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サザエさんは本来伝統的な家族像ではなかった

サザエさんはとかく伝統的な家族像のイメージとして語られがちだが、当時としては革新的かつラジカルなキャラクターで、始まった当初(昭和21年)はむしろ戦後民主主義の象徴として描かれたものだった。サザエ一家は2世帯同居のように見えるが、実際は一度フグ田家に嫁いだサザエが大家に(マスオが主因で)借家を追い出され、仕方なく実家に転がり込んでそのままちゃっかり居座ったまま生活している。

夫マスオの低姿勢はそのためもあるだろうが、サザエは伝統的な、いかにも良妻賢母的なキャラではなく、夫マスオをそんなに立てることもなく、ドジでおっちょこちょいで自由奔放なそのキャラは伝統的というよりむしろ戦後的だし、夫マスオは星一徹のような昭和的男性像ではなくなよなよっとしてて優しさはあるがどこか頼りなく、今の草食系中性的男子を予見していたかのように見えなくもない。

アニメの無難なイメージが固定化されてる感が強いが、サザエさんは当時としては新しい時代の新しい家族像を日本人に提示したある意味過激な作品で、あれを「伝統的ほのぼの家族」と捉えるのはある意味「伝統」を見誤ってしまうことにも繋がる。


家族の在り方というのも時代時代だが、基本的には日本はずっと農家が多かったわけだから、家族みんなで働いていたというのがどちらかと言えば「伝統」で、サザエ一家のようにサラリーマンと専業主婦という家庭像は高度成長の総中流時代だから成し得ただけの話で、終身雇用年功序列が崩れた今の非正規雇用ばっかの社会で当時と同じことができるかと言えば無理がある。なので少子化だからといって「家族はこうあるべし」みたいに重く考える必要なまったくないわけだが、それとは逆行するがごとく自民党は憲法24条に「家族条項」を盛り込み、「家族はこうあるべし」と逆に国民に命令しようとしている。


そもそも憲法は国民が権力を縛るものなので憲法で国民に命令すること自体が立憲主義違反なのだが、家族の多様化を認めたくないというのは統一協会の影響で、彼らは世界日報で堂々と「家族条項」についても公言している。集金源となる家族を多様化させたくないのは彼らとしては当然の欲求だし、そう考えると数年前自民党の杉田某が「LGBTには生産性がない」と発言したのもそういうことだったのかと解ってくる。


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