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掬い上げた心の望みを叶えるために。

しばらくSNSの更新ができなかった。

体調不良でも落ち込むことがあったわけでもなく(湿度の高さにゲンナリとはしているけれど)、自分の“心”との対話に気を取られ、オンライン上での発信がすっかり滞ってしまっていた。今日の空模様、趣味のこぎん刺し、出来たばかりの梅シロップのこと、お題は何だっていいはずなのに、なぜか投稿しようとすると言葉が出てこない。

じわじわと迫りくる、ある大きな決断

この1週間で、私はとても大きな決断をした。

私にとっては大きな決断だけれど、人によっては「何てことないでしょ」っていう場合もあるかもしれない。けれど私にとって今回の決断は、決して、ひょい!とできるものではなかった。何なら最初はかなりの抵抗を感じていた。

「私には縁のないこと」
「私には無理」
「現実的に考えたらおかしいでしょ」
「自分の立場、わきまえなよ」

否定的な声が私の内側に飛び交っているにも関わらず、なぜかそのことが頭から離れなかった。“いつまでたっても気になって仕方ない”のは、私が本当の心の声にちゃんと向き合えていない証拠だった。

深層に隠れていた、本当の心の声とは

自分の内側に深くふかーく潜ってみると、心底で発見したのは“スネ”だった。発見したそのスネを“見て見ぬフリ”することもできたけれど、少しでも前に進めるのなら…という思いから、その存在を認めてみようと思った。(これが一番痛かった)

上に書いた否定的な声は、すべて私のスネから発せられていた。「私には」を「私なんかには」に置き換えた方が実はしっくりくる。無自覚でスネモードだった自分に呆れつつも、気づいた“本当の心の声”。表層にある否定的な声とは異なり、心の内側の“深層”にある声は正反対だった。

「本当は体験したい」
「本当は行ってみたい」
「本当は肌で感じたい」
「本当はこの目で見てみたい」

本当は、の後に続く言葉はどれも素直な心の声。
否定的な声のずっと奥、私の深層部にある本当の心の声を初めて認めた時、心の中が急に静かになった。意識がぐぐぐっと自分の内側に向かった気がした。

心の声を掬い上げるように聞いてみる

家族にも相談はしたけれど、それよりも自分との対話を幾度も重ねた。周りの目とか声は気にならず、重要なのは「私はどうしたいか」だけだった。答えを出すまでの間は、四六時中、自分と対話をしていたような気がする。

私が、私の心の声を掬い上げるように聞いた後、今度はその望みを叶えないわけにはいかない気がしてきた。

でも、大きな決断はやっぱり怖い。金銭面や周りの友人たちの動向を言い訳にして、私もその決断を途中で放棄することはとても簡単。けれど私自身の本心を知ってしまった以上、決断を放棄することは、私自身の望みを放棄することと同じだった。

もし本当に放棄してしまったら…??
答えは、容易に想像がつく。
そこには、後悔と叶えられなかった悲しみが残るだけ。

選択肢は、GO!のみ

私にとってどうすることが一番良いのか。その答えは分かってはいたけれど、自分自身でちゃんと腹を括れるまで(気がすむまで)悩みに悩み、最終的には怖さや不安より、本当の心の望み、未知の世界への楽しみ、心がわくわくする方を選択することができた。

否定的な思考や恐れを手放し、自分を縛るものから解放された時の清々しさは言葉にならないほどだった。そして自分の心の望みを叶えることができた時に込み上げてきた安堵感…心の中が一気に満ち足りたように感じて涙が出た。それは今までの人生において、自分の心の声をきちんと掬い上げてこなかった証拠かもしれない。これから先も、自分の気持ちに素直でいたい。否、いよう。

こんなに悩んで出した決断はいつぶりだろう。
それだけでもう十分に価値がある気がする。
あとはもう、気持ちを楽にして、ただ楽しむだけ。

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