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モーリーの闘病日記(4)再手術編


2004年1月1日 朝焼け

窓際に移動してこれからは毎日みるのかもしれないが、ちょうど元旦から朝焼けをみることができたのでとても新鮮。これはと思ったら、きれいな初日の出もベッドの上から見ることができた。初日の出なんて何年(何十年?)ぶりだろう。
新年の思いをあれこれ考えるということもなく、寝正月で一日を過ごす。正月休みは先生や看護婦も少なくて寂しい。はやく1月5日の月曜日、仕事始めになってほしい。
腹のドレンから便は止めどなく出てくる。痛い。炎症を起こしているのだろう。痛み止めの点滴がないとちょっと我慢できないくらいだ。前回穴が開いた時とちょっと様子が違う。はやく手術してほしい。痛いよー。
「トリビアの泉」と「どっちの料理ショー」とどっちを見るか悩んだが、料理の方を見ることにする。カレーライスとラーメン。どっちも食べたいの〜。

2004年1月2日 寝正月

初日の出、ならぬ日の出を今日も拝む。元旦の昨日よりも雲が少なくてきれい。朝の検温や採血のあとはまた就寝。午前中はずっと寝てしまう。
ようやく腸管の穴は塞がったみたいで、腹のドレンからの漏れはなくなる。塞がったといっても絶食していての話だけどね。しかし腹の痛みも発熱も落ち着かない。できるだけ我慢しているのだが耐えきれずに「ロピオン」という解熱鎮痛の点滴をお願いしてしまう。漏れがなくなったから熱が出ることもなくなるだろうと思っていたのだが?
今日は来ないといっていた先生が来る。手術日がいつになるか決まるのはいつなんですか?と聞くが、おそらく急患ということで予定を入れるのでまだはっきりわからないという。こちらにも都合、といっても心構えだけであるが、
があるので早くはっきりしてほしい。
一月中には退院したいよなー。

2004年1月3日 点滴はおしっこが近くなるよね

朝5時半にトイレに行ったら今日はそのまま8時まで寝てしまう。日の出は拝めず。24時間絶えず点滴をしているので、寝ている間にどうしてもトイレに起きてしまう。このタイミングが大事だ。あまり早くにいってしまうと2回もいかなければならなくなる。で、今日はそのパターン。ちゃんと寝る直前にいっておけばいいんだけどね。

夕方、主治医が登場。やっぱり手術日は来週か再来週かはっきりせず。ただ説明は早くてもいいでしょうということで、月曜日の夕方に家族に来てもらうことに。
「再手術だね」という会話の後、ストーマはなるべく避けたいというと、笑いながら「みんなそういうんだよね」と言われる。いや先生、笑っている場合じゃないって。一時的にしろなるべく避けたいって。
要するにうまく吻合できずに穴が開いてしまったくらいだから、炎症があって今度もうまくくっつかない場合が考えられる。だから吻合部より上部にストーマを造ってしばらく安静に保ちたい、ということらしい。まー月曜日にちゃんと説明があるのだろう。
「先生の腕なら難しい吻合でもちゃんといきますよ。私は先生の腕を信じていますから」
なんておだてたら、がんばってストーマを造設せずにはりきって腕をふるってくれるのではないか?
よし、この作戦で行こう。と、いろいろ考えてみたりする。
まー、最終的には開腹してみての判断だろう。手術が終わって麻酔から覚めるまで、ストーマになるのかどうかがわからないというのは実に不安だ。
あとは手術日がいつになるのか分かるのが、いったいいつになるのか。わからないというのはイライラするもんです。

「ブラックジャックによろしく」と「古畑任三郎」とどっちを見るか悩んだが、「古畑任三郎」の方を見ることにする。理由は気楽に見れそうだから。


2004年1月4日 バレる その2

今度は看護婦である。
「ねぇ、あれってミヤザワさんでしょ?」
どうやら本を見たらしい。ちょうどエレンタールでうどんを作るやつ。へぇ〜、エレンタールでうどんなんか作れるんだ、なんて興味をもって読んでいたら、あれれ〜と思ったそうだ。よくわかったねと聞くと一発で分かったと言う。結構バレない方なんだけどなー。バレちゃしょうがない。写真も撮らしてほしいし最新号をあげる。

発熱も痛みも漏れもなく、すこぶる快調。ナースステーションの周りをぐるぐる歩いちゃったりして。すこし動いた方がいいしね。
するとどうでしょう。お腹が空くんですねー。これが辛いんだなー。
少し元気が出たので、ちょっとだけ仕事をがんばる。

2004年1月5日 手術について説明が行われる

夕方より家族を呼んで手術についての説明。
手術日は1月8日の午後に決定。
術式についてはやはり予想通り。穴の開いた部分は切除して吻合し直し、その上部にストーマをつけるというもの。
なんとかストーマは避けたいので、「術後、エレンタールだけで様子をみたら大丈夫じゃないですか?」などと駄々をこねる。が、ストーマを造設するのが最善策だそうだ。
最終的には開腹してみて先生の判断。すべてを任せるしかない。

はっきりいってイヤである。大ショックである。
いままでスーマについては、いろいろと話を聞いていたし実際につけている人に何人も会っていて理解できているつもり、だった。
でもいざ自分がとなると受け入れられない。
へこむ。

2004年1月6日 気持ちいいを通り越して気持ち悪い

手術の痛みよりもストマがつくことの方が嫌でしょうがない。憂鬱。
再手術にならずに治ると思っていたので、ずっと風呂に入る機会をなくしていた。見直してみたら12月10日以来、約一ヶ月にもなる。指で身体をこするとぼろぼろと垢が出てくる。濡れタオルで身体を拭いててもダメなんだよね。
腹にドレンのチューブをつけながら、さらに点滴をしながらの入浴というのは面倒くさいが、明日は絶対に入らなくてはならない。またあそこの毛を剃るためだ。ならばどうせ暇だし、体力も戻ってきているので今日も入ってしまおうと思い立つ。
看護婦さんに防水対策をしてもらい、熱いシャワーを浴びる。本当は湯船に浸かりたいのだがそれは無理。石けんをつけてタオルで軽くこするだけでも違う。かなりの垢が落ちる。圧巻だったのは足の裏。皮が厚くなって真っ白に見えていたのが、お湯でふやけて指でこするとボロボロと大量にはがれ落ちる。気持ちいいを通り越して気持ち悪いくらいだ。

午後、三雲社の二人が見舞いにきてくれる。もう仕事も何もかもイヤになっちゃったよーと愚痴をこぼすと、一年くらいぶらぶらしてゆっくりすればいいじゃない、と変な励まし方をされる。ま、それもいいかーとちょっと元気になる。
夜は入院中に知り合った隣室のUさんにいろいろと話を聞く。複雑痔瘻でストマをもう数年つけているという。「ストマ用の袋はたくさん種類があって、詳しい看護婦さんがたくさんサンプルくれるからいろいろ試せるよ」、と早くもコーチされる。このUさん、私よりも全然若い女性である。明るく元気な姿に励まされる。

2004年1月7日 前日

麻酔医が説明にやってくる。二回目だからか詳細な説明はなし。ただ血液検査の結果、血が固まりにくいとのことで硬膜外麻酔(脊髄に入れる麻酔)はやらないだろうとのこと。この麻酔は皮膚の表面の痛みに効くようだったと思う。とにかく痛いのは腹の中なので別にいいや。って本当に大丈夫だろうか?

手術室担当という看護婦が登場。アレルギーや痛みの有無などあれこれ聞かれるが特に問題なし。前回は手術室で流してくれる音楽をリクエストできたのに今回は聞いてくれない。なんでだろう?

風呂で毛をそる。どうもおかしいと思ったのである。最初の手術の時、いわゆる安全カミソリが手渡された。二枚刃とか三枚刃とかのあのカミソリである。普段から電動ひげ剃りを使っている私はおっかなびっくりだったのだ。今回手渡されたのは電動バリカンみたいなもの。
「えっ、やり方が変わったのですか?」
「いえ、昔からですよ」
この前は安全カミソリ渡されたと話すとびっくりされる。看護婦のFさんよー。信用ならないなー。

ストマ造設位置のマーキング。マジックで腹に印をつけるのである。今回は本当につけることになりそうなので慎重にお願いしたい。が、担当の看護婦は頼りなく本当に大丈夫なのか心配になってしまう。前回の方が長い時間をかけて位置決めしていたんだけど。

なんか忘れていると思ったら、肺活量の測定をしていない。看護婦に聞いたら、やらなくてもいいんですよと言われる。おいおい、そんなもんなのか? 前回より絶対に肺活量は落ちているし、なんてったって気胸にもなっちゃったし。ま、ちゃんと深呼吸ができれば問題ないんだろうけどね。

そんなわけで明日の午後より再手術。もうどうにでもなれ状態。痛かろうがストマがつこうが知らねえや。どうしようもできないしね。あとは先生まかせなのだ。

「ものは考えようで、これ以上悪いことはないから、今年はよくなる一方ですよ」
知り合いからメールをいただく。確かにその通りだ。

2004年1月8日 再手術

朝からいい天気である。絶好の手術日和、なんて冗談もいいたくなるくらい。
睡眠薬を飲むことなくぐっすりと寝れた。しかしリラックスしているかといえば決してそんなことはない。前回の術後の痛みをまだ鮮明に覚えているだけに怖くてたまらない。
午後から再手術。夜からまた修羅場だね。明後日までは地獄が続くだろうと考えると気が重くなる。
それではしばらくお休みなのだ〜。

2004年1月13日 再開

無事手術は終わる。予想に反し、ストーマはつけないで済んだ。しかも術後の苦しみは約3分の1(当社比)。手術室で意識が戻ってからは「袋は?袋は?袋はついたの?」としきりに聞いたていのを覚えている。主治医に会うたびになるべくつけないようにとお願いしていたので、希望を叶えてくれたようだ。
しかし、ストマを造設しないで大丈夫なくらい炎症がなかったのかというとそうでもないらしい。また縫合不全を起こさないことを祈るだけだ。

手術直後は痛かった。病室に戻って意識がはっきりした時。とにかくその時が猛烈に痛かった。痛み止めの点滴を用意してくれたのだが、それが効きだすまでの間、もう痛くて涙ポロポロ。しかしその後はたいしたことなく、結構眠れる。
術後1日目。痛み止めの点滴が効いているのか一日中ぼーっとしている。しゃべる元気なし。
術後2日目。夜になるとテレビを見る余裕が出てくる。最初の手術のときと比べると雲泥の差。
術後3日目。マーゲンチューブ(鼻から入れて胃液を抜くもの)と尿道カテーテルが抜ける。これでT字帯(ふんどしみたいなもの)に浴衣姿から解放。パジャマにパンツ姿になる。しかし尿道カテーテルを抜いてしまった分、トイレに立たなかればならず、これはこれでツライ。便もガスも出るようになる。

今回は実に順調と思っていたら猛烈な胃痛。夜中になってである。位置からして胃だと思うのだが、ストレスからの潰瘍か何かだろうか。ガスターの点滴を落としてもらい、なんとか落ち着く。
あとはやっぱり発熱。ほっておくと39℃くらいまであがってしまう。熱さえなければほとんど問題ないんだけどね。一週間くらいは仕方ないのか。
で、解熱鎮痛剤で熱が下がると早くも食欲が出てきた。いいことだ。

2004年1月14日 振り返ればもう2ヶ月

一晩寝て起きるたびに良くなっていきますよ、と言われたことがあったがどうにも実感ができない。昨日の方が熱が出なかったり、気分が良かったりする気もする。日々良くなっては来ているのだろうが分かりにくい。
朝起きると38℃の熱。腹も痛いし解熱鎮痛の点滴をしてもらう。とたんに気分がよくなる。朝の回診時、「お腹が空きました!」というと、「今回は慎重に行くからね」と戒められる。そりゃーそうだろう。あせって食事を開始して、また縫合不全なんてことにでもなったら先生の立場もないし、だいたいオレだってたまったもんじゃない。多少無理してストマをつけなかったんだし普通よりもおとなしくすべきであろう。前回に比べて貧血が進んでいるようで鉄分とアルブミンの点滴が追加となる。
見舞い客を予想していなかったのに、4人もの人が代わる代わる来てくれる。最後の4人目の時にちょうど主治医が登場。来週の月曜日に注腸の検査をしてみようかとのこと。これで問題がなければ食事開始ですな。
鳥インフルエンザなるものがニュースになっているようで。牛肉なんかどうなろうと関係ないが(どうせ吉野家になんか行かないし)、鶏肉はよく食べるだけに被害が少なければいいのだが。

2004年1月15 ブラックジャックによろしく

朝の検温37.8℃。8時と20時に解熱鎮痛剤(ロピオン)の点滴追加。
雲一つない青空。強烈な朝の日差しがうっとうしすぎる。いつもは日が当たることを喜んでいるのだが、なんか暑すぎ。もったいないがカーテンを閉めてしまう。
今日は昨日に比べて良くなっていることを実感する。起き上がるのも楽になってきたし、いっぺんに5周歩くこともできた。解熱鎮痛の点滴があっての話だけどね。
しかしやたらと看護婦に気をつけてくださいねと声をかけられる。貧血が心配なのだそうだ。今のところ自分では症状を全く感じない。周りがだんだん暗くなってきて急に倒れてしまうと言う。毎日鉄分の点滴をしているのだが少しは効果が出てきているのかどうか。

そういえば今年から研修医というのがこの病棟にきている。しかも女医。まだ若々しく医者というより、若手の看護婦といった感じである。結構かわいい子で主治医の二人はメロメロになっているという噂を看護婦から聞く。
で、いつも朝の回診時にくっついてきているのだが今日はいない。休みなのかと聞くと、昨晩、腸炎になって倒れてしまったと言う。病棟の処置室で点滴を受けていたとか。笑っちゃ悪いが思わず笑ってしまう。働かせ過ぎなんじゃないのー、と攻めてみたりして。
研修医というとどうしても「ブラックジャックによろしく」のイメージが浮かんでしまうが実際はどうなのだろう。今度いろいろと話を聞いてみよう。

2004年1月16日 6.5

朝の検温が36.8℃だったので、もう熱が出ないかと思ったが甘かった。午後には37.7℃。腹が痛くて15時半にロピオンの点滴。
貧血が気になったので、指標によく用いられる検査値であるヘモグロビンの検査結果を聞いてみる。6.5だそうでそれは結構きている数字だとなんとなく思う。確か正常値が十いくつで、手術前が9.5かなんかで輸血の可能性ありなんていわれていた(結局輸血はしなかった)。
で、今回の6.5である。危険ゾーンな気がする。

夜、主治医が登場。やっぱり月曜日に検査ということで決定する。
水飲んでいいかと聞くとあっさりダメと言われる。もう去年のくれから絶飲食なんだよね。水も飲んでいない。オレはなんて可哀想なんだろうと悲劇の主人公にでもなった気分だ。ま、点滴しているからうがいすればそんなに飲まなくても平気なんだけどね。

2004年1月17日 7.4

朝の検温:37.0℃。日中に最大でも37.4℃までしか上がらなかったのだが、腹痛がやっぱりあったので午後2時半にロピオン使用。なかなか良くならない。
今日は採血があったので、夕方に気になる結果を聞く。
ヘモグロビンは7.4に上昇。CRPも順調に下がってきて5.8だそうだ。先日行った尿検査も問題なし。まずまずでしょうか。

昨日から空いていたお向かいのベッドに新しい患者さんがやってくる。同じクローン病でCCJAPANを読んでいるそうで、一発で私のこともわかったそうだ。「いつも読んでいますよー」と言われてしまう。恥ずかしい。

今日は外来のある日で知り合いの人が診察ついでに見舞いにきてくれる。で、なんとびっくり。主治医が4月から異動になるそうなのだ。異動先は近くの市民病院。

2004年1月18日 脱解熱鎮痛剤宣言!

朝は36.8℃だったのにちょっとしたらすぐに37.2℃。今日もあまり進展ないかと思っていたが、なんとロピオンを使わずに一日過ごす。やっと痛みも収まったかな。ついに解熱鎮痛剤を使わなくても辛くなくなったぜ。すばらしい。
今日は横浜でも雪がちらつく。雪を見るのはこの季節初めて。病院の中はまったく季節感がないのだが、窓から見える風に舞う雪は実に寒そうな印象を与える。寒くはないがコタツに入りたい気分だ。

となりのおじいさんが退院。腎臓病だそうだが、検査と食事指導でほんの一週間ちょっとだった。腎臓が悪いというのも実にやっかいそう。タンパク質や塩分なんかを制限。緩解時の私よりもよっぽど大変そうだ。
おしゃべり好きの好々爺といった感じの人だったが、出て行くときにティッシュペーパーなんかを使ってくださいと頂く。早く私もおみやげを残す立場になりたい。順調に行けば今月中にはと思うのだが・・・。

日が暮れることになって友人が見舞いにきてくれる。なんと間違えて市民病院に行ってしまったそうだ。間抜けである。暖かくなったら一緒に釣りに行こうと約束する。

2004年1月18日 腰痛

今日も37.2℃。一日中ほとんどかわらず。なんとなくお腹が重たかったり、ずきんと痛むことがある。
まずはそれよりも最近は腰から背中にかけてが痛くてたまらない。寝てばっかりというのも理由なのだろうが、ここの病院のベッドは最新式で電動で背中部分や足の部分を上げることができる。で、この電動を多用して体を起こした状態で本を読んだりしているわけだが、微妙に腰に負担をあたえているらしい。長時間その中途半端な姿勢でいるととても苦しくなってくる。なるべくイスに座るようにする。

午後、大学時代の友人が二度目の見舞いにきてくれる。約束していた「必殺シリーズ」のDVDを持参。今やパソコンでDVD鑑賞ができちゃうわけだが、おいらのiBook G4調子悪いんだよね。すぐに止まっちゃって、ゆっくり見れないんだなー。

いよいよ明日は注腸の検査。問題なければ食事開始だよね、と思っていたら状態によっては飲水からスタートだって。穴があいているってことはないだろうけれど、血流が悪くて腸がむくんでいたり狭くなったりして造影剤がうまく流れないようだったら、まずは水からなんだって。ちょっとがっくし。

2004年1月19日 飲み物がOKになる

寝起きで37.2℃。トイレに行って戻ってきたら36.8℃。
注腸の検査。お尻から造影剤を入れられて、グルグルと体を動かす。腸管の中とすんなり造影剤は流れていくようで、ほんの5分ほどで検査終了。どうやら狭窄などの症状はなかったらしい。
「もう好きなだけ飲み物飲んでもいいよ」と言われる。
そんな好きなだけって言われたたってねー。
で、ポカリスエットをちびちび飲む。今年初の飲食物だ。とても感動する味、と思っていたが普通のポカリの味であった。
ちょっとしか飲んでいないのだが、腹の動きが活発になったのか痛くなる。真ん中のあたりやドレンの入った右側部などあちこち痛い。熱を測ると37.6℃に上昇している。我慢できなくはないが封印していた解熱鎮痛剤のロピオンの点滴をお願いしてしまう。無理して我慢してもよくないだろうしね。とたんに元気いっぱい。今度は食欲が出てきてしまう。極端なんだよなー。
夜、主治医が登場。今日すぐに水がOKになったので、いよいよ明日から食事が開始となる。もちろん最初は流動から。勝負は5分粥に上がったときですな。三度目の正直。また腹からうんこが出てきたなんてことがないように、祈るのみである。

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