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アンビバレント・ヘブン 第1話 「死にたがりの少女」

あらすじ

「俺は冷月。あの世とこの世を繋ぐ案内人コンダクターだ」
 死後の世界。彼岸省厚生課に所属するメガネをかけた青年・冷月は、自殺者が増えすぎた現代において、生死を彷徨う魂を更生させ、現世に返す仕事をしている。

 厚生課に依頼されてくる魂はそれぞれの悩みを抱えており、現世に返そうにも一筋縄では行かない。時に負の心が生み出す妖異を祓い、時に魂を狙う悪魔と戦いながら、冷月率いる厚生課はあの手この手を使い、依頼をこなしていく。

 天界を舞台にしたヒューマンドラマ×バトルアクション、開幕。

「どうか、私を殺してください。」

「頼む、殺してくれ。」

「もう死にたいの。」

 愁色しゅうしょくに染まる人の顔。生きる希望を無くした瞳は灰色に濁っている。
 青年は応える。人の願いに。

「わかった。」

 青年は、この救いのない世界で、絶望の淵に立つ魂を幇助ほうじょする。

「ありがとう。」

 そう感謝して、息を引き取る人の顔は、苦しみから解放されたように穏やかだった。

 そんな青年が死んだ。通算七度目の死だった。辺り一面、白の光に包まれた、少し眩しい四畳半の小部屋。真っ白な死装束に身を包む青年は、自分の手を見つめた。何度転生しても血に染まる手は、どんな悩みでも包み込むように大きく、凍った心を溶かすように温かかった。
 そんな青年を前に、少女は声をかけた。

「どうする? 貴様は人殺しだ。このまま罪を受け入れ地獄に行くか、人の魂を救うために私たちと彼岸省で働くか。」

 「好きな方を選べ。」目の前に佇む少女は、やや重ための生地でできた白のプルオーバーに、首元には真っ赤な半襦袢を覗かせている。赤いミニスカートも相まって、巫女服のようなカラーリングの衣装に身を包んでいる。そんな少女が持つ、静かに燃えるような緋色の瞳は、その色とは反対に氷のように冷たく、その声色も自然と背筋の伸びるような凛とした声だった。選べと迫ったわりに、青年の決断には別段興味もないと言ったように、外はねのショートボブに整えられた黒髪を人差し指に絡めていじっている。

「俺は——、」

 ——救いたい。

 ——叶うのなら、人を生きる喜びへと導きたい。

 少女はゆっくりと顔を上げると、初めて青年に興味を持ったように近づいた。

「先に言っておくが、楽な仕事ではないぞ。なんなら、地獄にいるより過酷かもしれん。彼岸省に入れば、もう二度と転生もできない。その覚悟はあるか?」
 
 ——もちろんだ。

 少女は大きなため息を吐くと、青年に背を向け、着いてこいと合図した。

「貴様、名前は?」

 背を向けたまま、投げかける。

「……冷月れいげつ。」

 青年は少し考えてから名乗ると、少女の背中を追った。
 
 * * *

 ——神様はいつだって理不尽だ。

 道路の真ん中、少女は仰向けに倒れていた。顔に当たる雨粒が鬱陶しく、あまり目も開けていられなかった。ズキズキと痛む頭に顔をしかめてみても、その痛みが和らぐことはなかった。状況を把握しようにも、思うように動かない体に、少女は諦めたようにため息を吐いた。
 「誰か救急車を、」そんな声が聞こえた気がした。放っておいて、と返そうにも、掠れた声は雨音に消えてしまった。

「でも、よかった。」

 ——私なんて死んで当然だ。死ねてよかった。

 少女は目を閉じて、長い眠りについた。

 再び目を開けた少女の視界に映るのは、辺り一面の白だった。眠る前に渡った交差点も少女を轢いた乗用車もなかった。雨も止んで温かな光に包まれている。開けた空間には壁はなかったが、少女を囲むようにいくつかの扉が備わっていた。
 空には薄ピンクの雲がかかっていた。想像するような天国とは、ちょっと違うなと思いつつも、死ぬことを望んでいた少女は、すんなりと状況を受け入れた。
 少女——純蓮すみれは重い体を起こした。
 体に痛みが全くないのに気がついたのは、目を擦った後だった。
 ふと体に目を落とすと、身に纏っているのは高校の制服だった。紺色のセーラー服は汚れたり破れたり、目立った綻びはなかった。事故にあったはずなのに、体にも傷ひとつなく、血も出ていなかった。
 純蓮は、はっと思い出しておでこを触ると髪の毛とは手触りの違う硬いものに触れる。それは純蓮にとって思い入れのある、薄紫のヘアクリップだった。それを確認した純蓮は安心して胸を撫で下ろす。
 死にたかったはずなのに、怪我もなくヘアクリップも無事なことにホッとするなんて、矛盾しているな、とは感じながらも、血みどろよりかは死んだ後も綺麗な方がいいかと脳内でぐるぐる考えていた。

「あれ、思ったよりも冷静?」

 声のする方を振り返ると海軍兵のような白い軍服に、シンプルなジャボ、そして金色に輝く肩章をつけた黒縁メガネの男がしゃがんでいた。年は純蓮よりいくつか上だろうか。

「……え、あ、神様……?」

 聞きたいことは山ほどあるのに、それをうまく言葉にできないのは昔からの悩みだった。

「神? ではないな。俺は冷月(れいげつ)。この世とあの世をつなぐ案内人(コンダクター)だ。」

「こん、だくたー……?」

 聞き馴染みのない言葉を反芻していると、

「なーにがコンダクターよ厨二くさい。」

 ばちっと何かを叩く音が耳に入った。

「私たちは厚生課でしょうよ。」

 男性の後ろで仁王立ちをする女性は、こめかみから突き出た二本の黒いツノと、尖った耳が特徴的だった。女性はピンク色の髪の毛を後ろで一つに括っており、センターパートに分けられた前髪は整った顔を強調させている。メガネの男と同じような白の制服は、肘の辺りまで捲られており、スカートの丈も短かった。その白は彼女の褐色の肌色を引き立てている。そして、バインダーを支える右手には長い爪が生えていた。

「いっ……せめてそこは彼岸省『更生課』くらいカッコよく訂正してくれよ。」

「いや字が違うから。で、この子が今回担当する子?」

 頭をさする冷月を気にも留めない女性は純蓮に目をやる。鋭い眼光が少女を睨むと、純蓮はビクッと肩を震わせた。

「そうそう、ちゃんと書いてあったろ?」

 何が何だかわからない純蓮は口を挟むことすらできない。そんなこと今まで生きてきて一度もできたためしもないが。二人に目を向けていると、

「ほらー鬼の桃子が怖いってよ。お前もうちょっと人間に優しくなれよ。」

 睨まれただけで息が詰まるような威圧感は、桃子と呼ばれた女性が鬼であるから。鬼がいるということは、地獄に連れて行かれるのだろう。特に純蓮は騒ぐでも怯えるでもなく、ただ納得した。

「うっさいわね。人間なんか、嫌いよ。」

「またまたそんなこと言ってー。桃子さん更生課来て初めての仕事でしょ。」

「だから何?」

「そんなんじゃ人間みんな萎縮しちまうぜ。」

「……。」

 蚊帳の外。俯いて黙ることが正解だとは思わないが、こうなったらいつも気配を消して教室から出ていくのが日常だった。死んでもこんな苦痛を強いられるとは思っていなかった純蓮は下唇を噛んだ。

「大丈夫か?」

 振り返ると、冷月が目線を合わせて顔を覗き込む。よく見ると染めた茶髪こそ派手だが、少し垂れた二重の整った目がレンズ越しに覗く。アイドルのように整った顔に、正直純蓮はキュンとした。今まで十六年生きてきて、異性とこんな近く顔を合わせたことはなかった。なんだか恥ずかしくなって目線を逸らした。

「あんたこそ嫌われてんじゃないの?」

「ちがうわい! ちょっと恥ずかしくなっただけだって。今までこういう経験してこなかったんだから。」

 ——え?

「なんであんたが知ってんのよ。」

「この鏡が教えてくれるんだよ。」

 どこからともなく現れた、装飾のついたでんでん太鼓のような手鏡をブンブンと振り回す冷月に、桃子は「ふーん。」と、感心した声を漏らした。
 純蓮は顔から火が出るような気持ちだった。心を覗かれているようで堪らなくなった彼女は、いよいよ泣き出してしまいそうなくらい惨めだった。
 嫌だと意思表示すれば良いのに、それも言葉にはできなかった。「どうして知ってるの?」の一言さえ、詰まってしまう。
 顔を両手で包んで誤魔化すので精一杯だった。

 ——こんなんだから、いじめられちゃうんだろうな。

 現世で純蓮をいじめてきた人間の顔が浮かんだ。どれだけ辛い思いをしても、彼女は嫌だとは言えなかった。
 教科書を破られても、体操服を隠されても、教室に入った瞬間会話が止み、一斉に注目が集まる痛い視線も、全て受け入れた。
 自殺してしまう勇気はなかったけれど、今すぐにでも死んでしまいたいと、希死念慮を抱えて生きてきた。

「——あいつまだ学校来てるよ。」

「——死んじゃえばいいのにね。」

 ——本当にその通りだと思った。だって私が、あやめを。

「さてと、まずは状況を説明しなくちゃな。」

 優しい声が、純蓮を現実に引き戻す。もう一度向き合うと、冷月はにこりと微笑んだ。

「ここは彼岸と此岸の間だ。彼岸はあの世、此岸はこの世な。純蓮は交通事故にあったのは昨日だ。そして気がついたらここにいた。今一番気になるのは、自分が死んだのかってことだと思うが、厳密には死んでいない。つまりは臨死体験だな。此岸にある肉体から魂が抜け出した状態。ちなみに、此岸の純蓮は家族に見守られながら病室で眠っている。まあ生死は彷徨ってるから、時間はあんまりないんだけど。」

「そう、ですか。」

 純蓮は感心した。聞きたいことを聞く前に答えてくれることに。よく授業中に「質問はないか。」と聞く先生に手を挙げられず、自分の代わりに誰か聞いてくれないかと周りをキョロキョロしていた記憶が蘇った。
 しかし、心を読んでくれた嬉しさよりも、まだ死んでいないことに落胆した。

「安心しろ! 俺たちが必ず此岸に返して……あれ、生きてて嬉しくないのか?」

 純蓮はこくりと頷こうとして、そのまま顔をあげられなかった。

「悪いが、純蓮には生きるという選択肢しかないんだ。」

「どうして、ですか。」

 蚊の鳴くような声で聞くのがやっとだった。

「自殺者が年々増えているからだ。このままだと、彼岸が転生待ちの魂で溢れかえる。微力ながらもそれを防ぐべく、更生課が設立されたってわけ。」

 冷月は得意げに笑ってみせた。

「と言っても、此岸に送り返せる人間はほんの一握りだからなあ。ラッキーだな。」

 不幸にも現世に返るハズレくじを引いてしまったと解釈した純蓮は何も嬉しくなかった。そう簡単には死なせてくれないんだ。やっぱり神様って理不尽だ。

「どうして、私、なんですか……。」

 陰鬱な純蓮は顔も上げずに、ひとりごつように呟いた。

「これ以上あんたみたいな中途半端な魂増やしたくないのよ。転生してもすぐこっちに来ちゃいそうだし。」

 腕を組む桃子は心底迷惑そうに眉間に皺を寄せた。

「それとあと、一番は純蓮自身が変わりたいと思っているのが大きいと思うぞ。」

「変わり、たい……?」

 桃子とは反対に、冷月は再び優しい目を純蓮に向けて、手を差し伸べた。

「ああ。俺たちの目的は、変わりたいと思う人間を「厚生」して、「更生」して、此岸に帰すことだ。純蓮は、本当はまだ死にたくないって心の中で思ってるんじゃないか? 自分を変えたいと思ってるんじゃないか?」

 例えるなら神様だ。そうやって望んでもいないチャンスを強引に与える。けれども、まるで後光が差すかのような彼の手を取れば、何かいい方向にことが進むんじゃないかと、ほんの少しだけ期待する純蓮がいた。しかし、

「……そんなこと、ない。私は、変われない。」

「なんでぇ⁉︎」

 辺りに素っ頓狂な声が響いた。




#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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