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スティーヴン•ビショップ Careless

前回の話で姉が一人暮らしに選んだ所が、東京の荻窪だったのは、姉が幼い時代をそこで過ごしたからだと思う。私は二歳までしかそこに居なかったけど、生まれたのはそこから遠くない中野の病院だった。

大学に入ったばかりの頃、なぜかよく中野を独りで彷徨っていて、あの頃はロンリーだったと思う。中野で生まれたという理由で、何かを期待してたのかもしれない。中野駅からバスに乗り、一時間はバスに揺られ、どこに向かうのかもはっきりしない日を覚えている。車窓は千葉でなく東京なので、彷徨っていれば何か新しい感情が沸くかもしれないなどと考えていたのだろうか。そんな日もあったほど、妙に自己憐憫に落ちていた。

学校に行く目的も失いかけていて、変な思想を持ったサークルにもひっかかったりした。そこで物凄く話す人達と知り合ったけど、まったく自分の居場所ではなかった。

ある時独りで彷徨った後、中野の、餃子の王将に入ったら、その安さと美味しさに感激して厨房をしばらく眺めていた。中華料理屋の皿洗いならできる、とその時、彷徨う気持ちが吹っ切れて、やる気スイッチが入った。

千葉県に帰り、近所の中華店で皿洗いのバイトに没頭して何も考えなかった夏が訪れた。ひと夏のバイトをしてお金が貯まり念願のマイカーを手に入れた。それは店のコックさんから買った五万円の車だ。ハンドルは小さいものに付け替えられマフラーは改造されていた。「改造車だからな、運転上手くなるよ、ハハハ」彼は嬉しそうに笑った。そのコックさんとは何かとウマが合った。
初めて杏仁豆腐なるものを知り、その美味しさに感動した。「感動してないで自分で作ってみろ」と彼に言われて喜んで作り続けた。

もう一人のコックさんは無口で野球好きだった。午後の休み時間に近くの中学校のグランドに行って、一対一の勝負をした。彼は筋肉が自慢だったので二人で上半身裸になった。玉拾いが大変なので打たれないように本気で投げた。誰もコックの筋肉を見る人はいなかったが、毎日上半身裸の白熱した夏だった。

ひと夏の皿洗いが終わり、また後期の学校が始まるため中華店を離れた。
二人のコックさんは、冬休みにまたバイトに必ず来いよと言い、いったん別れた。「冬に裸で野球はしませんからね」と言うと、無口なコックも大笑いしていた。

マイカーが無かった家族に、初めてのマイカーが届いた日、両親は喜んだ。母は良い生地でシートカヴァーを作ってくれた。五万円の改造スターレットにヴァーヴァリーのチェック柄のシートだ。

ロンリーだった男は短期間で、杏仁豆腐が好きな単純な男に変わったのだと思う。

スティーヴン•ビショップ 「ケアレス」

1976年

ジャケットのオフホワイト色が杏仁豆腐だ。

バイトのお金でレコードを買い始めて、この盤に出会った時と、夢の様に美味しい杏仁豆腐と出会った時が、同じ頃だと思う。

そしてこの盤の解説は、どんな解説よりも好きだった。それは、書いた人物が自身の旅先のニューオリンズの小さなクラブで、ひとりのシンガーに出会ったストーリーだ。シンガーがケニーロギンスのプー横丁やS&Gのボクサーの後にスティーヴンビショップの「オンエンドオン」を歌った様子が綴られている↓

詩人による解説

その解説を読みながらこのアルバムの音を聴いて感動していた。渓流のせせらぎのような音楽だった。例えばアコースティックギターはマイルドでさり気なく音像に溶け込んでいたし、エレピやホーンは大人しい演奏なのにキラメキがあった。ジェイムステイラーの歌が温もりと優しさであれば、スティーヴンビショップの歌には温もりの中に痛みがあった。私の心の痛みも残っていたのかもしれない。されど皿を洗ったり杏仁豆腐を作ったりしているうちに、よどみは薄れて清流になっていったのだと思う。

爽やかなウエストコーストの風とキラメキがある歌は、東京に出始めた頃の不安定な感情と、ひと夏のバイトで単純に強くなった感情が、ないまぜになって気持ちを洗い流してくれた。

詩的な解説が手助けをして作品への想いを強めたことも間違いない。ビショップ本人よりも、旅先で出会ったクラブのシンガーを讃えて締めくくるこの解説は相当に異色だが、私的でもありかつ詩的であって、その頃の自分の姿と被ってきた。

最後にあなたがこのレコードに、出会ったことを僕は本当に喜んでいます。そしてニューオリンズのクラブで歌っていたシンガーの人にも感謝していることもつけ加えておきます。あなたは素晴らしい歌手だった。いつまでもいつまでも歌っていて下さい。

ジムファイル (詩人)

アルバム ケアレスの解説より

スティーヴンビショップは、なかなか認められずに苦労していたが、やっとデビューできたのは、アートガーファンクルが彼の曲を気に入り自身のアルバムで二曲取り上げたからだった。
アートの全面的な支援のおかげで、この「ケアレス」はデビューを飾ったのだ。

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