Overture Maps Foundationの設立をどう読み解くか?
はじめに
2022年12月15日、The Linux FoundationがOverture Maps Foundationの設立を発表した。Webメディアでは「GoogleマップやAppleマップへの対抗軸」であるかのような書かれ方もされていて、国内でも一定の注目集めているようだ。
さて、発表であるが、OpenStreetMapやMapLibreなどのコミュニティが事前に関わっていたのでは無さそうで、コミュニティのメンバーからは、歓迎する一方で、驚きや戸惑いのコメントもいくつか見られている。そして、既存のコミュニティとはどのような関係性を持つのか、どのような影響を与えるのかについて、関心が集まっているようである。
これは商業的なアライアンスである
今回の動きは、Amazon(AWS), Meta, Microsoftという巨大IT企業が共同で設立メンバーになっていることで目立ってしまっているが、企業がオープンコミュニティやその資産をレバレッジにしてイノベーションを試みる商業的な活動の一つである。
これまで、マップ系のサービスは、Googleが支配的と言える程の影響力を持ち、Appleがそれに対抗するべく努力を行っている。この2社は、豊富な資金力を背景に、自社による地図データの整備と構築を徐々に拡大している。
一方、Amazon, Meta, Microsoftは自社で地図サービスを手がけているものの、それほど大きな事業規模では無く、地図データを自社整備することはしていない。その代わり、今回設立メンバーでもあるTomTom、あるいはHEREのような地図会社から商用データを調達するか、あるいはOpenStreetMapを採用するかという選択になる。これらの企業は一貫した仕様に基づいて品質保証された商用データ、多様性や網羅性に優れたOpenStreetMapsという、両方の良いところを併せ持った”ハイブリッド”な地図データを欲しているはずだ。
ところが、良いところ取りをしたデータを作るのは容易ではない。従って、Overture Maps Foundationの設立を通じて、こうしたニーズを満たそうというのが本意であり、企業側からのアプローチであってコミュニティ側のアプローチではないと私は見ている。
もちろん、OpenStreetMapコミュニティやこれと関連するコミュニティとの良好な関係構築を前提にしたものであり、このプロジェクトの成果の一部はコミュニティに還元されるであろう。
TomTomの思惑
私が今回の発表で最も注目したのはTomTomが入っていることだ。
TomTomとOpenStreetMapとの関わりは2021年から始まっている。そして、今年11月2日に、TomTomは自社の新しい地図プラットフォームの構築を開始することを発表しており、ここで地図エリアの拡大と詳細さ、新鮮さを提供するためにOpenStreetMapなどのオープンソースプロジェクトと連携すると説明している。
そしてこの発表の2日後に、MapLibreに寄付をする(わずか1万ドル;約130万円少々であるが)という発表もしている。
現在グローバルレベルでデータを自社整備できている地図会社はこのTomTomと、業界最大手のHEREの2社しかなく、両社共に自ら地図データを整備してきた。両社にとっては、OpenStreetMapはゲームチェンジャーであり、ライバルである。
TomTomは、2020年に発生したコロナ危機により、車両出荷台数に応じてライセンス料を受け取る契約形態のAutomotive顧客でのライセンス販売が低迷し、以来2021年、2022年共に多額の損失を計上(2022年は397億EURの売上に対して、94億EURの損失)している。これに対処すべく、人員削減を行っていることも知られており、経営状況は芳しくない。
地図データ会社にとって、最大のコストはデータ整備である。それは多くの人の手間を要する労働集約型の業務であり、人件費に対する生産性をいかに高めるかが収益に大きく響いてくる。そして、地図データ会社は、自動運転に求められる地図データ整備に対する投資に比重を置く必要があり、従来型のデータの整備にこれまで通りのコストを割き続けることは難しくなっている。また、TomTomの地図データのグローバルでの網羅性は新興国では芳しくなく、そういう地域ではOpenStreetMapが圧倒している現状がある。新興国ばかりか、TomTomが従来からカバーしていた北米や欧州ですら、OpenStreetMapのデータの方が網羅性や最新性で優れていることも珍しくは無い。TomTomにとって、競争力が劣りつつある自社整備のデータは重荷になりつつあり、その部分をOpenStreetMapの採用でコスト削減を実現しつつ、網羅性を補強して、残ったリソースは自動運転用途のデータ整備に充てたいのだろう。
設立メンバーは同床異夢
Overture Maps Foundationのメンバーシップになるための費用を見ると、設定されている年会費はかなり高く、運営メンバー(Steering)には年額3百万USD;4億円程)と20名のフルタイム従業員の参加が求められる。そして、Steeringメンバーだけが"Determine Technical Priorities for Overture Maps" つまりOverture Mapsで何を優先してやるのかを決められる。これだけの出費を正当化できる企業あるいは団体はそれほど多くないことから、実質的にこれはコミュニティプロジェクトでは無く、限られた大企業によるジョイントベンチャーのようなものである。TomTomにとっては、この事業の成否が自社の屋台骨にも関わってくるので、こうした枠組みを最大限活用して、自社の事業に取り込んでいくであろう。
今回の、Overture Maps FoundationのメンバーとTomTomとの関連だが、おそらく同床異夢である。MicrosoftはBingMapsでTomTomを採用しているという取引関係にあるから利害は一致している。一方のAmazonはTomTomのライバル企業のHEREとの関係が深く、Amazon Location ServiceではHEREを採用している(ESRIの地図の基データもHEREが提供している)。MetaはOpenStreetMapをベースとした地図サービス基盤をStamenと共同で構築してFacebookで使用していて、これはTomTomとは多分関係はない。Microsoftはともかく、AmazonとMetaにとっては、それほどこのプロジェクトの成功に社運がかかっているわけでは無く、一種のリスクヘッジのようにも見られる。
OpenStreetMapと関連するコミュニティとの関係
多くの人は、このOverture Maps FoundationがOpenStreetMapとはどのような関係にあるのかに興味を抱いたと思う。私もその1人だ。
Overtureの説明を読むと、OpenStreetMapデータ以外のデータを収集し、異なるデータセットを合体し、品質保証プロセスを確立し、構造化されたデータスキーマを定義していくと説明している。
確かにこうした取り組みは、OpenStreetMap本体の領域ではないが、OpenStreetMapのデータ資産を活用するために、誰かが組織的かつ継続的に行っていく必要がある。従って、Overtureがそこを担うとしているのは理解できる。ところが、こうした部分は既にOpenStreetMapコミュニティの周辺でこれまでも行われている。以下に例を挙げよう。
Mapboxが先行している
Overtureが予定している活動は、Mapboxがもっぱら自社サービスのために行っている。具体的には、データを整理統合し、不足するデータを補い、商用サービスとして使えるようにしていく一連のプロセスである。Mapboxが2019年にオープンコミュニティ指向からプロプライエタリへと戦略転換したことで、コミュニティとの互恵関係は薄れてしまい、今回のようなアライアンスとは縁遠くなってしまっているが、ともかくMapboxの内部には豊富な知見が蓄積している。
本来ならば、TomTomではなくて、Mapboxが今回の動きの中心になり得た可能性もあったと思う。ビジョンファンドから出資を受けてからは、Mapboxは主としてAutomotive市場での事業展開に注力しており、HEREやTomTomと競合する立ち位置になっている。しかし、今回の件でMapboxは大手IT企業とのアライアンスの可能性からさらに遠ざかり、同時にコミュニティとの関わりもTomTomが先行してしまいそうである。
MapTilerはどうか
コミュニティ側の動きとしては、コミュニティメンバーが設立した新興企業のMapTilerが、その役割を着実に担いつつある。MapTilerは以前から、OpenStreetMapのデータからOpenMapTilesを作成していて、OpenStreetMapのソースデータからロケーションサービスに至るまでの様々なデータ処理のノウハウを蓄積しつつ発展している。また、MapTilerはMapboxのプロプライエタリ化の直後にMapLibreを設立し、その運営にも尽力している。ただし、企業としてはまだまだ小規模で、多額の資金を有しているわけでは無く、Overtureのような規模の立ち回りはできていない。MapTilerにとって、今回のOvertureのプロジェクトには「なぜ自分たちと協業ができなかったのだろうか?」と少し困惑しているのではないだろうか。
OpenStreetMapの公式な反応
OpenStreetMapコミュニティは、Overture Maps Foundationの設立発表から1週間も後の12月22日に声明を発表している。声明の基調としては、今回の動きを表面的には前向きに捉え、今後のコミュニケーション歓迎すると述べている。
そして、OpenStreetMapコミュニティのコアバリューとして、
と書いていて、私はここにOpenStreetMapのプライドと、Overtureに対するある種の距離感を読み取ることができると思う。
OpenStreetMapとの関係は事業戦略の要
OpenStreetMapは現実世界を一定のルールに基づいてデータ化しているが、それは一筋縄ではいかない。国や地域による文化や制度の違いをどのように反映させるかは、コミュニティの中での粘り強く丁寧な議論の上で合意がなされ、それに基づいて属性が付与されている。
コミュニティが作成したデータに加え、オープンデータとして提供されている各国各地域のデータも追加されつつあり、リッチなデータセットとなっている。おそらく、グローバルでは、地域による違いこそあれ、他の地図会社が提供する商用データ(自動運転用途のデータを除く)よりも網羅性や多様性では上を行くと言える。
今や、マップ関連のサービスを展開しようとすれば、OpenStreetMapとの関係をどうするのかは事業戦略の要となっている。これは、Google、Appleのような巨大プラットフォーマーにも当てはまるし、実際にAppleは自社のマップサービスでOpenStreetMapを多く採用しており、かつ多大なコントリビューションも行っている。
HEREやTomTomのような、自社で地図データを整備してきた地図データ会社にとってOpenStreetMapはいよいよ無視できない存在である。OpenStreetMapをデータのコアとしてサービス展開するMapboxやMapTilerにとっては事業価値と継続性にそのものがOpenStreetMapに依存している。
もちろん、世界一律にどうすれば良いのかを論じてもあまり意味をなさない。展開する国や地域によって状況は様々で、例外的な国もある。日本では、顧客が求める地図データはグローバルで一般的に採用されているデータセットに加え、都市部での詳細データセットが必要とされる。住所体系も独特で、鉄道網の利用率も顕著に高いなど、他には無い特徴がある。これに対応するために、Google、Apple、HERE、Mapboxをはじめ、大半の企業が日本の地図会社が提供する商用データを全部または一部で採用している。別の例として、中国では、地図データに関しては厳しい規制があり、Googleはサービスを中国国内では提供していないし、Appleは中国国内でのみ詳細な地図を使うことができる。また、最近では国内からOpenStreetMapへのアクセス自体が制限されてしまっているようだ。
地図データは「公共財」
今回のOverture Map Foundation設立の発表でもわかるように、OpenStreetMapの存在が地図データ企業はもちろんのこと、大手IT企業の事業戦略レベルで影響力を与えるフェーズになっている。彼らは皆、位置情報とそれに関連するデータ・技術、そしてサービスが、事業継続の必須要素の一つであると認識しているのだ。
言うまでも無く、現実世界のデジタルツインである地図データは「公共財」であって、特定の企業や企業アライアンスが独占・寡占するようなものであってはならない。OpenStreetMapそしてFOSS4Gなど、関連するオープンソースコミュニティは、様々な企業側からのアプローチに対して、建設的なコミュニケーションを構築して、企業側がコミュニティに対して、相応のコントリビューションを求めるように活動をしていくことが望ましい。
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