それは、結婚して苗字を変えたことがある方は皆さん知っている。それは本当に大変だ。でも、ここで思い出そう。名前は識別されるためにあるということを。識別されるためには、何か自分にしかないものが公式的に記録されていればいいのだ。。。。。あるじゃん、マイナンバー。俺のマイナンバーはこの世に俺しか持っていない唯一無二の番号だ。つまり、戸籍謄本にクリスティーナ、住民票にゴンザレス、パスポートには大五郎と書かれていても、そこにマイナンバーが表示されていれば、同一人物だということが分かる。銀行ではクリスティーナさーーーんとか呼ばれ、会社では大五郎さんと呼ばれても問題ないんだよ。会社とすればマイナンバーXXXXXXXXXX(数字な)さんは今月出勤しており月給を振り込むだけだ。振込先の銀行は振込先はマイナンバーXXXXXXXXXXで確認できればよい。今や履歴書に性別を書かない時代だ。遠からず年齢も消えるだろう。残るのは、マイナンバーだ。

そしたら、名前決定の自由が手に入る。

もし名前があなたを表すのなら、この自由は、あなたの手にあるべきだ。






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