サスペンダーズ依藤さんの「今日はどのネタ見よう?」で、三四郎のネタへのコメントを見たら、深読みし過ぎて泣いた話

それ以上に、この人たちを評価して、このネタをYouTubeに上げようと思ったマセキ芸能社に当時、非常に感動しました。

https://natalie.mu/owarai/column/486004
サスペンダーズ依藤 
 三四郎『リア充に・・・』に対するコメント抜粋

Please acknowledge my existence.
 サスペンダーズ依藤さんが三四郎というコンビの『リア充に・・・』に対するコメントを書いていた。知らないネタだったので、さっそく動画を見てみた。すると、コメントにもあるように、初期のサスペンダーズのネタに相通ずるものがあって、そうか、サスペンダーズはこのネタに共鳴してマセキ芸能社に入ったんだな、と感動していると、みるみるうちに涙腺が緩んできて、いつもの深読みモードが走り出し、いつの間にか私の心が震えていたので、今回はそれについてちょっと書いてみようと思った。

 三四郎の『リア充に…』は、開始早々、小宮さんが「リア充に劇薬ぶっかけたいっすよね」と言うところから、怒涛の展開が始まる。
 これだけを聞くと、過激なネタに思えるかもしれない。
 事実、過激なのだが、そこには小宮さんの様々な思いがこもっていて、単純に拒絶して否定してしまえるような漫才になっていない。「劇薬ぶっかけたい」と言った後で、小宮さんは相方の相田さんのセリフを奪って、自分で自分にツッコミを入れる。何があって劇薬をぶっかけたくなっているのかは分からないのに、小宮さんの勢いに説得力があるから不思議だ。そうした、人が抱えるどうしようもないフラストレーションの爆発が、「劇薬ぶっかけたい」という言葉となって、漫才の舞台で繰り広げられる。
 自分を冷静に見つめる視点を持ちながらも、落ち着かせようとする相田さんにぶつかっていく小宮さん。「何があったんだよ」と聞く相田さんに対して、小宮さんは「いいことねぇんだよ」と言って、様々に最近の『良くなかったこと』を発表していく。そして、劇薬をぶっかけたい原因が『滑舌の悪さ』にあることがなんとなくわかる。どうしようもなく劇薬をぶっかけたがる小宮さんに対して、相田さんは最後に中島みゆきの『ファイト!』を歌う。
 これは、漫才という舞台だからこそ笑えるお話だ。
 本当に小宮さんが劇薬をリア充にぶっかけたら当然、犯罪になる。
 犯罪にならずに、見るものが面白いと思って笑えるのは、それが漫才という形式の中にとどまっているからである。
 では、どうして漫才という形式の中であれば、人は笑えるのだろうか。
 私が思うに、それは漫才という形式の中であれば、人は共感できるからである。
 現実との線引きがされているからこそ、小宮さんの気持ちに見る者は共感する。滑舌が悪いとか、いいことがなくてムシャクシャするときとか、「ちきしょう、劇薬をぶっかけてやりてぇ」と思うことだってあるかもしれない。
 そうした気持ちが、現実の行動になっていないからこそ、その手前にいる小宮さんの気持ち、そして、それを宥めようとする相田さんのツッコミが笑えるのだ。
 それが、人間の共感力の素晴らしさだと私は思う。
 誰もが何かしらの不満を抱えていて、それをどうにかして振り払いたいという気持ちを持っている。そういう気持ちをお笑いは掬い上げてくれて、笑うことで、消化なり発散なりさせてくれる。
 「大丈夫、私もあなたの気持ちが分かるよ」という相手への共感が、私は人を笑わせる一つの原因になっていると思うのだ。
 だから、共感できない人は『リア充に・・・』のネタを笑うことはできないだろう。真剣に受け止めてしまったら、「危険思想だ」、「犯罪者予備軍だ」、「すぐに牢屋に入れろ」とか、面倒な話になる。
 このネタ動画が爆笑に包まれ、なおかつ依藤さんが感動できるのは、何よりも『共感』の部分が大きのではないだろうか。
 小宮さんのような、『リア充に劇薬をぶっかけたい』と思っている人を許容できるマセキ芸能社の、深い共感力。そこに、依藤さんは自身の未来を委ねてみたいと思ったのではないだろうか。

 というのも、初期サスペンダーズのネタには、『リア充に・・・』の小宮さんのような、「劇薬ぶっかけたい」という思いから、形を変えた様々な思想を持ったキャラクターが登場する。そして、そのキャラクターを体現するのが、サスペンダーズの古川さんだ。
 フォークソング部に入ってデスメタルを布教しようとしたり、貝類を薦めるペットショップ店員がいたり、やばすぎる格好で合コンに参加したりと、とにかく過激な思想を持った人間を古川さんは表現する。
 三四郎のネタからの、初期サスペンダーズの流れを見ると、いかにサスペンダーズの二人が三四郎にインスパイアされていたかが明確にわかる。と同時に、サスペンダーズの二人も、今日までに様々な試行錯誤を繰り返しながら、自分たちのスタイルを確立させようともがき、そして、最新でYoutubeに上がった「コンビなんだから・・・」においては、三四郎における小宮さんの立ち位置を、単なる三四郎の二番煎じではなく、むしろ古川さんの個性として昇華させている。
 初期は無理やりに奇人を演じるような衒いを感じさせていた古川さんが、今では古川さんという立派な個性を確立している。マセキ芸能社に所属してからの長い年月で、絶え間ない研鑽があったがゆえに辿り着いた自分たちの個性を、日常と地続きに漫才やコントに昇華させていることの凄まじさ。それに留まらず、コロナ以降、地道に続けてきたYoutubeの配信や、モープッシュのラジオ配信も含めて、全てが今のサスペンダーズを形作っていると感じ、私は改めてサスペンダーズに感動した。

 サスペンダーズの出発点とも呼べる三四郎の『リア充に・・・』を見ると、受け継がれていく魂というものを感じざるを得ない。
 それまで私は、落語の世界に触れてきて、師匠と弟子という芸人の関係性における、受け継がれる魂というものを肌に感じてきた。
 サスペンダーズの依藤さんのコメントを読んで、それと同じように、お笑い芸人同士もまた、魂を受け継いでいく存在なのだと実感した。
 芸を見て、笑い、感動し、そして、その芸が育った環境に身を置く。そうして、サスペンダーズ自身も成長し、やがてはサスペンダーズにとっての三四郎がそうであったように、サスペンダーズもまた、後進に影響を与える存在になることは間違いない。そして、それを見届けて応援するファンもまた、サスペンダーズの凄まじい成長を望んでいるはずである。

 自分の原点に立ち返る視点を持つ依藤さんに対して、古川さんは同じ時代を共にする仲間たちへの視点を担っている。
 それが、古川さんの優しさの視点である。
 元・スパナペンチの永田敬介へのコメント、解散したコンビの銀兵衛へのコメント。どちらも、古川さんらしい語り口で絶賛されている。
 どうして、ピン芸人、あるいは解散したコンビにコメントをするのかと疑問を持つ人もいるかもしれない。だが、古川さんという人は、同世代の面白い芸人に対する、ゆるぎない評価を持っている人だ。それこそが、私は古川さんの芸人としての共感力だと思う。
 日の目を見ず、本来は圧倒的に評価されていてもおかしくないと思える存在への視点を、古川さんは決して逸らさない。
 自分が面白いと思えるもの、面白いと感じている人を、古川さんはどんなときであっても忘れない。ピン芸人になっても、解散しても、面白いことを続けている芸人を面白いと言い続けるほど、古川さんはお笑いを好きなのだと思う。
 お笑いが好きだからこそ、自分には無い、凄まじいまでの面白さを持っている永田敬介や銀兵衛の姿を語らずにはいられなかったのだろうと思う。
 そして、サスペンダーズも未だ、世間の圧倒的な評価を得ているわけではない。むろん、世間の圧倒的評価が全てというわけではないかもしれない。だが、サスペンダーズだけでなく、全ての芸人は『自分たちが面白いもの追及し続ける』気持ちを持っている。そこに、命をかけて臨んでいる。だからこそ、その気持ちを自分たちが考えたネタで広く世間の人に知ってほしいはずだ。それが賞レースという形で競い合い、いつか日の目を見る日が来ることを私は信じている。

 長くなったが、コロナになる寸前にサスペンダーズを知り、コロナ以降の今日に至るまでサスペンダーズの姿を見てきたものとして、サスペンダーズの二人が、自分たち以外の芸人のネタに対するコメントを読んで、改めて深くサスペンダーズの素晴らしさを知ることができた気がした。
 お笑いのおの字も知らぬ素人の戯言をつらつらと書いてしまったが、私がサスペンダーズを好きな理由は、まだまだ語りつくせない。この記事は、まだまだその一端に過ぎない。
 たとえ、コロナによってどれだけサスペンダーズのお笑いが阻まれたとしても、私はサスペンダーズの活躍を信じたい。そして、これは私だけではなく、サスペンダーズのファンもみんな、同じ思いの筈である。
 三四郎のネタに依藤さんが感動したように、私だって今でも、グレイモヤで見た『ペイチャンネル』の衝撃と感動を忘れることができない。
 それから、『知恵の輪』や『寄せ書き』や『少年野球』のような、最近の素晴らしいコントだって、常に面白くて、腹を抱えて、見る度にサスペンダーズの凄さを実感している。だからこそ、私はサスペンダーズを応援し続けたいのだ。
 やるせない気持ちを爆発させて、お笑いにできるのはサスペンダーズの得意技である。コロナが落ち着いたら、いつでもサスペンダーズのコントを見に行きたい。常にそういう思いである。
 サスペンダーズの活躍を願って、この記事を終わります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?