モリゼミ、オープンレクチャー!テーマは「デンマークの教育」

昨日は朝9時から、モリゼミのオープンレクチャーでした。
テーマは「デンマークはどのように教育により市民社会・民主主義を実現したのか」。
僕の担当はエストニアですが、デンマークとの掛け持ちも考えていたぐらい、デンマークには関心があります。
特に、この2~3年は教育分野のイベント、ワークショップなどに関わる事も多く、フォルケホイスコーレやKAOSPILOTなどには注目していました。

オープンレクチャーの中で提示された問いは次の3つ。
1.なぜ民主主義実現のために教育に力を入れたのか
2.歴史的にデンマークの教育は、どのように発展してきたのか
3.デンマークの教育では何を大切にされているのか

デンマーク近代教育の父と母、NFS・グルントヴィとクリステン・コルの2人の話から始まり、デンマークの現在の教育思想がどのように生まれてきたのか、歴史的な背景を探っていきます。
そもそも、デンマークは様々な国に占領、統治されてきた歴史が長く、デンマーク的なナショナリズムが育っていなかった…という事が背景にあります。

現在、僕が調査中のエストニアにも、似たような歴史があります。
やはり北欧・東欧辺りは地政学的に侵略、支配を受けやすい事もあって、国家としての独立性を保ちづらかったのでしょうね。

デンマークはそのような状況の中で、国民に対する啓発手段として、教育という方法を選びます。
歴史的な教育などを通じて、デンマーク人としての教養を身につけるという発想ですね。

クリステン・コルが生み出したフォルケ・ホイスコーレに関しては、Wiki Pediaなどにも情報がありますが、以下のような特徴、基本概念を持ちます。

フォルケの特徴
1.学習科目の多様性
2.テストの廃止
3.学生の自律的学習の促進
4.国家や外部に支配されない独立した教育内容
5.数ヶ月から1年のコース

4つの基本概念
1.死んだ文字より生きた言葉→書物より対話
2.学内平等→学生は指導者から、指導者は学生から学ぶ
3.地域とのつながり→ファンドにより地域住民も運営に関われる
4.万人が指導者になれる→資格より経験

ホイスコーレは、日本でいうフリースクールのようなもので、子供だけでなく、年齢などの条件を満たせば、誰でも(海外からでも)入学が可能です。
僕の知人も仕事をやめて日本から留学していましたが、彼女はフォルケ・ホイスコーレの事を「立ち止まるための学校」と言っていました。

昨日の話の中で特に興味深かったのは、4つの基本概念です。
書物より対話、指導者は学生から学ぶなど、より実践的な学習方法が示されているように感じます。
そもそも、僕は「教育」という言葉が好きではありません。
福沢諭吉も、この訳語は適切ではない…と「発育」という言葉を提唱していたようですが、教育という言葉が「人が成長する=何かを教えられる」という意識を知らず知らずのうちに植え付けてしまっている気がします。
そういう点で、この4つの基本概念は、VUCAと言われる現代において、特に重要な方向性を示唆しているように感じます。

また、デンマークには、資源が乏しい国だからこそ、人を育てるという思想があるようです。
エストニアのDX推進もそうですが、必要性があるからこそ人は動くんだな…と感じます。
日本にも、もっと重大な危機が訪れれば、人の意識は変わっていくのでしょうか…。

午後は、このオープンレクチャーに関連して、ニールセン北村朋子さんの「いまを生きる手習塾」というイベントがありました。
こちらも非常に興味深く、色々と考えさせられる話を聞く事ができました。

デンマークは国の方針、自分たちはどのような国でありたいか?という意志を明確にした上で、それを教育によって実践する…という発想を持っているようです。
今のデンマークには、世界のファシリテーターになるという方向性があるようで、そのための実践として、たとえば英語の指導にはインドなど決して正統派とは言えないような国のスピーカーを混ぜるなど、目的に合わせた学習方法を取り入れているとの事。

日本の場合は、どうでしょう?
日本はどんな国でありたいか?と、市民が考える機会はあるのでしょうか…?

デンマークでは、社会は自分がつくっている。
だから、責任も権利も自分にある…という意識を市民一人一人が持っているようです。
これは、日本だと考えづらい状況ですよね?

僕は、日本の場合、基礎自治体に置き換えて、これらを実践していくと良いのではないかと思います。
デンマークの人口は約580万人で兵庫県とほぼ同じ、エストニアは133万人で奈良県や長崎県とほぼ同じぐらい…そもそも、日本とはだいぶ規模感に違いがあるのです。
日本全体で考えてしまうと大きくなりすぎて、自分で変えられるという感覚を一人一人が持つのは難しいのではないでしょうか。
でも「この地域をどうしたい?そのためにどんな教育が必要?」と考えるのは、とても自然だし、楽しい事のように感じます。

また、これも午前・午後で共通して出た話題ですが、デンマークではよく人の成長や他者との関係性をLEGOに例えるそうです。
LEGOは凸凹があるからお互いがうまくハマり、うまくハマるからこそ色々な形をつくれる。
人にも強みや弱み、長所や短所があって、それぞれ違う個性を持っているから、組み合わせる事ができるのだ…と。
もちろん、すべての事を満遍なくできる人も素晴らしいけど、すべての人がそうなってしまったら、つなげていく事はできないよね!みたいな感じでした。

これは、僕が昨年から始めた、強み発掘のワークショップとよく似た考え方です。
僕は強み発掘の手法として、まず自分の弱みに気付くところから始めます。
そして、お互いの弱みをシェアし合う中で「自分では強みと感じられていなかった事の価値」を認識します。
僕は、これを最終的には、コミュニティ化して、自分の弱みを誰かに補ってもらう、自分の強みを発揮できる場所を探すといった、仲間づくり、チームづくりの場にしたいと考えています。
正直、LEGOのワークショップ(LSP)は好きではないのだけど、この話はワークの導入で使いたいな…と思いましたw

他にも午後のイベントで出た特筆すべきトピックとしては、デンマークでは子供の頃から育まれている、クリティカルシンキング(批判的思考)の話がありました。
現代の日本においては「批判」という言葉が出ただけで拒否反応を起こす人がたくさんいそうですが、現状に対して常に疑問を持ち、この状態は最適なのか?もっと違う解があるのではないか?と考え続ける思考を指します。
…こうやって説明しても、やはり日本人は、好きそうじゃないですねw。
でも、僕は非常に重要な考え方だと思っています(というか、僕にはそれ以外の思考が逆にできないのですけどね…)。

他にもニールセンさんの話には気付きや学びがたくさんありました。
今後4回のオンラインレクチャーがあるそうですが、早速すべて申し込んだので、こちらでもさらに新しい学びを得られると良いな~と思っています。

なお、余談ですが…
午後のイベントでは、振り返りのブレークアウトセッションで、ニールセンさんと同じルームに振り分けられたので、質問したかった事をフランクに聞く事ができました。
デンマークにおける大人と子供の関係はフラットで、人生の先輩として大人に対するリスペクトはあるけど、新しい事はむしろ子供が大人に教えてあげなくちゃいけないみたいな関係性が構築できているようです。
それは親子の間にも存在していて、親が間違っていると思ったら反論したりするのは当たり前という感じみたいです。

日本の場合、大人と子供の上下関係は、親と子→教師と生徒→上司と部下のように、生まれてから社会に出るまで、ずっと続いていきます。
「教育」という言葉もそうですが、「教える・教えられるが学習である」とか「大人は正解を持っている」みたいな幻想を捨てないと、これから先の時代は、お互いに生きづらくなっていくんじゃないかな…と思います。

こういった、日本で当たり前とされている事に疑問を持ち、自分たちの生活をより良い方向に変えていくために、モリゼミが有効に機能すると良いな…と感じています。

昨日は他にも2つイベントがあり、それぞれ良い学びの機会になりましたし、とても充実した1日でした。
(その分、疲労感はハンパないですが…w)


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