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Reflection Journal 2019年7月19日 昼

昨日の加藤さんとのセッションは衝撃的だった。スリリングだった。楽しいセッションだった。
真の自分を少し構見た感じである。明日以降、じっくり表現していくが、今自分の中にあるものを素直に表現していきたい。


1.悶々の理由
いまやっていることが、自分の中で芯を捉えていないサインだった。熊野に行き、そこから現実世界に戻ったときに大きく振れた(揺れた)。加藤さんには、そこをキャッチしてもらい、深く掘り下げたことにより、自分の中の宝物に巡り合えた感覚がある(いつもそんな大げさなことを言っているが、今回もお許しいただきたいです)。


2.今後真にやりたいこと(背景)
組織の変容が自分のミッションかと思っていたら、興味の度合いは違ったようだ。
成人発達理論を世に広めることがミッションかと思っていたが、方向性は違ったようだ。
(ここは丁寧に表現したいが、成人発達理論で学んだことを活かしながら、少し違った表現で自分のやりたい世界を表現していく感じである)

少し解説を加えると、成人発達理論を「学ぶ」ことに興味を失っていた。もしかすると、全てにおいて「学ぶ」ことを卒業するサインが訪れた感じである。

加藤さんのセッションをしながら、見つけたやりたいことは、

「自分の特殊能力に気づき、それを活用するお手伝い」である。

以前から特殊能力に興味があって、特殊能力の集いみたいなことをやりかけたが、これが真にやりたいことだと認識できた。

まだまだ、表現がダイヤモンドの原石という感じがあるので、表現ややりたいことは少しかわるかもしれない。


3.特殊能力とは
昨日のセッションでは、「もりおさんの特殊能力は何だと思いますか?」という加藤さんの問いかけに足して、「現実を創る」「道を創る」「場を創る」という表現をした。加藤さんから珍しく指摘があり、「もりおさんの特殊能力は『創る』ではないでしょうか?」と言われた。

この瞬間、あ!なるほどという感じが走る。そういえば、昔からブロックで何かを創ったり、社会人になって生きるためのルールを創ったり、今も資料やテキストを創るのは好きだ。文字にするのも好きだ。このリフレクション・ジャーナルも苦にならない。「創ることが好きだ」がようやく腑に落ちた。

しかし、昨日の加藤さんのセッションと、今朝歩きながら、自分の特殊能力は何かを考えたときに、ふと解釈の違いに気づいた。

特殊能力というと、少々古いアニメになるが、「009」や「バビル2世」を彷彿させる。子供のころ、真剣に見ていた自分の中に「超能力」に対するあこがれがあったのだろう。

特殊能力は何かというと、今朝までは、
・植物や動物と会話ができる
・夜でも見える・においでその人の体調が分かる
・人の心が読める・人の使命が分かる
などなど超能力・エスパー的なことを想定していた。

しかし、それは少し超能力・エスパー的な寄り過ぎており、「強み」「すぐにできること」「楽しんできること」も特殊能力に近いと感じた。

僕は、とにかく創ることが好きだ。成人発達理論の観点からすると、相当インプットは少ないと思いますが、研修やワークショップの設計、概念の整理はできる。これが特殊能力だと気づいた。

その特殊能力をついつい仕事で使っているので特殊能力感がないが、よく考えると「自分では認識できないでスルスルできる感じ」「皆も同じような能力を持っていると勘違いしている」そんなものが特殊能力ではないかと思った。


4.もう一つの特殊能力
昨日は、お客様訪問後に、生涯の親友であるEさんと対話をした。2時間ぐらい。
豊かな時間であった。

「もりおさんの特殊能力は、人の特殊能力を活かすことだよ」と言われた。これも、自分では認識してなかった自分への発見であった。
「もりおさんが、私の特殊能力を知って、一番上手に活かしてくれていると思うよ!」「話を聞くと、会社でもやっているじゃん」とも言われた。これは嬉しかった。
これだけ、自分のことを理解してくれる存在、新しい次元に引き上げてくれる存在は本当にうれしい。

厳密に言うと、特殊能力を見つけることには興味がないというか、能力はない。人の5倍ぐらいの能力はあるが、100倍はないと感じている。そこは自分の能力ドメインではない。その活用方法を考えることが好きなのだと思う。

だんだん、自分のやりたいこと・特殊能力が磨かれてきた。

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