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モーリーの闘病日記(3)術後苦闘編


2003年12月4日 再開

もう何日目だか数えるのが面倒なのでやめる。術後、2〜3日は絶対日記の更新なんかできないだろうと考えていたが、結局1週間経ってしまった。遡ってちゃんと書こうかと思ったが、もう覚えていない日付もあるので書かない。

さて、手術は無事に終わる。主治医の説明では当初考えていたよりも多くの大腸を残せたそうだ。これはうれしい。しかししかし、術後の痛みはハンパなかった。ホントに。ほとほと参ってしまいました。まぁ、この話はまた今度。

で、術後1週間経つのだが、はっきりいって経過は順調でない。まず発熱(39℃)があったり、腸炎(一過性?)でひどい下痢になったり、そして出血(下血)である。もちろん腹痛もそう簡単には消えないわけで、時々激しい痛みが襲ってくる。術後5日目の血液検査ではCRPが19。いくら腹切ったからってねー。
腹の傷のくっつき具合やドレンからの汚れはキレイだそうで、順調といえるのはこれくらいだろうか。

やっと今日から飲水が始まる。今のところ問題の出血さえ止まれば翌日からは流動食が始まるのだが・・・。まぁパソコンもって公衆電話まで動けるようになったということでよしとしよう。

2003年12月5日 止まらない

昨晩から続いていた下血は治まりつつあるようで、便の色が茶色っぽくなる。と思ったらまた赤黒いものが。腸からなのか痔からなのか、鮮血であったり黒っぽい血であったりで判断難し。主治医曰く、直腸と小腸の瘻孔部分を縫ったそうで、くっつきにくい場所だから慎重に行こうとのこと。明日、注腸の検査をして食事の判断だそうだ。
そんなわけで今日も飲水のみ。水でもお茶でもいいというのでポカリスエットを500ml飲む。昼になると猛烈に腹が減る。食欲が出てきたというのはいいことだ。いままで食欲もなかったからねー。しかし食欲が出てきたら出てきたで、これもツライ。

2003年12月6日 良くなってきたかも

注腸の検査をする。バリウムではなく、水溶性の造影剤を使うそうだ。で、結果は問題ないとのことで、いよいよ食事が開始となる。しかし判断がでたのが夜のことで、オーダーが間に合わない。明日の昼からになるそうだ。非常に待ち遠しい。といっても最初は流動食から。重湯とスープみたいなものだそうだ。
腹が減ったと主治医に訴えると牛乳やヨーグルト、ゼリーなどなら食べてもいいとのこと。なんだ早く言ってくれればいいのに。すぐに売店に買いに行く。ヨーグルト(無脂肪)とヨーグルトドリンクを購入。久しぶりに口に入れるものはうまい。早く魚の煮付けなど食べたいものだ。
良くなってきてはいるのだろうが、まだ熱がでる。さすがに38℃台はなくなったが、今日も37℃台後半の熱。解熱鎮痛剤のロキソニンを飲むと一気に元気になる。あとは早く咳払いが出来るようになりたいのだが、ちょっとコホコホするだけでものすごく腹が痛い。ドレンのチューブがお腹にある限りまだ無理なのだろうか。

2003年12月7日 待望の食事

昼 流動、くず湯、野菜スープ、アップルジュース
夕 流動、南瓜ウスクズ煮、だしスープ、ヨーグルトドリンク

「低脂流動」という食事が始まる。待ちに待った食事だが要は流動食である。重湯であったり具のないスープなど全て液状のもの。それでもちゃんと椀に入って出てくるので雰囲気はある。重湯はなんの味もついておらず、みんな「とてもまずい」といって残す人が多いそうだ。私は口に入れられるものならばなんでもと全て完食する。「よっぽどお腹空いていたんだね〜」とナースに驚かれる。
水分ばっかりなのでお腹がたっぷんたっぷんになるが、しっかり腸が機能しているのか、じゃんじゃんオシッコとなって出てくる。いいことなのだが、トイレに行くのが面倒でしょうがない。

そういえば昨日の注腸の検査ではガストロなんとかというバリウムの代わりの造影剤を使ったそうだが、どうやら下剤としての効果もあるそうだ。どうりで昨晩はずーっと下痢。もらしちゃうし。そんな下剤の効果があるなら早くそう言って欲しかった。ケチ。でも出血が見られなかったのでうれしい。
日中には下痢も治まる。夜になりふと気がつくと腹の痛みがない。試しにゴロゴロしてみると余裕じゃないか。なんか一気に良くなった感じがする。な〜んて思い込んじゃうと、また突然出血や発熱が起こるので期待過剰しないようにしよう。

2003年12月8日 かい〜の

朝 流動、だしスープ、オレンジジュース
昼 流動、くず湯、野菜スープ、オレンジジュース
夕 流動、ポテト柔らか煮、だしスープ、オレンジジュース
流動食なんて食事と考えてはだめだ。期待に反してあまりにも悲しくなってしまう。あくまで食事が始まる前の訓練、と認識しておかなければならない。早く固形物が食べたい。
腹の切開部分の抜糸を終えていて、もう消毒の必要もなく手で触れても大丈夫。傷が治ってきたせいもあると思うのが、消毒のイソジンもかゆみを助長しているそうだ。で、ようやく手でカキカキできる。ちょ〜幸せ。あんまり気持ちがよくてよだれが出てきてしまう。
日々調子が良くならなくはいけないのだろうが、まだ熱が出たり腹がゴロゴロと痛んだりと落ち着かない。


2003年12月9日 退院の日を考える

朝 3分粥、うどん煮、だしスープ、アップルジュース
昼 3分粥、くず湯、ポーロ、アップルジュース
夕 3分粥、とろろ汁煮、だしスープ、洋梨缶、アップルジュース

「低脂三分粥」にグレードアップ! って少し期待しちゃったんだけど、固形物はほとんどなし。ポーロって書いてあったけど要はたまごボーロ。おかずじゃないじゃん。

おなかのドレンの管が抜ける。私は縫合部が3カ所もあるせいか2本の管が入っていた。昨日1本抜いて今日残りの一本も抜いて、ついにあとは点滴だけになった。五分粥までいけば点滴もなくなるようだしあとちょっとであろう。と、突然主治医が「もうすぐ退院できそうだね」と言い出す。食事が通常にまでアップしてゆっくり入院ライフを楽しもうと思っていたのに。まだ退院したくない。「年内いっぱい入院していてもいいですよ」というと、「ダメ、早く退院しなくちゃ」と言われてしまう。いや〜ん。
私のときもそうだったように、入院・手術待ちの人がたくさんいるのであろう。ベッドがいっぱいで誰かが出て行かないと入れない。う〜ん、まだまだゆっくり静養したい気分なのだが。
で、現実的なところ、順調にいけば来週あたりに退院になりそうだ。

2003年12月10日 手術の思いで

朝 3分粥、スパゲッティケチャップ和え、だしスープ、オレンジジュース
昼 3分粥、くず湯、プルーンゼリー、オレンジジュース
夕 3分粥、甘藷煮、だしスープ、りんご缶

相変わらずお昼はしょぼい。しょぼすぎる。3分粥にくず湯じゃおかずにならないだろ。プルーンゼリーなんていうのは単なるグミみたいなお菓子だし。さみしいよー。

どうもだるく、ナースステーション周りの散歩をさぼる。するとどうだろう。便の回数が減るのである。動かなければ腸も活発に動かないわけで理にかなっているといえばかなっている。しかしそれでいいのだろうか?
相変わらず午後になると熱が出てくる。昨日ドレンも抜いて、もう大丈夫と思っていたが測ると37.9℃。解熱鎮痛剤を飲んで元気になる。

さてまだ腹痛は完全に収まっていないが、忘れないうち手術直後の地獄の苦しみを書いておこう。なんといっても痛い。とにかく痛いのである。どうにもこうにもどうしようもない。矢でも鉄砲でももって来やがれ状態である。もちろん痛み止めの薬があるのだが、適度に間隔をあけなければならないそうなのだ。夜中は「いたい、いたい」と声を荒げて、看護師に「静かにして下さい!」とたしなめられた。確かに同室の人にはいい迷惑だったと思う。ゴメンナサイ。でもね、ホントに耐えられなかったのよ。痛み止めの切れている間は痛くて悶絶しっぱなしでなのである。
ところがである。腹の表面の傷、切開した所は全く痛くないのである。こちらは硬膜外麻酔がとてもよく効いていたのであろう。痛いのは腹の中で、もうとにかく癒着しようが腸閉塞起こそうがなんでもいいから痛みを止めてくれー、と悪魔に魂を売り渡してでもと本気で思ったもんである。

あんまり大袈裟に書いちゃうとこれから手術しようという人には申し訳ないかもしれない。でもオレはそれくらい痛かった。どうも痛みは人によるみたいだけどね。どうやら若い男性の方が痛みに敏感なようで、女性の方が強いらしい。あとは術式によっても違うけどね。
のどもと過ぎればなんとかだけど、ホントに苦しいのは術後の2日間。いや〜、でもあの苦しみはもう味わいたくないですな。

2003年12月11日 大どんでん返し

夜、主治医から日曜日か月曜日には退院と言われる。
10分後、おなかのドレンの痕のガーゼがやけに湿っているので、看護師に交換してもらうと、うんこがついているのである。
すぐに主治医がまた呼ばれる。
ドレンのチューブを再びおなかに突っ込んで、注射器で生理食塩水を入れて腹腔内を洗浄する。

要するに腸に穴が開いてしまったのだ。最悪である。穴の大きさにもよるが再手術の可能性が大だろう。あ〜あである。どうりで熱があったり腹が痛かったんだよ。
主治医曰く、「術後これだけ時間が経って穴が開くということはめずらしいんだけどなくはないんだよ」。
これじゃ月曜に退院どころか年内にも無理じゃない? それよりもまたあの手術後の苦しみを味わうことになるのかと思うと悲しくなってくる。
ホントに悲しくなってきたので泣いちゃおうとするが、涙が出てこないのであきらめる。

今日からやっと五分粥の食事になって、魚の煮物がおいしいよー、なんて感動していたのに、いきなり絶飲食になる。今日の朝、やっと点滴もなくなりシャワーを浴びたばっかりなのに、また点滴生活に逆戻りである。

朝 5分粥、手まり麩煮、皮むき茄子煮、味噌汁(実なし)、アップルジュース
昼 5分粥、皮むき平目煮魚、玉葱柔らか煮、ハイハイン、ヨーグルト
夕 5分粥、豆腐煮、里芋含め煮、白桃缶、アップルジュース

2003年12月11日 憂鬱

朝、おなかのガーゼ交換をするとやっぱりうんこが漏れている。先生に「もうはやく切って治してくださいよ」と思わず駄々をこねてしまう。
「ちゃんと検査して大きさや位置を診なきゃダメだよ」と言われる。穴の大きさによっては手術しない場合もあるというが。
そりゃそうなんだけどさ。わかっちゃいるけどやりきれない。
朝から38℃の熱。ロピオンという解熱鎮痛の点滴をしてもらうとすーっと楽になる。すると腹も減ってきたがどうにもならない。
で、明日、注腸の検査をして判断するそうだ。
もうさすがにポジティブシンキングなんていっている余裕はなく落ち込んでしまう。まったくイヤになっちゃう。

2003年12月12日 今後の方針

またガストロなんとかという造影剤を使った注腸検査。で、腸に穴が開いているのが見られない。ちっちゃくて圧力がかかったときくらいしか開かないような穴なのだろう。これならば手術はせず、絶食にして2週間様子をみるそうだ。

検査前にいろいろと話を先生に聞いたのだが、再手術する場合、穴が開いている部分を縫合すればいいというものではないそうなのだ。要するにそういう部分はもうくっつかない。だからそこの部分を切除しちゃう、もしくはストマをつけて長期にわたり安静を保つという方法になるそうなのだ。

それで明らかに腸に穴が開いているという症状が注腸の検査でみられなかったため、絶食下の安静にして自然に穴が塞がるのを待つというわけだ。

再手術よりはそりゃーいいけどさ。二週間の絶食を耐え抜いて、食事始めたらまた穴が開いたなんていうことも考えられなくないからね。もうどうせなら再手術とも思うのだが、絶食で様子をみるというのが順当だろうな。
頭ではわかっちゃいるけどイヤだなー。

2003年12月14日 次から次へと

IVHという太い静脈からの点滴ができるように処置が行われる。鎖骨の下や首、足などの箇所から点滴ができるようにカテーテルを留置するわけだが、通常は鎖骨下の胸から行われる。腕などの末梢の血管では細すぎて高カロリーの点滴が出来ないから太い血管が必要になるのだ。
この病院では低栄養状態や絶食が長期にわたらない限り、IVHはやらないようなのだ。私もこんなに長期に食べられない状態がつづくんだったら最初っからIVHにしたんだけどね。
で、処置は局所麻酔をして、ちょっとしたオペみたいな感じ。意識があるだけにものすごく緊張してたくさん汗をかいてしまう。そして、もっとも恐れていたことが起きてしまう。

気胸になってしまったのだ。
どういうことかっつうと肺に穴が開いてしまったのだ。あ〜あ。また落ち込んでしまう。
この鎖骨下の処置というのは気胸の危険性、肺を傷つけてしまうことがあるのだ。なった人の話を聞いて知っていたし、もしかしてと思っていたら現実になってしまった。
IVHの処置が終わってからさ、なんか胸の奥が痛くて変だったんだよね。それで必ずレントゲンは撮るわけだが、しばらくしてから先生がやってきたのだ。
「ごめんねー。ちょっと肺を傷つけちゃったみたいで。肺がしぼんじゃっているんだ。もう一回処置をするので」
そういえば息苦しかったんだよ。深呼吸が出来ないんだよね。どんどん息苦しくなってきて死ぬー・・・って、それはウソだけどね。でもホント、胸の奥が痛くなってくる。で、IVHを入れた下の胸にまた局所麻酔をして管を入れられる。それで肺から漏れている空気をどんどん吸引するわけだ。
この気胸が起きてしまう可能性はしょうがないのだろうけど(もちろんわざとやっているわけじゃないし)、それでも「先生のヘタクソ!、もっとうまくやれよ!!」と心の中で叫んでしまう。
もう次から次へとイヤなことが続くよ。ハァ〜。

2003年12月14日 IVHの効果

気胸のため吸引するチューブを挿入した箇所が痛くてたまらなかったが、夜中には落ち着いてくる。朝の体温は35.6℃。昨晩から設置されたIVHをつかって高カロリーの点滴が始まったわけだが、そのせいか、体調がすこぶる快調に感じる。やっぱり高カロリーの点滴は違うぜい! ピーエヌツイン最高!

さてしかしながら腹からの腸液の漏れは変わらず。まだ穴が開いているようだ。塞がらないんじゃないのかなと、どうしても考えてしまう。2週間様子をみるといっていたが、1週間経っても同じように漏れているようだったら再手術だろう。先生とも話したのだが、もう術後の癒着などが起こっているはずなので、最初の手術よりも大手術になる可能性大だそうだ。
もうなんでもいいよ。
まー死ぬわけじゃないんだし。
遅くともあと一ヶ月後には食事できるだろうしね。
と、頭では分かっていてもね・・・。

今回の入院のことはほとんどの友人には知らせていなかった。見舞いに来ていただくのはいいのだが、わざわざというのが申し訳ないからだ。しかし先日はあまりにも心身ともに疲れてしまい、メールや電話で「入院しちゃってるんだよ」と友人に伝える。すると早速、大学時代の友達が飛んできてくれた。あれこれ話していると気分も晴れてくる。遠い所見舞いにきていただき感謝である。

2003年12月16日 お腹がすいたよ〜

高カロリーの点滴が始まって気力が充実してきた気がする。すると食欲も増進。腹が減って腹が減ってしょうがない。お腹と背中がくっつきそう。いや、そんなことはないな。
しょっちゅうギュルルルル〜とお腹がなってしまう。同室のみんなは食事が始まっているのだが、今は私だけが絶食だ。つらいな〜。
肺の空気を抜くためのチューブが胸に刺さっているわけだが、これが猛烈に痛い。なにもしないでじっとしていれば問題ないのだが、起き上がった状態から寝転ぶと、引き裂かれるような痛みが走る。約10分間、息をするたびに激痛。なんとかしてほしい。だからなるべく起き上がらないようにしたいのだが、トイレには行かなきゃならないし、寝っぱなしというわけにもいかない。困る。まぁ、表面的な痛みで、お腹の痛みに比べればマシだけどね。
肺の穴はだいぶ塞がったようで、吸引してももうほとんど脱気される様子はない。今週にはこのチューブもとれるんじゃないのかな。

2003年12月17日 あなたは何が一番食べたいですか?

病院においてあった漫画で「美味しんぼ」があったので読みふける。看護婦さんに「そんな本読んで大丈夫ですか?」と聞かれてしまう。
腹が減っているときって、料理番組とかそういう関係を観ちゃうよね? 普段は観ない3分間クッキングだとか必死になってみてしまう。そして余計に腹を空かすのである。
それとも一切そのようなものを観ない方がいいのだろうか。美味しそうな料理を観れば観るほど腹は減るのである。逆効果か!?

で、看護婦さんに今何が一番食べたいですかと聞かれる。
さて困った。なんだろう一番食べたいものって。
いろいろ考えたが素直に口から出てきた答えは「パン」。
「パン? パンが食べたいなんてそんな人初めてです!」
そりゃカツ丼だとかラーメンだとかカレーライスだとかも食べたいけどさ。食べられるようになったとしてもあんまり食べちゃいけないものだし。入院前に食べていた、自家製の食パンにいろいろな具をはさんでケチャップやソースをつけたものが今一番食べたいかな〜。

お腹のドレンからの漏れは少なくなったような気もする。はたして出てくる液が腸液(うんこ)なのか腹腔内の膿なのか区別がつかない。穴が塞がってきていればいいのだが。

2003年12月18日 期待は禁物

明らかに腹のドレンからの排液は少なくなっている。どうやら腸の穴は塞がったらしい。一時的にせよ喜ばしいことだ。このまま開くことがなければいいのだが。
しかし裏切られ続けてきたこの入院生活。決して期待してはいけない。期待してしまうと裏切られたときのショックがつらい。どうせ食事始めたらまた穴が開いて結局再手術だろう、と考えておこう。
といいつつもちょっと期待しちゃったりして。

肺の吸引チューブの方は相変わらず痛い。体位を変えると痛むことがあるのだが、横向きに寝そべったときにどうにも痛みが治まらないので、えいやっと、一気に起き上がったら目の玉が飛び出るほどの痛みに襲われる。こう頭のてっぺんまで衝撃が走って、鼻がツーンとしちゃう感じ。わっかるかな〜。もう涙がちょちょぎれちゃう。
そんなこんなで午前中は胸の痛みと格闘してお腹がすいたなんてことはすっかり忘れる。結局、ジワンジワンと痛みが止まないので痛み止めの点滴をしてもらう。

隣に入院中のSさんが外出してきて、お土産にポインセチアを頂く。真っ赤な花(赤いのは花じゃなくて葉っぱなんだったけ?)がとてもきれいだ。
もうじきクリスマス。そして大晦日、お正月。
毎年なにするってこともないんだけど、やっぱり病院で過ごすというのはつまらないのう。

2003年12月19日 飲み物OKになる

500mlくらいだったらいいでしょうということで、さっそくポカリスエットなどを飲む。腹の足しにはならないけれどちょっとは気がまぎれる。またガムや飴もいいというので売店で買ってくる。飴をなめ始めるといつまでもきりがなく、一日中なめていそうなので時間を決めてなめることにしようとしたが、やっぱりきりがなくなめてしまう。
飲み物と飴のせいか、激しくお腹がゴロゴロいう。ガスも大量に発生してお腹が張る。ちょっと刺激が強すぎたかなと思ったが、腹のドレンからの漏れはなさそう。これは本格的に塞がったかなと大きな期待を持ってしまう。

肺のレントゲン撮影。いったん吸引をやめていたのだが、再び吸引することに。気胸ってそんなに簡単に治らないのね。

2003年12月20日 「モーリーの心頭滅却断食修行日記」

知り合いからメールをもらう。
「いっぱい食べ物想像したり、写真見たりして、しのぐタイプ?」
「極力、食べ物を忘れるように、見ないようにするタイプ?」
前にも書いたが普段はみないような料理番組も全部チェックしてみてしまうのである。で、試しに一切そういうものを見ないでみた。するとたしかに「食べたいよ〜」という気持ちから離れられるような気がする。
「見ないようにするタイプ」というのもいいかもしれない。でも全く食欲を忘れてしまうということは出来ないわけで、ついつい想像してしまう。むずかしいね。

ついでに日記のタイトル案もいただく。
「モーリーの満腹妄想日記」
「モーリーの怒りの絶食日記」
「モーリーの心頭滅却断食修行日記」
タイトル変更しようかしら(笑)。

腸管の穴は本当に塞がったみたいだ。あれだけガスがたまってお腹がギュルギュルいおうが漏れはない。う〜ん、すばらしい。これはもしかしてもしかするかも。年内には5分粥くらいまで食べたいなぁ。
いやいや、裏切られると悲しいので全面的には信用しないぞ。

今日は通院患者のための外来診療日。仲間さんと田中さんが外来のついでに見舞いにきてくれる。

2003年12月21日 禁欲生活の成果

腹が減った。そればっかりだけどそれしかないんだよ。どうしても食事のことばっかり考え、あれこれと頭の中で想像を巡らせてしまう。旅番組で出てくる地方の食材や料理番組で出てくる美味しそうな数々のレシピ。見ていると腹が減るのだがどうしようも何も出来ない。

しかしである。食べられるようになったらアレンジして作ってやろうと考えるようになる。
昔は退院したら、あれ食べよ、これ食べよと思うだけであったが、今や自分でレシピを創造するまでに至った。進歩である。
で、料理番組で出てくるレシピをアレンジするだけでなく、さらにその食材を使って「こ〜んな料理も作れるんじゃないの? うん、これはめちゃめちゃ美味しそうだ! 大発見じゃないの!?」とひとりほくそ笑んでいるのである。
いや実際、創造した料理はすごいと思う。まさに禁欲生活の成果だろう。今は絶食で食べられないから、もうどんどん思いついちゃう。

それでどんな料理かっていうのはまだ書かない。だって自分がまだ食べられないのに、この日記を読まれている人に先を越されるのはツマラナイ。
私は了見の狭い男なのだ。

2003年12月22日 あと一週間

体調は順調。というかドレンからの漏れもなくなんにも変化なし。
一日でも早く食事を開始したいと、気が焦る。二週間は絶食にしようと言われていたので、いつ頃になるだろうかと確認してみる。日記を読み返してみると先々週の木曜日に5分粥をたべて穴が開いたのだ。ということは今週の木曜日もしくは金曜日から食事を開始できるのではないか? となれば大晦日には5分粥、正月には全粥が食べれるんでないの!

今日は日曜だというのに主治医が運良く来ている。
「先生、今週の木曜日で絶食2週間になるんですよ!」
「じゃー、金曜日に注腸の検査して診てみようか」
えーそれじゃー、早くても食事開始できるの土曜日からじゃん。明日、検査しましょうよと訴えるが、焦ってもよくないよとあっさり却下される。
確かに焦りは禁物だ。でも一日でも早くと切望してしまうのが人の性。あと一週間か。長いのー。

って、もうすっかり食べられて治っちゃう気になっている。いかんいかん、期待すると裏切られたときがショックなのだ。食事を開始したら再び穴が開いて再手術かもしれない、と戒めておこう。
でもさー、たぶん正月って病院食も豪華なやつが出そうじゃない? なんとかそのときには全粥くらいになって豪華食を食べたい。流動食の正月バージョンなんてきっとないよね(笑)。

体重を測ると45kg。点滴やってもそう簡単に増えない。

2003年12月23日 またトラブルが起きたぜ

注腸の検査を金曜日から繰り上げて水曜日にやろうということになる。やったー。食事開始が少し早まるかもしれない。期待せずにはいられない。
でもそうはいっても最初は流動食から。なんども言うがあんなの食事じゃない。汁しかないんだもん。でもそれがスタートしないと上には進めないからなぁ。

さてさて文句ばっかり言ってくさっていてもしょうがない。やらなきゃいけないことは沢山あるし、そのための準備もして入院したのだ。入院が延びたことを幸いと考えて、この時間を有意義に使おうと思う。うん、むしろ予定通り退院していたらなんにも出来なかったじゃないか。
前向きに考えられるようになったなんて立派だ。

・英語の勉強(英会話の本とテレビ英会話のテキスト)
・市民公開講座の記録集を作る
・DTPの仕事
・スクワット

以上のノルマを課そう。
で、スクワットは以前50回やったら筋肉痛で動けなくなったので10回にしておく。徐々に回数を増やしていこう。

ところで今日は採血と肺のレントゲンの検査をする。
肺の穴は順調に塞がったようで、吸引を完全にストップする。しばらくしてもう一度レントゲンを撮り、問題なければ胸のチューブを抜いて完全に終了、完治だ。
さて採血の結果、肝臓の数値がまずいことになっているそうだ。おそらく抗生剤の点滴のせいだろうということで点滴中止で様子をみることになる。
まったくトラブルが後を絶たない。まぁ、この肝機能の数値の異常は点滴やめればすぐによくなるだろうと楽観しているのだが・・・。
長時間起き上がっているとどうにも気分が悪くなるのはこのせいなのか。まだまだ不安材料はたくさんあるよなー。

2003年12月24日 麻雀でもやりたいねー

体調は特別に変化なし。長時間起き上がっているとやはり気持ち悪くなるようだ。
今日は祭日だが、せっかく課したノルマを二日目で休むのは寂しいのでがんばる。
スクワット15回。20回やろうと思ったが、苦しくなったので無理しない。
続いて英語の勉強。手術前にがんばっていたのだが、なんとなく続かなくなっていた。NHKのテレビ英会話のテキストを一生懸命に読む。
そして市民公開講座の記録集の作成。実は今年の3月に行われたものなのだが、記録集を作ると言ってまだ完成していない。作成するために各企業から協賛も頂いているのでうやむやにしてしまうわけにもいかない。今までなんだかんだと先延ばししていたのだが、いいかげんやらなくては。年内には無理だとしても年度内には完成しよう。患者会主催の市民公開講座で、テープおこしはみんなで分担して終わっているのだ。後はこれをまとめて・・・、が難しいんだな。しゃべり言葉そのままじゃしょうがないしね。難しくて理解できない話も出て来てこまったこまった。
午後に荒井君、本久君、増子君と高校時代からの友人が見舞いに来てくれる。スキーやゴルフ、麻雀など昔からの遊び仲間だ。会うのは久しぶりでバカっ話に花が咲く。ホントに久しぶりに心の底から笑っていいストレス解消になる。遠い所をわざわざ来ていただきありがたいことだ。退院して早く打ちたいぜ。
見舞いに「金田一少年の事件簿」の漫画を頂く。
夜、映画「突入せよ!あさま山荘事件」を見て寝る。


2003年12月25日 とりあえず食事開始

注腸の検査。もちろん穴が開いているような所見はみあたらない。しかし穴が開いていたと思われる小腸と大腸のつなぎ目の部分が狭くなっているそうだ。食事開始して圧がかかったときにはたしてどうなるか。いやいや、どんどん狭くなっていったら腸閉塞になってしまう。う〜ん、食事が開始になったのだが素直に喜べない。ブルーである。
その他の検査の結果、肝機能はよくなっていて肺も問題ないそうだ。とりあえずホッとする。

まぁなんにしてもいよいよ食事開始である。夕飯に間に合わせるためには午後2時半までに指示を出さなくてはいけないそうだ。午前中に検査だったのだが、検査中に「食事開始しても大丈夫ですよね?」と先生に確認。「2時半までにちゃんと食事開始の指示を出してくださいね」と念を押す。そんなこというヤツ他にいないのか、看護婦に笑われてしまう。いや、早く食べたいっていう気持ちは誰でも強いと思うけどね?

先に退院していたSさんが外来ついでに見舞いに来てくれる。水分の吸収がうまくいかず在宅IVHでの退院だったが、入院中に比べて自宅に帰ってからすこぶる体調が良好だそうだ。やっぱり病院より自宅の方がいいよねー。

今日はクリスマスイブ。なんと医師や看護婦がサンタクロースやトナカイの扮装をして病室にクリスマスカードを配りに来た。小児病棟でもないのにねー。サービス精神旺盛だよ。

夕 流動、里芋含め煮、だしスープ、オレンジジュース

スクワット20回やる。

2003年12月4日 バレる

本に出ているモーリーさんですか? と、いきなり聞かれる。2、3日前に別の部屋から移って来た同病の人らしい。「そ、そ、そうです」と、思わずどもってしまった。いつも楽しみに見ていますと言われ、なんかちょっと有名人になった気分。で、この方は今日が退院。同世代くらいの感じでせっかく話し相手が出来たと思ったのに残念である。
しかしどうして私のことが分かったのだろうか。プレートには「モーリー」なんて書いていないし、ましてや博士の扮装なんかしていない。顔で分かったのだろうか。聞けばよかった。

午後、友人が見舞いに来てくれる。退院したら魚を釣りに行こうと話す。でももう今の季節って寒いんだよね? 病院にずっといる私は季節感が全くない。なんてったって短パンで過ごしているくらいだもんね。夜には昔の職場の上司が見舞いに。明日は仕事納めと聞いて驚く。もう本当に年末なんだねー。すっかり世離れ。

朝 流動、だしスープ、オレンジジュース
昼 流動、くず湯、野菜スープ、オレンジジュース
夕 流動、甘藷正油煮、だしスープ

わかっちゃいたけど、あまりにも物足りないレシピ。
スクワット25回やったけど、すでに太ももが筋肉痛になる。

2003年12月27日 気持ちいいこと

こんなに気持ちがいいのは近年稀に見ないヒットである。別に怪しいことではない。かゆい所をかいただけである。
気胸のために空気を抜く管が脇の下の胸のあたりに入っているわけだが、固定するためにテープがべたべたと貼ってある。それから消毒のためのイソジンが塗りたくられている。で、このイソジンってかゆくなるらしく、さらに軽いテープかぶれを起こしているらしく、もうかゆくてしょうがないのである。しかし管が入っているような所だから、なんだか怖くて全くかけない。テープの周りをかきかきするだけである。がまんがまん。
で、看護婦さんがそこを消毒をするために、貼ってあったテープをはがす。ピリピリピリ。その刺激が気持ちいい。看護婦さんにかゆくてしょうがないんですよというと、一回イソジンを拭き取りましょうと濡れタオルでゴシゴシ拭いてくれる。それがあーた、もう気持ちいいのなんのって!!思わず「そこそこそこ」と声を出してしまう。もうウヒーってな感じ。恍惚状態。
予想するに、場所、かぶれ具合、かき方の3条件が揃ってこそ得られる快感なのであろう。手でかいたのではちょうど良い刺激が得られず、あそこまでの快感は得られなかったであろう。濡れタオルがグーである。
で、肺に開いた穴は塞がり、いよいよ気胸の管は抜かれることになる。邪魔っけなものが取れてうれしいが、あの快感はもう得られないのか。IVHのところもそこそこかゆいので、もしかしたらと期待。あとは自分でテープを貼って、テープかぶれ起こそうかしら。そこまでやるとマゾ?

朝 流動、だしスープ、アップルジュース
昼 3分粥、くず湯、ハイハイン、アップルジュース
夕 3分粥、とくさ煮、だしスープ、洋梨缶、アップルジュース

3分粥が始まる。ちょっと固形物が出て来てうれしい。夕方から急に下痢便が出なくなり、ガスばかりが出るようになる。あまりにもピタッと止まったのでちょっと不安。ガスは出ているから腸閉塞ではないと思うのだが。

夜、昨日に引き続き、また昔の職場の人たちが見舞いに来てくれる。退院したら、ちょ〜美味しいものを食べに連れて行ってくださいねと甘える。なんでもいいよと言われ、何にしようか悩む。結局うどん屋さんだったりして。

2003年12月28日 シャンプー

風呂に入れない場合、タオルで身体を拭いたりするわけだが、動くのが困難なときには看護婦さんがやってくれたりする。ついでに頭も洗ったりしてくれる。
人にシャンプーをしてもらうのはとても気持ちがいい。私はカットのみ1000円でシャンプーはなく掃除機のようなもので頭を吸われる床屋に行っていたので、久しぶりに「シャンプーしてもらう」という喜びを享受することができた。
で、看護婦さんによってシャンプーのやり方は様々。美容院のように上向きにさせられたり、洗うときにプラスチックの手に持って使うギザギザのやつを使う人、うまい人もいれば、下手な人もいる。
毎日担当の看護婦さんが変わるわけだが、うまい人のときに「今日、頭洗って〜?」とお願いする。入院中の密かな楽しみである。いろいろな人にシャンプーしてもらったが、おすすめはMさんとSさん。洗い方がうまくて気持ちいいぞ。指名料を払ってもいいくらい。

点滴のカロリーが減る。「ピーエヌツイン」という高カロリーのものから「ソリタックス」というものに。半分くらいのカロリーになっちゃった。まだまだ体重は少ないんだからカロリー高いヤツをバンバン入れてくださいよとお願いするが、食事が始まると保険の関係でダメなんだって。へぇー、である。

朝 3分粥、マカロニ煮、だしスープ、オレンジジュース
昼 3分粥、くず湯、ポーロ、オレンジジュース
夕 3分粥、南瓜ウスクズ煮、だしスープ、りんご缶、ヨーグルトドリンク

明らかに便性が変わった。泥状である。今のところ通過障害もなく順調順調。
腹のドレンも抜いてしまう。もうちょっと様子見てからでもいいんでないの?と思ったが、もうここまで肉が盛り上がってくれば大丈夫とのこと。
「じゃー、もう穴が開く心配はないの?」と聞くと、そんなことはないけどという。なんだかよくわからない。

2003年12月29日 恐怖の5分粥

朝 3分粥、スパゲッティ柔らか煮、だしスープ、アップルジュース
昼 5分粥、皮むきキンメ煮魚、トマトマッシュ、ハイハイン、ヨーグルト
夕 5分粥、豆腐煮、ポテト柔らか煮、洋梨缶、アップルジュース

昼から5分粥になる。待ちに待った5分粥。魚の煮物など食べごたえのあるおかずが出てくるのだ。「キンメの煮付けがおいしいよ〜」などと感動しながらすべて完食。しかし皮の近くのぬるぬるした柔らかいゼラチン質のところがいけなかった。なんか特有の魚臭さがあって、とたんに気持ち悪くなってしまう。
夕方、障難協の人たちが見舞いに来てくれて、そのときは大丈夫あったのだが、夕食前からどうにもだめ。せっかくの夕飯がほとんど食べられず。そのうちお腹と背中が痛くなってくる。

ふと気がつくと、お腹のドレンを抜いた後のガーゼがやけに黄色く染みている。
「ま、まさか!!!」
ものすご〜く、ビビる。
すぐに看護婦さんを読んで確認してみると、どうやら膿みが出て来ただけのようだ。いままでより膿みが多いようなのだが、便でないのは確かだ。なんか気になるが穴が開いて便が出て来たのではないだけ許すとしよう。

だけど腹の痛みはどうにも我慢できずにブスコパン(鎮痙剤)を8時半に飲むがあまりよくならず。夜の11時、当直の医師に来てもらい診察。この先生、まだ若いお姉ちゃん先生で一生懸命お腹の触診をする。結局よく分からないみたいで、レントゲンを撮ってみることに。

夜の11時半。救急病棟にあるレントゲン室へトボトボと向かう。一階の玄関を通っていくわけだが寒いのなんの。病室にずっといる私は、なんてったって短パンに薄手のパジャマなんだから。で、撮影の結果、腸閉塞だとか便やガスが溜まりすぎているような異常は認められないとのこと。なんかレントゲン室に歩いているうちに痛みもよくなって来ちゃったし。

で、結局これ以上の処置はなし。ただ眠りにくいでしょうと睡眠薬を出してもらった。「リスミー」というものだがこれがよく聞いて、朝の10時すぎまでぐっすり。夜、一度トイレに起きたのだがなんかフラフラしていた、という記憶もうろ覚え。睡眠薬ってホントに効果あるんだね。

というわけでいつもこの日記って、翌日の朝の6時から7時くらいに書いてネットにアップしているんだけど、今日は寝坊して遅いのじゃー。

2003年12月30日 さあー、やっちゃいました

パソコンの調子が悪くて再インストールしたとか、食事がどうとか書こうと思っていたが、そんなことはどうでもいい。
また腹の穴からうんこが出てきた。
夕食も終わった夜のことである。とりあえず主治医に電話で連絡をとってもらうと、絶飲食の指示。
なにかい?結局再手術なのかい?もうどうだっていいよー。
すっかり自暴自棄。夜勤でいる看護婦さん3人も、かける言葉がないようだ。「せっかくここまでがんばってきたのにね」
まったく本当だよ。
もう最悪だよ。って最悪って言えるってうちは最悪じゃないっていうけどね。
でも最悪だ〜!と叫びたい。
そんな年の瀬。
かなすぃ〜。

2003年12月31日 天然ストーマ

悪いところを切除するか、人工肛門(ストーマ)をつけるそうだ。ストーマをつけるのは悪いところに便が流れないようにして治癒を図るというものだそうだが、面倒なので切ってくださいと希望する。
いつ手術してくれるのか?一月の何日?としつこく聞くが、まだはっきりわからないと言う。そりゃそうだろうけれど、気持ちとしては早くはっきりしたい。でもちょうど年末年始の休みがはいっちゃって運が悪いよね。
調子が悪いせいか、一日中寝て過ごす。夜もちゃんと眠れたのだが、腹のドレンからしょっちゅうんこが出てくる。その度に看護婦さんをよんでガーゼを交換。うんこがべっちょりついている。時には「ブッ」といっておならが出てくる。もう天然のストーマ状態ですな。
しかし感染をしているのか38.7℃まで熱があがりうなされる。

2003年12月31日 今年を振り返るなんて余裕ないよねー

腹から出まくりだったうんこもどうやら収まりつつある。絶食にしてもう出るものもなくなってきたんだろう。夜にはうんこ(ちゃんとした肛門から)も出てほっとする。もしかして完全な腸閉塞かと思っていたから。
先生に「いつ手術?」としつこく聞く。多分来週の木曜日あたりだろうとのこと。もうあと一週間かと思うと早い気もする。
大晦日である。終わりよければすべて良しというが、もう仕事も勉強もする気がせず、親に甘えてゲームボーイを買ってきてもらう。手術の痛みのことを考えると憂鬱で仕方ない。一回目より痛いのかな〜? 不安不安。
窓際のベッドが空いたので、「窓際に移動させて〜」と目いっぱいかわいらしく看護婦さんにアピール。以前は断られたのだが、入院が長引いてかわいそうに思ったのかあっさりOK。場所が変わりちょっと気分がいい。
熱があったせいか全く食欲が失せていたが、夕方より食欲が出てくる。元気になってきた証拠かもしれないが、これはこれでつらい。
年越しそばを食べられないのが残念である。
よいお年を。

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