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才能って言葉にどこまでも噛みつく

こんばんは
3作目書くぞい
ロックバンド「無才」のギターボーカル兼、卒論に追われる大学生をしている守時加菜です。

2日前、9日の朝9時に行きますと言って整骨院の予約を取った自分を、今日の自分が睨みつけてる19時です。あ、今2作目の夢を無理やり達成しようとしてます。

今回は不必要にもったいぶっていた、バンド名が何故「無才」になったのかというお話をさせてください。

まず、私は"才能" や "センス"という言葉が嫌いです。
きっと誰よりも努力して苦しい思いをしてようやく実ったアーティストや作家のことを、生まれ持った才能がある、あの人は天才だって言葉で片付けてしまっている世の中が嫌いです。
なんなら自分ができないことを、才能がないから無理だ、センスがないからできないと言って棚に上げている世の中も嫌いです。
そんな先天的な言葉は、生まれて1日にも満たない赤ちゃんが英語を話せた時なんかにかけたらいいと思います。
あくまでこれは私の個人的な意見です。と添えて書かなきゃいけない世の中はちょっと面白いです。

話が脱線しました。
居酒屋で話している人の会話なんか凄まじいです。
話の脱線が連鎖しすぎて、来た時はビールの話をしていたのに帰る時には何のために生きるのかみたいな話をしてたりします。好きです。

脱線しました。才能の話に戻ります。
私自身、3年前までバンドには全く興味がなかったです。でも大学に入って、1作目で書かせてもらったように底なしのバンド沼にはまって「バンドやってみてえ」って思うようになりました。
いざはじめようと周りを見渡したら、バンドを始める人の9割いや9.5割は、中学や高校からバンドが好きで楽器に触れていたり、音楽の専門学校に通っていたり、ある程度知識や技術のある、世の中でいうセンスのある人ばかりで正直ゾッとしました。
でも同時にこの風潮をぶっ壊したいとも思いました。

才能やセンスって言葉は本来後天的なものだと思います。
何かになりたい、何かを成し遂げたい、その一心で人知れず努力し続けた人が活躍すると、何もしていない人から見ると天才に見えるだけです。
今の私は才能もセンスもない、周りから見ると遅すぎるスタートなのかもしれない。けど、才能がなくたってセンスがなくたって天才でなくたって、かっこいいことすげえことできるんやってただ証明したいです。

そういう今の自分たちに向けて「無才」というバンド名をつけました。
本当にゼロからのスタートです。必死に前を追いかけるだけ。これから見守っててください。

でもたぶん、1番才能やセンスって言葉に縛られてるのは私なんだと思います。

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