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黒井健を追いかけて(3)

  黒井健さんの作品の中で、私が何度も繰り返しページを開くものの一つに『黒井健画集 ミシシッピ-900マイル、カヌーの旅-』(偕成社1988)がある。これは、実際の旅の経験を通して描かれたものだ。黒井さん自身のことばが、ほかのどの作品よりも多く掲載されている。

 『ごんぎつね』(偕成社)を書き上げた1986年に黒井さんは、カヌーでミシシッピ河下りに出掛けている。39歳のときだ。旅に誘ったのは、黒井さんより10歳若いセントルイス生まれのテイモシー・ラニング。彼は、黒井さんの友人であり、英会話の先生でもある。『ミシシッピ』に黒井さんとともに文を書いている。
 誘われたからとはいえ、キャンプもカヌーも経験したことがない黒井さんがなぜ、30日間もミシシッピ河をカヌーで下る旅に出掛ける決心をしたのだろうか。この本の「旅の終わりに」の中には「リラックスすることと、以前にも自転車で廻ったミッド・アメリカをもう一度訪れたかったため。」という理由が書かれている。一方、2012年の第5回お茶大ECCELL子どもシンポジウムの「絵本の挿絵について」という講演の中では「『ごんぎつね』を出して自暴自棄になっていた部分もあるのでしょうね」と、突然の川下りの旅の背景を語っている。この旅のために3つも生命保険に入ったというから、相当覚悟の上の旅だったことがわかる。

 9月から10月にかけての約1カ月、ミシシッピ河の源流、ミネソタ州のイタスカレイクから、ミズーリ州のセントルイスの手前までの約1400kmを毎日8~10時間ずっとパドルをこぎ続けるという、「大冒険旅行」だ。2週間パドルしたあとに、「河はまるで人生のようだ」と考え、20日も過ぎたころには、自分の本当の心を意識し、自分がどれほどもの者なのか認識したという。疲れ切った30日目には、川面の木の葉と同じように「ただ水にユラユラと流れていた」とある。あらゆる意識や思いからも解放され、河と一体化している黒井さんを想像した。毎日千変万化するミシシッピ河と向き合うことは、自身の人生と向き合うことと同義であったのだろう。

 この作品が描かれたのは、旅から2年後だ。壮大な旅の経験が熟成するのには時間の経過が必要だったのだ。身体の記憶はものはずっと残っており、「エッセンスだけが残って、絵としてはまた昇華していきます」(『絵本の挿絵について』お茶の水大学ECCELL お茶大子ども学ブックレットvol13 2014)と黒井さん自身が言っている。画集の絵は見る者に静かで、ゆっくりとした水の流れを感じさせる。視点は川の上からだけではない。町を旅人の目で見たり、川を俯瞰する高い位置から眺めたり、風景の中の一点になっている自分たちを描いたりする。絵に添えられた黒井さんの短い文は、詩のようだ。

 1988年7月に『黒井健画集 ミシシッピ-900マイル、カヌーの旅-』が出版されると、それを記念して東京原宿のクレヨンハウス3F美術館で原画展が開かれた。クレヨンハウス主宰の落合恵子は仕事友達の入院お見舞いにこの本を贈っている。贈られた人は「この一冊といっしょに、旅をしていたような気分だった」という。(『黒井健WORKS SINCEそれから』白泉社1999)この絵本は美しいだけではない、旅の忍耐やいら立ちも作品からにじみ出ているのだ。


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