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シン・ゴジラ 伝統的カイジューエイガ

得体の知れない恐ろしいもの=カイジュー

庵野秀明監督が自分の人格形成に影響を及ぼした過去の特撮作品、または自分の作品をリメイクするシン・シリーズの第一弾。

細かい設定についてはあえて説明せずに多様な解釈が出来るようにしていますが、実は作り手側もそんな深く考えてないかもしれないので、適当な解釈でいいように思う。そこはこの映画の大事な部分ではないので。

では、庵野監督にとって何が大事かというとかつてのゴジラ映画が当時の技術や大人の都合で本当はやりたかったのに出来なかった事を今の技術と好きに作っていいよという前提で、大真面目に巨費を投じて日本の伝統的な怪獣映画を今の時代に作れたという事だ。

怪獣が来て子供が逃げるというお約束のシーン


日本人が作った怪獣とは何かと言うと、「得体の知れないとても恐ろしいもの」の象徴。
これはたとえば核兵器やソ連やアメリカ、戦争、津波、地震、原発など時代時代で恐ろしいものに置き換える事ができる。

今回の時代性としては3.11や原発に置き換える事が出来るのだ。

怪獣映画では絶対こいつには勝てないだろうと思う相手にも結果、ご都合主義的な手段でも正義は勝つ。どんな困難にも協力すれば人類は克服する事ができるというメッセージなのだ。(特に子供達に)
子供の視聴を前提とした怪獣映画の目的だ。

シン・ゴジラもそうした伝統になぞらえている。

日本の総力を結集して戦う


新幹線や山手線の体当たり(しかもなぜかわざわざ線路の上にいる)したり、重機で口の中に大量の液体を注入したり(近代兵器で倒れなかったのに電車の体当たりで身動きしなくなる?)と滑稽に思うシーンの連続。
そんなご都合主義的な方法で人類、いや日本人は勝つ。
それはそもそも怪獣映画だから。

新幹線で突撃!新幹線は日本の技術の象徴


怪獣オタクのギレルモ・デル・トロ監督の「パシフィックリム」しかり、ハリウッド版「Godzilla」しかり日本の映画人は伝統的怪獣映画をハリウッドに持って行かれ、悔しい思いをしてきた。

庵野監督はじめ日本の映画界(だから東宝が自社製作した)は「シン・ゴジラ」で日本に怪獣映画を取り戻そうとした。
だから、普通協力するであろうアメリカの手を借りずに日本人だけでゴジラに勝ったのだ。

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