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私だけが触れられる心の中、私にしか聞こえない心の声。

人と比較して、すぐに拗ねてしまうし、「私なんて」がずっと口癖だった。最近はずいぶん意識するようになって、言葉にはしなくなったけれど、“心の中”でつぶやいていることがあるのは内緒(苦笑)

実は、今日の私も拗ねモードだった。自分にないものを持っている人がとても輝いて見えるから、SNSに背を向けるように、針と糸を手に取り、黙々と作業に集中した。

ただ、そんなに簡単に拗ねモードから脱却できるわけじゃないのは分かってる。現実逃避をして、“拗ね”から一時的に逃れられたとしても、またすぐに追っ手がやって来るだろうし、実際のところ、手を動かしながらも、頭の中ではずっと人と自分を比較し続けていた。

そんな拗ねモードの真っ最中、気付いたことがある。

人と比較しているのは、誰でもない“私自身”だということ。勝手に比較して、落ち込んで、拗ねて、殻に閉じこもって、、これって一人相撲に近いのかな(苦笑)

誰かから烙印を押されたわけじゃない。私が私自身に烙印を押していた・・・。少し立ち止まって考えてみると、なんて悲しいことをしていたんだろうと思う。過去にも常習犯的にやっていた自覚がある。人と比べて自分を責め立て「できない自分」「つまらない自分」「見向きもされない自分」などなど、自分の基準で、ありとあらゆるレッテルを貼り、自分で自分を奈落の底に突き落としていた。

心の中で何をどう思うかなんて自由だし、何を考えたって、きっとエスパー以外には分かりゃしない。けれど、自由で誰にも聞こえないのであれば、なおさら自分自身を傷つける場所にはしたくない。

私が私自身の最大の味方なのだとしたら、心の中は、拗ねモードの私も、落ち込みがちな私も、素直になれない私も、受け止め、赦し、満たす場所でありたい。

それは自分だけが触れられる心の中だからこそ、私にしか聞こえない心の声だからこそ、きっとできることなんだと思う。

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