見出し画像

クルド人難民の境涯をドラマで知る/『マイ スモールランド』放送決定/映画観客はソロ・ピケッター

来週木曜日です。家にテレビがある方は是非ともご覧になっていただきたい。シェアもよろしく🥰
映画『マイスモールランド』
3月24日(木)
NHK BS1 (前編)よる8時~8時50分(後編)よる9時~9時49分

埼玉県(川口市・蕨市)に暮すクルド人 家族を想定した物語。日本のクルド難民 については、すでに数本の優れたドキュメンタリー映画があります。わたしの知る限り、ドラマ仕立てははじめてでは?でも、「問題の暴露や訴えの方法としてのドラマ」という見立てじたいがワナなのでしょう。問題を感じて、情報を補って、建前ではない認識や手掛かりをとり出す必要がなくなるのですから。

いくぶんかロマンチックなもの言いをすると、どんな川幅でも川は橋があれば渡れますが、渡ると罪になると言い渡された人たちが、日本のいくつもの「川向う」で息を潜めて生きているという事実がある。そんな理不尽な「橋のある川」のこちら側のたもとに立つ映画になるかもしれません。

今、ウクライナと東欧諸国との国境で押し戻されて避難がかなわない、多くの非ヨーロッパ系人種の難民が被っている理不尽と同じです。この列島には、橋があっても一方から、ときには双岸から渡河できない無数の川があるし、人権という素手だけではさしあたって応戦のしようがない、一方的に仕かけられた戦争がある(例えば入管と法務省の強制送還への執着に根差す全件収容主義。自分のこどもと面会できるのは月30分とか!)。列島の1億2000万人の日々が覆い隠している、このミクロな戦争に目をつむることはできないという、誰もが持ち合わせるはずの良識を動機につくられた映画のようです。だから、ふつうの高校生が(アンチ)ヒロイン。

映画の観客はデモ、ラリー、マーチ、運動をする人ではありませんが、いま、ロシア国内の街頭で次々逮捕されているソロ・ピケッター、孤独な抗議者たちのように、一本の杭として相克の場にみずからを打設する人、何事かを守るために佇む「立ちんぼう」になりえるとわたしは思っています。

なお、5月からこの作品の劇場版が各地で公開されます。今年のベルリン映画祭で、深刻な人権問題にたいして、声を荒げるわけではないけれど、その痛みに耐えてなお希望に向かう意思を表現する作品であるとして、高い評価を受けたそうです。