温泉水99で自分を取り戻す

さはさりとて今回のような問題は、過去を鑑みるに必然であると思われもするが、よしんば関係がなかったとしても、もはや本段階においては詳らかになった狐の鳴き声のごとく、滾々と沸き立つ事実になりうるのだろう。されど、本件における真の問題は過去・現在・未来におけるあらゆる点において、『関係の連続性及び連帯性』に起因するものと思われ、さらには、過去と未来に板挟みとなった現在が抱える窮屈さが、正常な透明性と解像度を保てなくなり、剰え余人の理解を越えた範疇で繰り広げられたメタ・バース的な喧噪に人類が巻き込まれたことによる、歴史のブロードキャストストームであると断言しても、妻や先祖に怒られることは決してないのである。

峯岸達夫『無限回廊のフールプルーフ』

 自分が集中していた時期に飲んでいた飲み物を思い出して、それを飲むことによって元の集中した自分に戻れるだろうと妄想し、ネットショッピングで目的の飲み物を購入し受け取り、それを飲んだ途端に「これで俺も集中力を取り戻せるはずだ」と思うのは、明らかに過信であろう。
 人は、そうやって自らの妄想を正当化していく。「あの時、自分はあれを食べたから勝った」などと言って、自分の妄想を正当化した挙げ句に美化していく。「宝くじに当たったのは、神社に参拝に言ったから」とか、「マラソンで優勝できたのは、前日にチキンカツを食べたから」とか、いわゆる『ゲン担ぎ』に人は簡単に心を委ねる。因果関係がどうであろうと関係がなく、ただただ理由付けをすることによって安心したいという欲求に負けた結果、『ゲン担ぎ』をする。
 で、私ももれなく『ゲン担ぎ』に騙され、温泉水99を大量に買った。本当に効果があるのか、科学的根拠など知らず、調べもせず、なんとなく良さそう、有名人が飲んでいる、というだけの理由で買った。普段は、理路整然としている割には、何か物を買うときは妄想やら過去の情報に囚われるのだから、情けない人間である。
 過去を振り返って、「あのときの俺は、ずいぶんと集中していたのになぁ」と思い返す。今、その集中力を維持できるかというと分からない。そもそも集中力というのは存在せず、単に自分自身のコンディションによるものではないかと思っている。それで、ここ最近バッド・コンディションであるような気がしていたので、試しに温泉水99を飲んでみたのである。
 ちょっと話は逸れるが、夏休みに別府温泉で地獄めぐりをしたとき、地獄水?だったか、沸き立つ温泉の水を飲んだ。ちょっとしょっぱかったし、物凄い高温であった。舌がやけどするほどの熱さであった。しかし、それを飲んだ時に、「そういえば、温泉水99も、なんとなく、しょっぱかったかも」と思い出し、それが今になって強く意識され、「失われた集中力を取り戻そう」という情けない意思と結びつき、我が家に配達されるまでに至った。
 世には、胡散臭い水がたくさんある。財宝とか特に胡散臭い。こんなの、ただの水であろうと思っていたが、温泉水99だけは違う。明らかに味と飲み心地が違うのである。断っておくが、私は決して温泉水99の回し者ではないし、ここにアフィリエイト広告を載せるようなことはしない。しかしながら、私の尊敬する落語家が温泉水99を推奨しており、なんとなく、同じものを飲むことによって、同じような体組成になり、同じような集中力で、様々な物事に取り組めるのではないか、という根拠の無い仮説が生まれ、それによって温泉水99について、こんなに力説するに至っているのである。
 胡散臭い水だらけの世にあって、温泉水99だけは信じられる気がするのだ。何せ、その水を飲んだ今、私はかつての集中力を取り戻したように感じるからである。アルカリ成分がどうのこうのと書いてあったが、おそらくそれであろう。体にはアルカリ成分が必要なのだ。メルカリもアルカリもヤドカリも、とにかく人のためになるものなのだ。
 そんなわけで、明日は資格試験なのだがほとんど一夜漬けで挑んでいる。最初からやる気のない試験にうっかり申し込んでしまった自分を呪いたい。でも、もう遅い。私にはただ、受ける権利が渡されており、それを行使するしかない状況なのだ。資格だろうが丸だろうが、私にはどうでもいいことだ。温泉水99、それさえあれば他に何もいらない。

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