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ホットケーキと父の思い出

みなさんも、ホットケーキには懐かしい思い出があるのではないでしょうか?

私の思い出は、父親が喫茶店なるものに

初めて連れて行ってくれたときに

食べたホットケーキの思い出です


ホットケーキを食べに行ったころ


私は小学校へ上がる前で、そのころ、
母が結核で入院していました

母親がいなくて

寂しい思いをしているだろうと

弟と私を、喫茶店なるものに

連れて行ってくれたのです


そのホットケーキは

家で食べたかもしれないホットケーキとは

段違いに美味しくて

分厚かったのです

メープルシロップをあるだけかけて

全部食べ切ってしまいました


父親との別れ


父親は、私が16歳の時に、交通事故で他界しました

ですから

父親と、人としての話をしたことはありません


まだ、父親を知る前に逝ってしまいました


その父親の思い出として

ホットケーキを食べた時のことは

鮮明に残っています



父と母との出会い


戦争が終わって、

まだまだ日本中が貧しい暮らしをしていたころ

ポケットに入れたお金をジャラジャラさせて

若かりしころの母とデートしたそうです


母は、そのころ大店の娘で

自分の母親のところへは毎日髪結いさんが通ってきていたそうです

そうして綺麗に髪を結って、お店に立っていたので

小さいころから、母親は家にいなくて、女中さんに育てられたそうです

暮らしは豊かだったけど

母親がそばにいなくて忙しい暮らしをとても寂しく思っていました


それで、結婚相手は勤め人で、自分は専業主婦になりたいと、

有能な商売人で、お店に婿入りしてくれるという人とのお見合い話を

断っていたそうです


若いころの母は、〇〇小町と呼ばれていたそうで

街を歩くと

声をかけられることもあったそうな


そんなころ、父と知り合い

勤め人だからいいかな〜と思って

親の反対を押し切って結婚したと

話していました


いざ、結婚してみると

貯金は全くなくて

長男の父の下に兄弟が多くて

その食事作りやお世話に明け暮れていたということです


何しろその頃は、薪でご飯を炊くのです

お風呂も、薪で沸かします

お洗濯は、たらいに洗濯板


昭和の初めころの映画に出てくる暮らしですよね〜


ずいぶん苦労して

のちに結核になり、療養所で1年近く入院していました

そのころのことですね、ホットケーキの思い出は


仲のよい二人


父は、母のことをとても大事にしていて

1年に1回、お正月に

家族をすき焼き屋さんか、お寿司屋さんに連れて行ってくれました


その時ばかりは大ご馳走です


家族が喜んでいるのを眼を細くして眺めている父の顔を思い出します


アルバムには

ずっと時代が良くなってから、やっと実現して

温泉に二人で行っている写真が残っています


苦労したこともあったけど

時々喧嘩をして、ちゃぶ台をひっくり返していた時もあったけど

仲のよい二人でした


分厚いホットケーキを見ると

可愛がってくれた父の姿と

寂しい思いも抱えていたあのころの

ほろ苦い思い出が蘇ります


私の住んでいるところにも

そっくりなホットケーキを出してくれるお店があって

スクリーンショット 2021-04-21 19.10.52

そこには

思い出に浸るために

ときどき行きたくなります

昔 書いた記事を発見しました
https://ameblo.jp/1000kurashi/entry-12374688015.html


あなたの思い出も聞かせてくださいね〜


それではまた!


500mlさんが、新しいnote用イラストを書いてくれました

まだ、みんフォトには載っていなかったのですけど、

使わせていただきました

いつも、どうもありがとうございます

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