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育児論 - ウチの場合 -

先日、講話でお話させていただいた際にウチの子育てについてご質問をいただきました。これまであまり、育児論のようなものをまとめて話したことがなかったので、今回は私が子育てで大事に考えていることについて書きたいと思います。

■先日の講話のnoteはこちら
自分と向き合う - ToBeをイメージし"働く"を彩る -

まずはじめに、現在のウチの状況です。

・長男小3、次男年長、長女2才
・私3人兄弟(男男男)の長男、妻3人兄弟(女女男)の長女
・夫婦共働き(ただし、私は2020年現在休職中)
・自宅から車で10分程のところに妻の実家がある
 →平日半分くらいは義母にこどもたちをみてもらっている
・自宅から車で15分程のところに私の実家がある
 →月に1, 2回遊びにいく程度
・電車が30分に1本くらいしかないようなベースは車社会の地方在住

こんな状況の田舎の子育てを想像しながら、以降読んでみていただけたらと思います。

大事に考えている3つのこと

私が子育てで大事に考えていることが3つあります。

「まずは自分でやらせてみる」
「さまざまな体験の機会の提供」
「ある程度理不尽さを感じさせる」

こどもたちには、とにかく自分が感じたこと大切にしてほしいと思っています。少し堅苦しくいうと、全てを自分事として考えて欲しい。いろいろな体験の中で感じたことを自分の中で考え、どうしたいのか/どうするのか自分で決め、そして自ら行動する。

これができたら、社会の中で十分通用すると思いませんか?

「まずは自分でやらせてみる」

小さいうちはそんなの難しいのでは?と思われるかもしれませんが、すべてのことは程度の大小はあるものの、選択の機会に満ち溢れていると思います。「まだ、この歳ではできないだろう」そんな周りのモノサシで、やる前から代わりにやってしまうのは、こどもたちにとって明らかな機会損失。こどもたちが、やってみて実際にできなかったら、どこからやってみるとよいかを話してサポートしていくべき。

それは、手間も時間もかかり、時には根気もいることです。そのため、現実問題いつもそんなことまでやれないという現状があるかもしれません。ただ、ウチではベースとしてこうした考え方を持ち、こどもたちに接するようにしています。

ちなみに私は、死なない程度に怪我をして痛みを知るのは良いことだと考えていますが、妻はどうして無駄に怪我なんてしないといけないのという考えだったりします。妻とこの話をした時に、母親の無償の愛情ってこういうことなのかもと感じたのを覚えています。こどもへの愛情というベースがあれば、無理に夫婦の考えをすべて一致させる必要は無いのかもしれないと、今は思うようになりました。

「さまざまな体験の機会の提供」

こどもたちが自分だけではできないこと、それは未体験を体験する機会の創出だと考えています。とある場所に行かないとできない体験、ある人がいないとできない体験、お金がかかる体験。親のバイアスが最も顕著にかかるところであり、逆に言うと親である我々がなんとかしないといけないところ。

一度体験してみないと、こどもたちはそれが好きか嫌いか、楽しいのか楽しくないのかも判断できません。将来を決めるような本当に大切な選択の際に、多くの選択肢をもたせてあげることが親の使命なのではないでしょうか。

こういわれると、自分で何でもできないといけないかのように感じてしまいがちですが、実はそうではありません。選択肢に触れる機会を増やしてくれる人と繋がりを持つだけでも良いと思います。

幼少期に祖父との釣りで苦い経験があり、私は全く釣りをやらないのですが、息子はよく釣りに行きたいと言ってきます。そんなときは、釣りをよくする息子の同級生家族に一緒に連れて行ってもらったりしています。自分ができなくても、体験させられる方法はいくつもあります。しかも、こうして他の人たちと関わりを持つことは、単に釣りに行ける体験というだけではなく、自分の家族とは違ったものの考え方や価値観にふれるきっかけにもなります。

こうした体験の積み重ねがあることが、将来体験の重要さを意識できる力になってくると思います。ただ、テレビやYoutube、インターネットで見て知っているだけとは違うんだという感覚。その力は、自ら体験の機会を生み出せるようになってから生きてきます。VUCAの時代と呼ばれる不確定で予想が難しい今の時代、体験のサイクルをまわしスピード感をだしていかないと、世の中に価値を提供しづらい時代になってきました。自分のこどもたちに、そんな時代を生き抜く力を今のうちから少しずつ身につけていってほしいと思います。

「ある程度理不尽さを感じさせる」

人間常に居心地のよい環境にいたら、そのうち考えることを辞めてしまうと思います。より充実した人生を送るため、常に考える癖を身につけて欲しい。そんな想いで、こどもたちには時折理不尽さを感じさせるようにしています。

私は幼少期、自分勝手で自分のペースでのみ振る舞っているように見えていた父親のことが大嫌いでした。あんな風には絶対にならない、父親を反面教師にして学生時代を過ごしてきました。(当時の振る舞いが意図的だったのかどうかはまだ聞けていませんが、いつか聞いてみたいと思っています。)

その結果、普段から場を好転させるために何ができるかを常に考える癖がつきました。その癖の延長線上に現在の私の性格があります。何か失敗したり悲しいことがあっても落ち込んでいる暇はない、そんな時間があるなら1分1秒でも早くそこを抜け出す方法を考える時間に使う。隣にいると面倒な程のポジティブさ。

これまでの自分の経験から、本当に今、この性格と考え方で得していることが多いなと実感しています。こどもたちに、理不尽さをあえて感じさせること、理不尽さの感じさせ方と程度については、もちろん賛否両論あるかと思います。それでも自らの経験を信じ、例え今嫌がられようとも将来のこどもたちのために、しっかりとこども一人ひとりと向き合いながら考えることをやめない癖をつけていければと思います。

難しいのは、支援者まではコントロールできないこと

冒頭で書いたとおり、近くに助けてくれる人が多く、ありがたい環境で子育てができています。ただ一方で、こどもたちの面倒を見てもらうということは、自分たちの目がいき届かなくなる部分が多くなるということです。

祖父母という存在は孫にどうしても甘くなるものです。Youtubeにテレビ、おやつ等、こどもたちにとってはうるさく言われない環境は居心地のよいものだと思います。一時期、そんな状況がなんとなく垣間見えて、少し苛立ちを感じていた時期もありました。自分たちが厳しくしつけようとしてきたことが、まるでリセットされてしまうかのような感覚。そうはいっても、働くために助けてもらっている以上、あんまりなことは言えない。

そんなことを考えていた時期もありましたが、実は今ではそんな風に思わなくなりました。結局のところ、我々はこどもたちと過ごせる時間の中で、どれだけの想いをもって、どれだけのことができるかに注力すればよい。むしろ、いろいろな環境に触れることで、こどもたちはこどもたちなりに考えるようになる。学校や家で疲れてしまったら、自ら選択して祖父母のところに泊まってリフレッシュする。これも体験を元にしたこどもたち自身の選択。

強いて言うなら、ちょいちょい虫歯で歯医者にいかないといけないのはなんとかしたいところですが、これもいつか、本人が自分でまずいと気づいてくれれば、良しとしよう。

最も大切な前提

これまで大事にしている3つのことについて書いてきましたが、どれもがひとつの大切な前提に基づいています。それは、どれも絶対にこどもたちのためになると信じてやっているということ。親も人間なので、気分が悪いときもあればイライラしている時もあります。そんな時には、一時的に感情的になってしまうこともあります。

それでも、立ち戻れる考え方の軸を持ち、時にはその軸をアップデートしながら、長いようできっとあっという間の子育てを、この先も楽しんでやっていきたいなと思います。

最後に

ウチで妻と握っているルールがひとつあります。
それは、夫婦ふたりともが同時に叱らないこと

こどもたちの狭い世界の中心は、まだまだしばらくはウチです。そんな世界の中心に居場所がなくなってしまうようなことはやめよう。これだけは、夫婦間で1mmも違わない、子育てをしていく上での共通認識です。

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