見出し画像

貝の中

【写真は屋久島産夜光貝】

これは2015年に屋久島へ行った時の話です。

飛行機と宿の手配が終わり、気づけば滞在期間中に誕生日を迎え、また、予約から出発を待つまでの間に口永良部島で大噴火が起こるという、誕生日はまあ良いとして、旅行に行くタイミングとして、ちょっとどうかな?とは思いました。

福岡から屋久島へと向かう当日の飛行機には、(国交省)とプリントされたジャンパーを着用した国土交通省の方々が同乗しており、事の重大さを想ったのでした。この時は口永良部島全島民の方が屋久島へ避難されていました。

更にこの時期は、鹿児島地方で大雨による被害が多発しており、それを心配した友人達から旅のキャンセルを促されたほどでした。

この年より以前から、屋久島旅行を計画してはその度に、仕事や家庭の事情で行けない。という事が5年ほど続き、やっと行けると思ったら、先に書いた様な自然災害真っ只中という状況と重なってしまったのでした。

念のため予約していた宿に連絡を取ると、雨は降り続いているが、屋久島には噴火の影響は無いとの事でしたので、予定通り出発したのでした。

上空から、薄霧の中にこんもりと茂る青く透明な木々を抱く島が見えた時、「あ~、これを見られただけで来たかいがあった…。」と、心からそう思いました。

宿に向かう途中に神社があったのでそこで参拝。そこは、南の島らしい照葉樹林の鎮守の森と、やんわりとした佇まいの社殿がありました。そこの御祭神が豊玉姫だと宿の方から聞き、少し驚きました。何か小さな違和感があったのです。

違和感の原因は、福岡で豊玉姫を祀る多くの神社で毎回感じていた雰囲気と言うのは「気高くも少し憂いを湛えた女神」であり、しかし屋久島では「穏やかに人の成長を見守る女神」の様に感じてしまったからでした。

主観ではありますが、その違いは単に土地柄の違いなのか分かりませんが、この地の居心地の良さをこの時に持ってしまったのかもしれません。

到着した日は海亀の産卵で有名な永田浜へ。海亀館で説明を聞き、様々な資料写真を眺め、海亀が帰還出来る場所を守る努力に感銘を受けました。

案内役の方から、どこから来たのかを聞かれ福岡県と答えると、ぱぁっと表情が変わって(それはより親しみのある笑顔に)、福岡なら津屋崎海岸に海亀が産卵に来ているでしょうと。

確かに津屋崎の役所内には海亀課があり、幼少期には子供会主催で津屋崎海岸清掃に毎年参加していたのでした。

一度だけでしたが、海亀の産卵に立ち会えた事もあります。

残念な事にその後大規模な埋め立て工事があり、津屋崎から海亀は消えてしまいました。埋め立て工事の影響からか潮の流れが変わってしまい、砂が大幅に減少し、海亀が産卵出来る浜ではなくなってしまったのです。

永田浜は、ふかふかの高級カーペットの様な、豊かな砂で出来た浜でした。

「ここは人が足を踏み入れてはいけない場所…。海亀のためだけの場所があっても良いのではないか…。」

そんな事を思い、早々にその場を去り高台からもう一度海を眺めていたら、厚い雨雲の裂け目はみるみる天使の梯子となり、そこから漏れた太陽光は波間に星を生み、その輝きは、誕生した事への祝福の様に思えたのでした。


一日目の行動は永田浜のみだったので、その後は宿周辺を散策する事にして、その途中で見つけたのが夜光貝や屋久杉の家具を取り扱う店で、写真の夜光貝はそこで購入、研磨したものです。

研磨は初体験でしたが職人さんの手解きを受け没頭していると、自然と、どこをどう磨くと良いのかを貝が教えている様に思え始めました。

本当に不思議な感覚なのですが、私は磨き方を知らない。でも自然と、次はこちら、次はここ。という様に、磨き易い角度や磨く順番が手に伝わってくる。

どうにも説明のつかない、でもそれを体験するという、これも屋久島の面白さだったのかもしれません。

二日目の行動予定は白谷雲水狭。観光案内サイトには、登山道で迷わない為のマーキングがあると記されていました。道の途中の木にリボンが巻いてあるようでした。

が、夫の忠告に従いここは登山ガイドをお願いしました。

実際ガイドさんの話では、前日も遭難者が出て救助隊が出動したとの事で、これにはネット社会ならではの要因があるようでした。絶景と言われる場所は大抵は、到達困難であることをしっかりと自覚する必要があるのでしょうね。

また、三つの警報が出た場合は入山が禁止されるのだそうで、その警報は大雨、突風、雷でした。

私は数人の旅行者とグループになって案内されると思っていましたが、この日ガイドを頼んでいたのは私一人でした。

宿から白谷雲水峡迄の道中は雨が止まず、これは無理かなと半分諦めた気持ちでしたが車を降りると同時くらいに晴れ間が出て、無事白谷雲水狭へ入る事が出来ました。

ここに自生する樹木や植物、動物に関する様々な説明を受ながらの登山です。お願いしたガイドさんは屋久島出身の方でその為か、我が庭の如く隅々を熟知され、途中湧き水のある場所に寄りその水を頂いたり、枯葉の一枚一枚にさえ目を落とし、山の話を滔々と語られるのでした。

まるで詩人のような方でした。

ガイド事務所への申し込みの際に生年月日を記入していたのですが、それを覚えてらした様で、「今日のあなたにぴったりな場所がありますよ。」と案内されたのが、産道に見立てた根っこを持つ杉の木がある場所でした。ぐうっと立ち上がった杉の根が地上に上がり、それがトンネル状に突き抜けている。

「ここを通過すると、新しく誕生するとか、再生するとか言われているんですよ。今日、誕生日でしたよね。」と。

あ~、そうだった。。誕生日だった。。
天候が気になって、それどころではなかった。。。

ガイドさんの配慮に感謝しつつ、

腰を折り入って行くと、天井にアンドロメダ銀河?
見上げた先の幹部分に、渦を巻く銀河様の模様があったのです。

寺院で見る天井画の様でした。天井に何かを描きたくなる気持ちが分かったような、それは意味のある事に思えたのでした。

白谷雲水狭では途中、一時的に小雨には会いましたが(敢えて会うと言いたいのです)雨の素晴らしさを体験する事も出来ました。

宿に戻るため車に乗るタイミングでまた大雨が。

二泊したこの旅で雨が降ったのは宿に滞在している時と、白谷雲水狭での小雨程度で、全ての日程を曇り、もしくは晴れで過ごす事が出来ました。

何度も予定が中止になりながらも、本当に真から自分が求める場所ならば、その時どんなに困難な状況にあっても、気張らずとも行けるものなのだと気づけた旅でもありました。

時に最悪と思われるタイミングであっても、それは必ずしも最悪とは言えない。全く持って、違う視点からその時の状況を見ている自分がいたのかもしれないと。


そしてなぜ今、9年も前の屋久島の話かと言えば、記憶には力があるなぁ…と感じたからです。

ちょっと今頑張りが必要な時で、けれども一新出来ない思考回路から「これだ!」と思えるアイデアが浮かぶ筈もなく、気分転換にと庭仕事や鉱物の整理をしていく中で夜光貝を再発見し、その抑えた輝きに手が止まってしまいました。

動きが停止すると同時に、瞬時にあの時に帰っている。停止と言うのは光速度と同じなのではなかろうか?

すみません。変な事を…。

私もワケわかりません。

夜光貝と応答しているかの様な、そんな不思議の中。

もしかして、夜光貝の中に屋久島が眠っていたのかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?