ベートーヴェンの第9とは

2020年はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが誕生して250年周年の記念年である。世界中で彼の曲が沢山演奏され、ここ日本でも、普段でも多いベートーヴェンが、ここぞとばかりに演奏されるはずだった。オケ付き合唱曲、第九や『ミサ・ソレムニス』、ちょっと渋い選曲としては『ハ長調ミサ』、マニアックなところでは、『オリーブ山のキリスト』、そして前プロに『合唱幻想曲』が増えるだろう、そう思っていた。どれもそれぞれに演奏する意義があり、色々な体験になると思っていたが、これらは殆ど全てが消し飛んでしまった。

さて、2020年も12月になり、少ないながらも第9が演奏されているのを見かけるようになった。それを横目に、筆者が今年、そして今こそ演奏してほしいベートーヴェン・プログラムについて思い出したので、記しておきたい。このプログラムは筆者が考える250周年の節目に演奏するのに真にふさわしいものと考える。3月に演奏が予定されていたが、コロナの影響でキャンセルされてしまった。

さて、それはどのようなプログラムであろうか。

それは第九の初演プログラムの再現である。

 献堂式序曲
 『ミサ・ソレムニス』よりKyrie、Credo、Agnus Dei
 交響曲第9番

以下では、上記のプログラムが相応しい理由を考察する。そのため、まず、ベートーヴェンに関するいくつかの事実を列挙し、そこから導き出されるベートーヴェン最晩年のメッセージは何かを考察し、第九の初演プログラムこそが、そのメッセージを伝えるのにベートーヴェンが周到に組んだものであることを主張したい。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年12月に、旧西ドイツの主都ボンで、生を受けた。もちろんベートーヴェンが生を受けた当時は、まだ、ドイツという国家はなく、大小300ともいわれる領邦国家に分かれており、各地域で独自の統治を行っていた。さて、幼いルイージが洗礼を受けたボンの教会は、聖レミギウス教会であった。そこはミノリーテン系の宗派、すなわち、アッシジの聖フランチェスコを始祖とする宗派だったという。この宗派は自然への愛好、人間同士の友愛、そして驚くべきことに、異教への寛容性も持ち合わせていた。ベートーヴェンは教会のオルガン奏者にあこがれ、自ら志願してそこで研修を積むほど教会や神、キリスト教に慣れ親しんで育ったのであった。そんなベートーヴェンが心血を注ぎ、足掛け4年もかけて1822年に書き上げたのが、『ミサ・ソレムニス』である。
『ミサ・ソレムニス』はベートーヴェンが、「自分の最高の作品」とした曲であり、その言にふさわしく長大であり、複雑なリズムと容赦のない高音、その次の瞬間には祈りの音楽が現れ、これでもかと人間の限界に挑んでくる、まったく挑戦的な曲である。また、キリエの冒頭にベートーヴェンが書き入れた以下の大変有名な言葉がある。

"Von Herzen ― möge es wieder ― zu Herzen gehen"(心から出で、願わくば再び、心へと至らんことを)

この何とも意味深な言葉は自筆譜のみに書かれており、その後の出版譜や筆写譜には書かれていないため、自分自身もしくはこの曲を献呈されたルドルフ大公に個人的に宛てたものと現在はされている。心から出て行ったのが何なのかが書いていないので、実際何を語っているのか分からない言葉であるが、これをキリエという、まさに最初の曲の冒頭のページに書き込んでいることは留意しておくべきであろう。
 さて、この「最大の曲」は、その複雑さが災いし、中々世間には受け入れられなかった。いくつか紹介しよう。

 「規模とメッセージの両面において規範を逸脱している」1828年。
「私はしばしばこの作品を通して考察したが、その度に驚きの目でみつめ、曇った気持ちで元に戻す」1832年。
 「ほとんど混乱ととり違え」1877年。

この曲の肯定的な評価が確立するのには、ワーグナーの登場を待たねばならなった。しかし、それでも、哲学者・社会学者のTh. W. アドルノによれば、「そうたやすく理解されるはずのない」(音楽社会学序説、89頁)曲とされている。
 以上のような批判を受けた『ミサ・ソレムニス』であるが、ベートーヴェン自身は、真の宗教音楽としてのミサを書いたと自負していた。「最近の宗教音楽はオペラと化してしまった」と吐き捨て、1807年に作曲したハ長調ミサ以後温めていた、「古い教会調」やアカペラを用いた「真の教会音楽」を作曲したのである。しかし興味深いことに、ベートーヴェンのミサ曲の作曲時期の日記には、バラモンやヴェーダなど異教の経典や、カントなどの哲学書からの引用などが書いてあり、ベートーヴェンの目指した神が、キリスト教の教えに存在する神を超越したような何かであったことが窺えるのである。ベートーヴェンという革新と挑戦の作曲家は、真であることを誠実に目指したために、伝統的規範から逸脱した巨大なミサを作曲したのである。
次に、ベートーヴェンは『ミサ・ソレムニス』をオラトリオとして演奏できるとしている。サンクト・ペテルブルクにおける初演においても「オラトリオ」として初演された。これには、外的な理由があった。まず、オラトリオのほうが、ミサ曲よりも演奏機会が多いことがあげられる。また、ベートーヴェンが住んでいた頃のウィーンでは、ミサのような教会で演奏されるべきジャンルの曲を教会の外で演奏することは禁止されていたので、この長大なミサが演奏されるためには、オラトリオと呼んだ方が都合よかったこともあるだろう。さて、ここが問題だ。なぜなら、演奏されるためにベートーヴェンが嘘をついたことになるからだ。本当だろうか?


 筆者は、ベートーヴェンが嘘をついたとは思っていない。筆者は、ミサ・ソレムニスをミサの典礼文でありながら、オラトリオのような物語がある曲として聞くことが可能だと考えている。詳細は後述するが、ここでは、第9初演時に演奏された3つの楽章を繋ぐことでそれは達成されるとだけ言っておきたい。
 さて、ベートーヴェンは同時に複数の曲を作曲するのを常としていた。『ミサ・ソレムニス』の時期は、他に何を作曲していたのであろうか。有名なところでは、最後の3つのピアノソナタがあるが、最も重要なのは、交響曲第9番、そう、『第九』である。『第九』と『ミサ・ソレムニス』は並行して作曲されていた。あまり語られることは無いが、ベートーヴェンは最初第九の終楽章として全く別の曲を作曲しており、それが完成していたら、合唱無しの崇高な交響曲となっていただろう。しかしベートーヴェン何故か元々の構想を破棄してまで、合唱付きの第4楽章を作曲したのである。その理由はなんであったのか?

 周知のように、ベートーヴェンは若いころからシラーの歌詞を溺愛しており、いつかこの歌詞に作曲をしようと思っていた。第九はイギリスからの依頼で作曲していたので(交響曲2曲の依頼)、カンタータなり、オラトリオとして別途作曲して、セットで売り込んでも良かったはずである。しかし、わざわざ自らが書いた40分以上の素晴らしい音楽を「おお、友よ、こんな調べではない」などという自己否定をしてまで、シラーの歌詞を、使いたくなったインパルス、それは一体何であったのだろうか?

 ベートーヴェンがカンタータとして作曲せず、交響曲に拘った理由に、当時ドイツ観念論の哲学者達による交響曲論の影響があったと思われる。カントを読むような人間なので、当然知っていたと思われる。それは、誤解を恐れずに端的に書けば、以下のようになるだろう。

交響曲はあらゆる政治的・言語的境界を超えた、ひとつのコスモポリタン国家を表象しており、多様なものすべてが理想的に調和する社会を音響で表している。それは、大規模な合唱作品のように、「人間性の普遍性」が見えてくる、すなわち、個別のものが溶解し、ひとつとなるものである。

上記のように、交響曲は全人類の理想郷、ユートピアの表象であるとされていた。従って、そこに人類愛を説く歌詞をいれ、第4楽章をあたかもカンタータのようにすること自体には、理念上の矛盾はなかったし、むしろこの場合は正しい選択であったように思われる。

 次に、第九において注目したいのはベートーヴェンが、シラーの詩を全部そのまま使ったわけではなく、好きなように選びつつ、順番も変えていることである。これはベートーヴェンが言いたいことをより効果的に伝わるように選んだわけであるが、興味深いことに、この人類愛を歌う詩にそぐわないとして当時から批判されていた箇所が選ばれている。

Ja, wer auch nur eine Seele
そうだ、たとえたったひとつの魂(1人)であっても
Sein nennt auf dem Erdenrund!
自分のものと呼べる人が世界の中にあるのならば!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
そしてそれができないものは、
Weinend sich aus diesem Bund!
涙しながらこの集まりの外へそっと出ていくがいい。

人類皆兄弟ではなかったのか?この箇所は、この人類賛歌に暗い影を落とすとして、当時もシラーは批判され、削除すべきと言われていた箇所である。何故この部分が必要だったのだろうか。残念ながらこれについて歴史的資料は沈黙している。しかし、筆者はこの部分こそベートーヴェンのメッセージが端的に表れている箇所だと考えており、この問に答えることが、第九の初演のプログラムの意味を解き明かすと考えているが、その答えは、あくまで推論となる。そのことを踏まえたうえで、以下、まず、ここまでに出た事実を振り返り、第九の初演のプログラムにもう一度立ち返り、筆者の推論を展開したい。

事実1:ベートーヴェンは、自然への愛好、人間同士の友愛、異教への寛容性も持つ敬虔なクリスチャンであった。
事実2:「心から出で、願わくば再び、心へと至らんことを」を曲の冒頭に書き込み、何らかのメッセージを想定した。
事実3:『ミサ・ソレムニス』はオラトリオとして演奏可能
事実4:交響曲に理想国家の表象であるとされていたので、合唱を加えて、人類愛を語るのに最高のジャンルであった。
事実5:シラー詩から、当時批判があった箇所を採用した。

次に、第九の初演のプログラムをもう一度記す。

 献堂式序曲
 『ミサ・ソレムニス』よりKyrie、Credo、Agnus Dei
 交響曲第9番

なかなか長大なプログラムであり、オケにとっても歌手にとってもタフで挑戦的であるが、前半のミサ・ソレムニス抜粋および第9の最後で合唱がでてくることから、これ聴いた当時の聴衆は、大変に長いオラトリオを聞いたような印象があったであろう。しかし、聴衆の受容はここでは追求しない。

 では、まず、何故、『ミサ・ソレムニス』から、上記の3つが選ばれたのか考察したい。実は、この演奏会は『ミサ・ソレムニス』のウィーン初演でもあった。であれば、全体を演奏したいはずである。その真の姿は省かれた2つの楽章もあってのことだからである。しかし、ベートーヴェンはKyrie、Credo、そしてAgnus Deiを選んだ。それはこの3つを持ってオラトリオとしての物語が形成されるからだと筆者は考えている。

Kyrie(主よ、憐れんでください)、                 Credo, credo in unum Deum(わたしは信じる、信じる、ひとつの神を)、Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis(神の小羊、世の罪を取り去る方、憐れんでください、わたしたちを)、            そして最後は、dona pacem, pacem(与えてください、平和を、平和を)。

Kyrieの冒頭を聞いてほしい。力強いファンファーレが鳴り響いたあと、なんと厳かな音楽だろう。ゆったりした歩み。まるで神が遠くから民衆の前に歩んでくるようである。ほんのりと気分が高ぶり、合唱が入る。ファンファーレと同じ音型で「主よ!(Kyrie)」。そして、この「主よ」という呼びかけを3度繰り返すのである。ここで大事なのは、本来これはKyrie eleison(主よ、憐れんでください)という1文なのである。ベートーヴェンはそれをKyrie単体で3回歌わせたのだ。目の前に歩んできた神に向かって叫んだのである。

中間部では、Kyrieの部分がChriste『キリストよ』に変わり、若干テンポが速くなる。短い中間であるが、ここで強弱は小さくなり、『憐れんでください』という祈りへの想いは、ささやくように指定されているようだ。それは当時としては圧倒的に珍しいPPPの使用をみても明白であろう。しかし、祈り心の大きさは逆説的に大きくなるようだ。PPPの直後に再び『主よ』の部分に戻る、一人祈りに落ちていったベートーヴェンが我に帰ったかのように。この楽章は最後に落ち着いて楽章を閉じるのだが、その直前のKyrie eleisonに与えれればリズムと強弱が完全に単語の持っている強弱から逸脱しており、非常に不自然な書かれ方がされている。これは何を意味するのだろうか。神への不信か、それとも自身の自信の無さの現れだろうか。

神を賛美するGloriaは省かれている。はっきり言ってGloriaはベートーヴェンが書いた華々しい曲のなかで屈指の出来栄えであり、この楽章だけブラボーをもらうのは間違いがない。にもかかわらず、晴れのウィーン初演で省いたのである。さて次の楽章はCredoである。

 CredoもGloriaに負けず劣らずパワフルな曲だが、その構成ははるかに複雑でドラマティックであり、まさに破格という言葉が相応しい楽章となっている。また、歌詞に呼応した描写および心理表現がたくみである。細かく分けられたセクションを大きく纏めれば、覇気に満ちた前半部、鎮痛なキリストの死を表す中間部、そして復活の喜びに満ちた部分の3部に分けることが出来るだろう。各セクションのキャラクターの違い、その表現の違いに注目されたいが、特に第3部の2つの壮大なフーガはベートーヴェンの作曲した全てのなかでも特筆に値する壮麗なものである。

 Credoとは、私は神を信じますという意味である。その流れで神を讃えるというのが第1部となる。録音を聞いていると分からないのだが、楽譜に無数の強弱記号がありベートーヴェンが演奏するにあたってどれだけの要求をしているのかがうかがえる。まるで歌曲を一人で歌うときに名歌手がするであろうことを全部記載したかのような細かさである。一聴この楽章が壮大なだけに聞こえるが、それはベートーヴェンの指定を守るのがどれだけ至難の業であるかの証左である。

 さて、中間部は短いが鎮痛なキリストの死を表す部分である。ここではベートーヴェンの「語り」に注目したい。それはetが2回アカペラで歌われる179小節と180小節である。etは「そして」という意味である。英語ならandですね。このetをその前後と合わせると、passus, et sepultus est.となり、意味は苦しみを受け(Passus)、そして(et)、葬られた(sepultus)、となる。ベートーヴェンはここで歌詞を以下のように繰り返す。

passus, passus, passus et sepultus est. et et sepultus. et sepultus est                  crescendo------f---dim-p-dim--------- pp-------------p------------pp

 強弱の指示を付けてみると分かるが、苦しみ(Passus)の間はどんどん音量が大きくなり、最初のそして葬られたの箇所でストンと弱くなる。それに続くのは、etである。上記を日本語にしてみるとこんな感じだろか。

苦しみ、苦しみ!苦しみ!!!そして葬られたんだ。         そして、、、そして、、、葬られたんだ。

この文章を上記のダイナミクスを取り入れて朗読していただければ、これがどれほどドラマティックであるか感じていただけると思う。そして、ベートーヴェンが合唱に対してどれほど細かいニュアンスを求めていたかを。

 そして曲はこの直後一変する。キリストが復活するからだ。ここからの音楽は、筆者には喜び全開で、飲めや歌えの大騒ぎであり、踊りあかすような大パーティーのように感じている。特に有名かつ最難関である2重フーガは、Et vitam venturi saeculi Amen、そして来世を待ち望む、というたったこれだけの歌詞で、いや、まあ聞いてください。乾杯しているのが目に浮かびますから。

 さて、これほどの大騒ぎをして喜んだはずなに、Agnus Deiの冒頭は深い恐怖をいだいた男(バス)が「我らをあわれみたまえ」と歌います。本来ならこの楽章前にSanctusが歌われるのが通常のミサなのだが、これも割愛されてしまう。因みに、ミサ・ソレムニスのSanctusはこれまたベートーヴェンが書いた緩徐楽章としては屈指の出来映えであり、本当に美しい。Gloriaといい、Sanctusといい、やればこれだけで拍手喝采となる楽章は容赦なく省かれたのが第9の初演プログラムなのだ。

 Agnus Deiは6つセクションに分けられ、以下のように表すことが出来る:A-B1-C-B2-D-B3。BセクションのDona Nobis Pacem(平和をお与えください)が3回繰り返されるのが特徴的である。Aセクションは、ゆったりとしたテンポのなか、バスのソロが『神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らをあわれみたまえ』と歌うが、懇願するその様は、キリエの時よりも重く、暗く、ベートーヴェンの中にある平和への希求が非常に強く表出されている。Bセクションは天上の安らぎのなか平和への祈りを歌う。Cセクションは短いが戦争を思わせるようなトランペットのファンファーレ伴いながら、ソリストにはängstlich(怒ったように)に歌うように指示がある。すぐにB2が現れ再び平和への祈りが始まる。Dはフガートで始まるが、すぐにCよりも明確に闘争の音楽に変わり、苦悩する半音階をへて合唱が神を呼び、平和をと叫ぶ。それはB3に回収されるが、Bの前半は割愛され、後半の群衆的な叫びの部分が強調される。そして、音楽は静まっていき、終わろうとする刹那に、遠くから、かすかに、しかし確実に戦争の音が聞こえるのである。全曲はそれを振り払うかのように力強く結ばれる。

 さて、ここでこの曲を知ってる人間なら知っているある問題がある。それは、この楽章の締めくくりがかなり唐突で、ベートーヴェンらしいスカッとした終わりになっていないことである。いまいち、座りが悪いのである。筆者も最初はそのように思っていた。しかし、上述したような作曲期間中の事実を知るにあたり、ある結論にたどり着いた。このエンディングは開かれている。つまり、To be continuedなのである。いや、ある意味ではちゃんと終わっている。しかし、スピンオフがあるのだ。それについて検討するまえに、Agnus Dei全体の構成に立ち返り、この楽章のドラマ性を確認しよう。

 ポイントはBの世界とそれ以外の世界という2重構造である。B1,2,3ではDona Nobis Pacem(平和をください)と祈りを歌うが、その他の部分は(あわれみたまえ)を歌うのである。つまり、憐れんでくださいー平和をくださいの繰り返しである。しかしBの部分は基本的にそこに戻ってきていることがわかるように拍子もテンポも統一している。それはある固定された場所を表しているようだ。そう教会のような。他の部分はそうした統一性は無い。筆者には、それが教会の外の状況のように思える。そのように考えたとき、Agnus Deiは以下のようなNarrativeが浮かび上がる。

A:バスのソリストが憐れみたまえと言いながら、外から教会へ入ってく。

B1:教会のなかで信者たちが平和を与えてくださいと歌う。

C: 再び外のシーンで、教会に入ってしまったバス以外のソリストが、怒ったように憐れみたまえと歌う。ここでは戦闘的なトランペットとTimpが印象深く鳴る。

B2:再び教会の中。平和を与えてくださいと歌う

D:楽器陣による半音階と再びトランペットとティンパニが登場し、こんどは嵐のように鳴り響く。

B3:再び教会の中。平和を与えてくださいと歌い、救済が来たか?と思わせるように静かになるが、突然音楽は停止して、timpの不規則なリズムによるソロになる。これは2度繰り返されるが、2度目のリズムは1回目よりさらに不規則でり、かつ、より小さく演奏される。打楽器にPPでソロを与えると言う破天荒さ。しかしそれは破天荒というより、聴き手に混乱を与えるのである。誰もが迷うのである、このtimpには何を意味しているのかと。このあともう一度平和をと合唱が歌ったあと、音楽は唐突にffになり、上昇音型とともに、終わる。

さて、B3はいったい何を表しているのであろうか。結論から書こう。筆者は、この楽章の最後にAでソロを歌ったバスが決心して教会から「力強く」飛びだしていったところで終わったのだと思っている。そしてそのバスは、「おお友よ!そんな調べではない!」と力強く歌うのである、そうあの第九の第4楽章で!

 今直感的にこの繋がりが分かったあなた人、居るよね?ベートーヴェンが生きた時代は、フランス革命の時代であった。ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位したときに、献呈予定であった第3交響曲の表紙を破りすてたという有名な逸話があるように、ベートーヴェンにとって、人類の平和は、異教徒すらも寛容を持って受け入れる精神で希求すべきものであった。
しかし、それは、神にお願いをすれば与えられるものと、ベートーヴェンは果たして思っていたのだろうか。私は、否、であったろうと思う。だからこそ、『ミサ・ソレムニス』が完成する頃に歓喜の歌を使用して作曲しなければならなかったのだろう。ベートーヴェンは、神を信じつつ、平和自体は、それだけでは決してなしえない。それには、人間が主体的に動かなければならないと思っていたのだろう。だからこそ、Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!の部分が必要だったのである。平和は、神の助けを得ながらも、能動的にそれに向かって動かなければならないのである。単に、人類皆兄弟と言っているわけではないのである。ベートーヴェンはミサ曲に物語を持たせオラトリオ化しつつ、第九に理想の国家像を表象させ、その初演においては、『ミサ・ソレムニス』から続く物語を、第九で完結させるため、前プロにミサ曲から最も壮麗なGloriaと美しいSanctusを省き、この3つの楽章を選んだのである。これにより、ベートーヴェンのメッセージは明白であろう。それは、以下のように言うことが出来るだろう。

祈って待っているだけではダメだ、(キリスト者も、イスラム者も、仏教も、神道も、バラモンも)一致団結して進もう、平和を作るのは、我々人類なのだから。

以上、ベートーヴェンのメッセージは第九と『ミサ・ソレムニス』の組み合わせである第九初演プログラムをやることで明白となることが分かった。すなわち、2020年の生誕250周年にやるにもっとも相応しいのは、第9初演プログラムの再現なのであり、このメッセージこそ、今世界に向けて発信する意義あると筆者は信じる。


 

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