迷人伝 その1

 中島(なかじま)紀昌(のりまさ)が『名人伝』と出会ったのは、中学二年生の時だった。本格的な夏が到来する前ではあったが、長袖の制服が暑苦しく感じる、なんとも中途半端な季節のことである。

 出会ったという言い方は、少し平凡過ぎるかもしれない。なぜなら国語の教科書に載っていたこの短い小説によって、紀昌の人生は大きく変貌し、大きく捻じ曲げられてしまったからだ。ささいな出会いが人を大きく変えるきっかけにもなるが、後から考えれば、それはただの出会いではなく運命の出会いだったと気づく。

 まず主人公の名前に衝撃を受けた。邯鄲(かんたん)というどこにあるのか見当もつかない都。そこに住んでいるという紀昌(きしょう)。読み方こそ違えども、自分と同じ名前だったのである。しかも、作者の名前は中島(なかじま)敦(あつし)と言う。こんな偶然があるだろうか。いや、これは偶然ではなく天啓に違いないと激震が走った。それは自分の頭の上に乗せられたリンゴに、一〇〇メートル先から矢を射抜かれたほどの正確無比な宣告だった。

 国語の授業なんてつまらないものを、これまで真剣に聞いたことはない。授業が『名人伝』に進んだことも、紀昌は知らなかった。そのことに気づかせてくれたのはクラスメイトだった。そうは言っても、好意的なものではない。軽い悪意が込められていたと言っていいだろう。

「紀昌やって。ナカジーと同じ名前やん!」

 クラスの人気者は授業中であろうと、平気でふざけたことを大声でほざく。この街では、面白いことを言う男子が皆の人気を手にできるのだ。先生は体裁だけの注意はするが、その顔には雲に隠れた朧月のような笑みがこぼれていた。もちろんクラスのほとんどの生徒も笑っていた。なんと紀昌もつられてニヤけていたくらいだ。

 これまでの紀昌のアダ名は“ナカジー”だった。しかし『名人伝』のお陰で、紀昌のアダ名は、“キショイ”に変更された。

 紀昌はいじめられっ子だ。自殺が横行するいじめの世界では、紀昌に対するそれは些細なものだった。単に皆にからかわれる程度である。何かにつけてバカにされたり、机や教科書に落書きされたり、背中に足跡を付けられたりするくらい。深刻ないじめではなく、どこの世界にも蔓延している弱い者いじめの類である。思い悩むほどのことでもない。当の紀昌もそう自分に言い聞かせていた。

 みんなは紀昌のことを「気持ち悪い」と言うけれど、紀昌も自分のことを気持ち悪いと自覚していた。自分で自分が嫌いだった。その理由も自分ではっきりと理解していた。

 自分には特技が何もない。髪型が変なのも、格好がダサいのも、スポーツが苦手なのも、勉強ができないのも、面白いことを言えないのも、すべて特技がないからだと、紀昌は自分勝手に決めつけていた。逆に、自分に何か一つでも特技があれば、それらすべてのことが解消されるとも言い換えられる。

 それを心の拠り所にしていたわけだが、中学二年生の紀昌にとって、自分の特技を見つけることは至極困難だった。そう簡単に見つかるはずがない。紀昌は諦めの境地で、日々のいじめを自分なりに受け入れていたのである。

 そんな紀昌に、まさに天命が下された。『名人伝』の主人公である紀昌(きしょう)は、天下第一の弓の名人を目指すという。もともと弓が得意だったのかどうかはわからないが、名人になるために途轍もない年月をかけて、忍耐極まりない修業に立ち向かう。紀昌は、その生き様に憧れた。暗い夜の海を彷徨っていた紀昌は、幸運なことに自分が進むべき灯台の灯りを見つけることができたのである。

「僕も天下第一を目指したい。いや目指さなきゃいけない」

 問題は何の天下第一になるか、である。そもそも何の特技も持ち合わせていない紀昌にとって、将来の希望や展望といったものは皆無だった。天下第一を目指すと決めたはいいが、進むべき明確な目標がわからない。

 しかし紀昌はまったく途方に暮れていたというわけではない。なぜなら『名人伝』の紀昌は、最終的に弓を持たずに鳥を落とせるようになったからだ。この能力を手に入れてしまえば、どんなことでもできそうな気がしたのである。いじめという些細な問題もなくなるだろう。いや、逆に皆から尊敬されるかもしれない。誰もが自分の能力に驚嘆し、平伏すかもしれない。自分には無縁だと諦めていた(しかし強烈に羨望していた)モテモテの人生が確約されるかもしれないのだ。

 もう少し心地いい春に居座ろうか、それとも照りつける太陽が眩しい夏に歩もうかと悩んでいた天候が、ようやく前に進もうと決心したように、紀昌にも腹の奥底から確固たる決意らしきものが沸き上がってきた。

 そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった紀昌は、さっそく修業に取りかかることにした。修業と言えば、師匠の存在が不可欠である。師匠を誰にするかで、修業の成果も大きく違ってくる、かもしれない。ただ紀昌は極度の人見知りだった。人が嫌いというわけではないが、うまく会話をすることができなかった。それも自分に自信がないための副作用かもしれないが、その処方箋は今の紀昌には持ち合わせていなかった。今の時代に名人が存在するかどうかはわからないが、たとえいたとしても教えを請いに行くほど勇敢でもなければ、図々しくもなかった。

「別に問題はない。何も師匠は人でなきゃいけないってわけじゃない」

 紀昌の手には国語の教科書がある。『名人伝』が書かれた教科書があるのだ。先生か誰かが「人生で学ぶべきことは、すべて教科書に書かれている」と偉そうに能書きを垂れていたが、それは本当のことだったのだと、紀昌は神妙な面持ちで納得した。

『名人伝』の紀昌(きしょう)は、まず瞬きをしないことを学ぶ。そのために織機(おりき)の下に潜り込み、上下する招木(まねき)を瞬きすることなく見つめる修業に取り組む。紀昌の家には織機も招木もなければ、それがどんなものかも紀昌にはよくわからなかった。要は、何か動くものをジッと見続ければいいのだと安直に解釈した。

 中学生の紀昌にとって、自由に使えるお金はほとんどないに等しい。少ない小遣いで日々やりくりすることは、ほぼすべての中学生にとっての重要課題である。それほど裕福ではない家庭のお陰で、逆にいじめっ子からお金をせびられることはなかった。どっちが恵まれているのかはわからない。ただ裕福ではないという経済状況は、中学生の力では覆すことができない現実である。

「ならば、家の中にあるもので作ればいい」

 創意と工夫があれば何とでもなる。その気持ちがあれば、学校でいじめられることもないと思うのだが、それはまた別の問題である。自分一人の努力で乗り越えられるものとそうでないものがあるのだ。

 紀昌は帽子を取り出した。次にノートを千切った紙を丸め、セロハンテープで糸と結びつけた。それを帽子のツバにテープで留めれば、立派な修業アイテムの完成である。とても簡単なものだったが、自信作でもあった。三〇分もかからずに完成したことも満足の要因だった。修業は簡単なものから始めるほうが長続きすると感じていたからだ。

 紀昌は、この自信作を“瞬き帽子”と名付けた。言うまでもないが、帽子と防止をかけた秀逸なネーミングである、と紀昌はほくそ笑んだ。

 さっそく紀昌は瞬き帽子をかぶってみる。小学生の時に使っていた帽子であったため少し小さかったが、ゴムが伸びるので問題はない。頭を振って紙を丸めただけの玉を左右に揺らしてみると、ちょうど古時計の振り子のように、玉は左右にリズムよく揺れた。

 上々の出来に紀昌はご満悦だった。調子に乗った紀昌は、天地がひっくり返るほど大きく首を振ってみる。玉が目の前を高速で一回転した後、テープで留めただけの玉はあさっての方向に飛んでいってしまった。帽子のツバと糸を結んでいたところが簡単に取れてしまったのだ。

 これではこれからの長きに渡る修業に支障をきたす。そう思い直した紀昌は、これまた小学校の家庭科で使った裁縫道具を取り出した。糸を帽子に縫い付けてしまおうと考えたのだ。糸を帽子のツバに突き刺して、後は丸結びするだけの簡単なものである。

 もう一度帽子をかぶり、先程と同じように首を大きく振ってみる。今度は成功である。紀昌の目の前を玉がまるで生き物のようにダイナミックに回転していた。

 紀昌はすぐに修業に入った。左右に動く玉を見つめ、瞬きをしないように意識を目に集中する。しかし、ものの一分もしないうちに瞬きをしてしまう。紀昌は少なからずがっかりしたが、そんなに悲観することでもない。国語の教科書、つまり『名人伝』によると、主人公が瞬きをしないようになるまでに二年もの年月を要したのだ。それを今すぐできるようになるほうが烏滸がましい。そんなに簡単にできるようなことは修業でもなんでもない。そう思い直した紀昌は、時間が許す限り何度も瞬きをしない修業を行った。

 また紀昌は、自分に課すべき修業の誓いを立てることにした。決して破ってはいけない鬼の誓いである。

 誓いと言っても、たった一つだけである。この瞬き帽子を決して脱がないこと。寝ている時も、風呂に入っている時も、この瞬き帽子をかぶることを誓った。瞬き帽子を脱ぐ時、それはもはや瞬きをしないようになった時である。ただ瞬き帽子を修理する時は脱いでもいいことにする。これから長い間寝食を共にするのだから、壊れることもあるだろう。ノートの紙を丸めただけのものだから、頻繁に取り替える必要もある。その場合は仕方がない。

 鬼の誓いを立てた紀昌は、安心してベッドの中に潜り込んだ。時刻はすでに午前二時を回っていた。もちろん帽子はかぶったまま、邪魔にならないように玉を横にずらして深い眠りについた。明日からの修業に心踊っていたに違いない。その寝顔は、まるで横断歩道に鳴り響く視覚障害者用のメロディのように軽やかな希望に充ち満ちていた。

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