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指導者があるべき、共に育つ精神「共育」

指導者とは、どういう存在なのか、考えたことはありますか?

 私は、18歳の時から、セレッソ大阪のサッカースクールでサッカーの指導者としてのキャリアをスタートさせましたが、指導者になった時から、意識し続けている言葉があります。

「共育」

 この言葉は、私が小学・中学の時に所属していたクラブの理念の一つです。(※下記にURLを載せておくので是非拝見してください。)

 指導者は、選手の競技力を伸ばしていく手助けをすることが義務です。これはサッカーに限らずどのスポーツでも言えることです。なぜなら、「指導者」だから。常に選手が成長することを考え、最善の方法や手段を模索していく必要があります。また、競技の成長だけではなく、「人として」「1人の人間として」も成長できるような環境づくりも大切です。       もう、「サッカーだけうまかったらそれでいい」なんて時代は終わっています。サッカー選手といえど、世間では1人の人間です。社会に出て生きていくために、人としての教育も必要です。特に、育成年代の現場では必須と言えます。

 ただ、間違ってはいけないのが、「成長するのは選手だけではない」ということです。


 選手は指導者から多くのことを吸収します。             ただ、指導者も選手から多くのことを吸収できます。これは断言できます。

 スクール時代、毎日僕はスクールに来る選手がどうやったらサッカーが好きになり、サッカーが上手くなるのかをずっと考え、トレーニングを構成していました。作成したトレーニングをイメージして、選手たちが行うある程度のプレーを予測してルールなども考えていました。          しかし、いざその場になると、自分の中では完璧なトレーニングと思っていても、自分でも予想していなかったプレーや考えを持つ選手がいるんです。その度に私は、選手から多くのことを学び自身の成長につながっています。そして、また改善したトレーニングを作成していくのです。

 教育の現場ではどうしても指導者の方が選手より立場は上になってしまいます。そのため、自分の考えやエゴを選手に押し付けてしまう指導者もいるかと思います。ただ、選手からなにも学ばず自分の考えだけを頼りに指導していては指導者としての成長は止まります。

 選手だけが成長していく、選手だけを成長させていくのではなく、指導者も選手も共に成長していく、「共育」という考え方が、私が指導者として一番大切にしている言葉であり、指導者にとって必要なことではないかと思います。

 特に育成の現場では、いい意味でも悪い意味でも、指導者の存在が多くの影響を選手に与えます。だからこそ、エゴを押し付けるのではなく、少しでも「共育」という考えを持ってもらい、選手たちの成長に貢献していただけたらと思います。

 最後に、私が好きな言葉を載せておきます。

ロジェ・ルメール(元フランス代表サッカー選手で、指導者としても活躍したフランス人のサッカー選手)

「学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない」 


※クラブチームのホームページです。下記のURLからアクセスしてください。

http://www.avenidasol.org/avenidasol_concept/index.html

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