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新田サドベリースクールin鳥取県智頭 訪問 

サドベリースクールは子どもたちの主体性を尊重した教育を目指すデモグラフィックスクールです。

http://shindensudbury.org/



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モデルとするのはサドベリー・バレー・スクール(アメリカ・マサセーチュッツ州フラミンガム)。先生・カリキュラム・テスト・評価がなく、子ども達の好奇心に沿った遊びや体験から学んでいくスクールです。何をして遊ぶか、何を学ぶか、全て自分で決める自由があり、自分のペースで学んでいくことができます。子どもも大人も年齢に関係なく対等に話し合い、教え合う関係を大切にしています。

異年齢ミックスのコミュニティーの中で、できる者から学んだり、話し合ったりして、自分で考え、判断し、解決する力を身につけていきます。別名でもグラフィックスクールと言われるように、話し合いの場を大切にします。スクールのルール作りから運営・予算・スタッフの雇用等も全てみんなの合意のもとで決めています。
(新田サドベリースクール 学校紹介より抜粋)

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鳥取県の智頭には森の活動のコミュニティーがあり、森の幼稚園が盛んで、サドベリースクールもあり教育移住者もいるということを以前から聞いていて、機会があれば一度、伺ってみたいと思っていました。
視察希望のメールを送った後、視察オッケーかどうか子ども達も含めて話し合いがされたそうで、徹底していて驚きました。


現地に着くと、木の匂いが香ってきて、日光にキラキラと照らされたログハウスに「おはよう」と挨拶をして子ども達が入っていきました。
朝の会が開かれて、その日に何をするかや、やりたいことが話し合われました。朝の会も参加は任意で、椅子に座って参加している子や、少し離れたところで話に耳を傾ける子など、思い思いの参加の仕方をしていました。
視察をさせていただいた日は、午前中、地域の体育館へ行き、バドミントンをしたり鬼ごっこをしたりしました。お昼ごはんを食べた後には、近くの親水公園へ行き、川に入り、川遊びをしました。川遊び後、他の遊びを続ける子や、勉強をする子など、活動もそれぞれでした。

遊びの中で、みんなと誘い合い、相談し合い活動をしている姿を見て

「ふつうだなあ」

って思いました。

少し言い換えると「自然だなあ」かもしれません。


自分が子どもの時に、なんとなく近所の公園に集まって、そこにいる人たちと、相談して遊びを決めて遊ぶ。そんな風景が思い出されました(公園コミュニティーは最高に創造的な場であると考えています)。


私のサドベリースクールのイメージは、個が際立っていて、それぞれが好き勝手に活動しているという先入観がどこかありました。しかし、実際の姿は、子ども達同士が、それぞれの意志を尊重しつつ、自分のやりたいこともやっている。人間関係が成り立っていて、共同的な柔らかな集団でした。

そこについてスタッフの長谷さんに伝えたところ「自由の相互承認」という言葉が返ってきました。誰もが自由であれば、どこかでぶつかることもある。そこで、お互いが心地よくいられるために、折り合いをつけていく。そういったことを常に体験を通して学んでいるようです。


学習についてもお聞きしました。基本的にカリキュラムはありませんが、学習自体を否定しているわけではありません。子どもがやりたい!といえば、学習のサポートも行われます。漢字の学習に取り組んでいる子、算数の学習に取り組んでいる子もいると聞きました。学習においても、子どもの「やりたい!」という意志が尊重されていました。

進路についても伺いました。高校や大学に進学する子も少なくないようでした。
本人が「勉強しよう!」と意志をもって取り組めば、いつでも取りかえせる。と。
それについては肌感覚として納得ができます。
逆に言うと、意志なきところに、無理矢理、知識・技能を入れようとしたところで、本人にとってどこまで意味のあることなのか分からなくなります。


意志を育てることの意義について考えさせられました。


私自身の体感ですが、不信頼がベースにあるコミュニティーではどうしても管理・コントロールのバイアスが強くなりがちです。
自分自身の人生を振り返ると、グラデーションはあるにせよ、子ども時代からそういった環境にいたのではないかと思います。バイアスが強くかかっている場に限って「主体性を!」という言葉が飛び交います。しかし、主体性を発揮するどころか、コントロールされ、管理されたコミュニティーでは、私の場合、意志や感性がみるみる萎んでいきました。徹底した管理主義は人権侵害ではないか…と感じています。


コロナ禍において、全体主義・思考停止がある部分では加速された面も否めないかと思います。
そういった社会状況において、サドベリースクールのような学校が果たす役割が、また変わってくるのではないかと思います。
昨今、公教育から人材が離れていることと、反比例するかのように、フリースクールやオルタナティブスクールが増えているという状況をどう捉えていけばよいのでしょう。
その問いが、今の私の関心のひとつです。



「公立の学校って楽だよ。だって全部、あれやりなさい、これやりなさいって言ってくれるから」
以前、訪れた場で、子どもが言葉にしていたことが思い出されます。



自由ってある意味、大変。
でも、価値がある。

「暇だー」「何していいか分からない」
って生じると思うんです。
でも、この現代社会において、タスクばかりが増えていき、「暇だー」を体験できることってどこまであるのでしょうか?
「暇だー」を体験して、「じゃあ、どうしようか?」という発想が生まれてくる。
このことを経験することも大切なことのように思います。


今回、サドベリースクールを訪れて、「自由」と「意志」ということについて、自分ごととして考えることができました。

鳥取県智頭町は教育移住が盛んな町です。
実際、スクールに通われている子の多くが県外出身だそうです。
その要因は、県の移住政策が手厚いことと、森のようちえんの魅力が大きいのではないかと思います。


森のようちえんがあり、卒園後の受け皿としてサドベリースクールが開校した経緯も伺いました。スクール単体で成り立っているのではなく、面で機能している。
そこが大切なのだと感じました。

1日、じっくりと視察をさせていただいただけではなく、質疑応答の時間も作っていただいたことに感謝をしています。

ありがとうございました。

文責/森田千尋


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