サスペンダーズのコント『竹原ピストル』を見た後に、竹原ピストルがビッグマック食うCMを見て、何とも言えない哀しみを感じた件

ビッグマックなんて、ペロリだよ

ビッグマックCM 竹原ピストル

竹原ピストル聴いてて、こんなやついんの!?

サスペンダーズ『竹原ピストル』

 サスペンダーズのコント『竹原ピストル』がYoutubeに上がっていた。どこかで見た記憶があるなと思ってtwitterを調べたらユーロライブの『サスペンダーズ・ガイド』だと知り、「あ、ここで見てたのか」と懐かしい気持ちになった。
 竹原ピストルの歌を聴く人間が、会議で否定ばかりする。ただそれだけのシンプルなコンセプトで、会場で見た時はその場の空気感と合わさって軽い感じの面白さだった。動画を見返したときも、懐かしいなぁ、面白いなぁ、という感想で、別段、何か感想を書こうという気は起こらなかった。

しかし、たまたまYoutubeの動画を見ていたときに、木村カエラの旦那であるイケメン、瑛太の後ろで、武骨な顔をした男がビッグマックを食った後で、「ビッグマックなんて、ペロリだよ」と言い放つ動画を見て、正直に言えば、虫唾が走った。
その武骨な顔をした男は、竹原ピストルだった。
おいおい、ピストル。何やってんだよ、と僕は思った。
走った虫唾にムズムズしながら、もう一度その映像を見た。
やはり、竹原ピストルがビッグマックを食べ終えた後で、
食べ物を口に入れた状態で、
「ビッグマックなんて、ペロリだよ」
と言っていた。
がっかりだった。
そもそも「~なんて」という言い方が気に入らなかった。
30秒のロングバージョンも見た。変な切り抜き方をされて、文脈を無視した言葉かもしれないと思って、それを見てみた。
でも、やはり最後の「ビッグマックなんて、ペロリだよ」が気に入らなかった。
そんな男だったのか?竹原ピストルよ。

 サスペンダーズのコント『竹原ピストル』は、『竹原ピストルを聴く人間は、否定ばかりしないはずだ』という古川さんの期待が、竹原ピストルの曲を聴いていたが、会議で否定ばかりする依藤さんに向けられることによって生まれる、ズレが面白いコントだ。
 竹原ピストルを聴いていれば、プラスの考えや良いアイディアを出しそうなもんだろう、という古川さんの意見に僕は共感していた。というのも、竹原ピストルと言えば、『よー、そこの若いの』とか、『For ever young』とか『オールドルーキー』とか、不器用だが力強く前を向く歌詞と、内臓を熱するような力の籠った歌声が特徴的なシンガーソングライターだ。
 コントを見たときは、「確かに竹原ピストル聴いてたら、会議で否定はしてほしくないよな」という気持ちになった。
 同じような感覚で、「イケメンホストにサンボマスターを聴いてほしくない」とか、「集団行動が苦手な奴はET-KING聴かない」とか、「クラスでリーダー的な存在になるやつ、絶対にGLAY好き」みたいな偏見は僕にもある。
 でも、ビッグマックのCMを見た後では、僕が思い描いていた竹原ピストルは竹原ピストルではなくて、サスペンダーズのコント『竹原ピストル』で語られる竹原ピストルでもない気がしたのだ。
 つまり、竹原ピストルを聴くやつは会議で出た案を否定するかもしれない。という可能性を感じてしまったのだ。それほどに、僕にとってビッグマックのCMの竹原ピストルは罪深かった。
 かつて、住友生命1UPのCMで、瑛太演じる不器用な男に「よー、そこの若いの」という曲でエールを送っていた竹原ピストル。それが今は、不気味な男と一緒になってどこの荒野だかわからない場所で、下品にビッグマックを頬張りながら、もごもごと「ビッグマックなんて、ペロリだよ」と言ってしまう。この流れの哀しみ。そうじゃなかったろ、竹原ピストルよ。
 ブレちまうだろうよ、サスペンダーズのコント『竹原ピストル』での竹原ピストル像が。
 無骨で、不器用で、それでも迸る思いを魂込めて歌ってきた竹原ピストルに、「~なんて、」みたいな見下した言葉を放って欲しくない。勝ち誇ったように、ビッグマックを頬張って強がってほしくないのだ。

 それもこれも全部、僕が竹原ピストルに期待し過ぎていたのだろう。

 サスペンダーズのコント『竹原ピストル』でも、依藤さんに対して古川さんは「期待し過ぎちゃったのかなぁ、俺がぁ」という言葉を、僕はそっくりそのまま竹原ピストルに言ってやりたい。
 竹原ピストルは、ビッグマックじゃなくて和菓子だろ。
 そこは、粋に和菓子だろ。
 それがなんだよ、ビッグマックって。
 コント『竹原ピストル』でも、竹原ピストルを聴く依藤さんがぶっといエナジードリンクを飲むシーンがある。これはまさに、ビッグマックみたいなもんだ。カロリー過多、エネルギーの過剰摂取。否定ばかりしておきながら、「否定するとカロリー消費するんすよ」みたいな意味わかんないノリで自己を肯定するどうしようもない感じ。
 ビッグマックのCMに出た竹原ピストルに僕が抱く思いと、コント『竹原ピストル』で古川さんが依藤さんに抱く気持ちは、完全に一致しているかもしれない。そんな奇妙なシンパシーが、竹原ピストルのビッグマックCMを見たことによって、僕の中で虫唾となって生まれたのだった。

 そんな風に、僕は自分の中で『竹原ピストルとは何か』を定義していたのだ。レッテル貼りをしていたのだ。無意識のうちに、『竹原ピストルはジャンクフード食わない』みたいなレッテル貼りを。これは『アイドルはウ〇コじゃなくて星を出す』とか『美人は良くお花摘みに行く』とか、『黒人はリズム感が優れている』とか、そういう無意識のレッテル貼りだ。
 そうしたレッテル貼りが裏切られたときの哀しみは何とも言えない。
 腹立たしささえ覚えてしまうのだ。
 もしも木村拓哉が「僕の一番好きなミュージシャンはサンボマスター」とか言ったら、グーで殴ってしまうと思う。
 もしもBTSが『僕の一番好きなミュージシャンはさだまさし』とか言ったら、二度とBTSは聴かない。
 それくらいに、「それとそれは絶対に水と油だろ」みたいに思っていたことが、実は「嘘だろ、それとそれが、混じり合っちまうのかよ・・・」みたいな哀しみを、一体どこにぶつけたら良いと言うのか。
 木村拓哉には「僕の一番好きなミュージシャンはBTSです」と言ってほしいし、その方が筋だっている気がする。
 BTSだって「僕の一番好きなミュージシャンは2PMです」くらいに言ってくれれば、まあ、聴こうという気持ちにもなる。
 あくまでもこれは冗談の偏見であるが、中には、そうした偏見を本気で持っている人だっているのだ。

 だから、コント『竹原ピストル』における古川さんの『否定しかしないやつはKREVAを聴け』とか『会議で否定するやつはドクター・ペッパーを飲め』みたいな発言はめちゃくちゃわかる。
 ブレてほしくないのだ。自分の中のレッテルから。
 世の中は、このコントに限らず、知らず知らずのレッテル貼りが行われている。
 「〇〇さんは凄く真面目な方だから、絶対に浮気なんてしないよね」とか、「あの先生は凄く生徒にやさしいから、人殺しなんてしない」みたいに、表面だけで人を決めつけて判断する。
 だから、その決めつけ、レッテル貼りと違うような結果や情報が与えられると、人間はすぐにはそれを受け入れられない。
「あんな真面目な人が浮気をするなんて、信じられない」とか「あの先生が、そんな犯罪をするなんて・・・」というようなことになる。
 人は見かけによらない。
 その、どうしようもない哀しみと、どうしようもないからこそどうにもならない状況から、サスペンダーズは逃げない。
 サスペンダーズは、日々、様々などうしようもないことに真正面から向き合っている。そのときそのときで、サスペンダーズが「これぞ!」と思うものが、世に出て、観客の前で披露されて、爆笑となって時間を埋める。
 そうして、『サスペンダーズとは~』みたいなことを言ってしまうようになったら、僕自身もサスペンダーズに何かしらのレッテル貼り、決めつけをしてしまっているのだ。
 だからこそ、僕はなるべくフラットにサスペンダーズと向き合いたい。サスペンダーズとはこうあるべき、というものではなくて、サスペンダーズがやるからこそ、サスペンダーズのコントなのだ、という、全てを大枠でとらえる気持ちが重要だと思う。
 かつて、ボブ・ディランが何かしらの曲をパクったと疑いをかけられたときに、「俺が唄っているんだから、それは全部、俺の歌だ」みたいなことを言ったような記憶があるが、たぶん、そういうことだ。
 ボブ・ディランだって、フォークギターからエレキ・ギターに持ち替え、往年の名曲をほとんど原曲の存在を消してしまうほど変えてしまう。
 そんな風に、サスペンダーズだって、そして、竹原ピストルだって変わっていくのだ。
 松任谷由実の卒業写真の歌詞みたいに、僕にはただ『変わってゆく好きな人(モノ)をときどき 遠くでしかる』ことしかできないのだろう。
 変わらないでいるために変わり続けるのかもしれない。
 ずっと変わらずに、一本調子で同じような曲ばかり作るAC/DCというバンドもいるが、何が良いかなんて、誰にも決めることはできない。
変わらないでいることも、変わり続けることも、同じくらい尊い。
だけど竹原ピストルよ、あんたにはがっかりだぜ。

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