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『集団恐怖に呑み込まれる 2020年4月1日 朝』

今朝起きて、軽くニュースを見たときに、直感としてそろそろロックダウンした方が良いなと思った。午前中に少し準備を進めよう。


1.集団恐怖に呑み込まれる
一昨日がひどかったが、恐怖に呑み込まれた。
浮足立ち、いてもたってもいられない気持ちになり、妻からも「大丈夫?」と聞かれた。
これはいけないと思い、S氏のセミナーが開催されなかったサポート動画を何度も見る。

恐怖を深く分析すると、そこには何に恐怖を感じているのか原因がないことに気づく。あえて表現すると「自由さを失われる恐怖」程度である。これも妄想(欲)に近い。

その状態だと、フォーカスもままならなくなり(S氏は泥沼の中でフォーカス)、すっかり恐怖に呑み込まれ、鳩尾に支配され、霊体に包まれる感じがある。

あと、独りぼっちになる寂しさも見つけられた。ついつい誰かに関わって欲しいと、関係を求める自分がいる。孤独が怖くなったように思えたが、まだまだ寂しい自分がいた。
寂しいから、色々アクションをする。これが余計なこと、不自然なことであり、無駄なことである。「あー無駄なこと沢山してきた」という感じである。

この「恐怖」「寂しさ」を徹底的に味わうと決めたら、いま涙腺が緩んだ。一旦は、分析なしでそのまま。

本当に自分を見つめる良い機会である。
そして、サポート動画は本当に助かる。なぜかちょうど自分の環境にマッチした内容になっていたり、その場で肚にフォーカスできたり、鳩尾が軽くなり、柔らかい感じに包まれる。


2.S氏のセミナーの動画
恐怖が渦巻くので、鳩尾にある「記憶」「未完了」「欲」を、あーこんなのがあったんだと「認めきる」ことが大切である。

完全にシフトをしていくプロセスで、必要な経験をするために、今回現実化していることも、そのプロセスと捉えて、淡々と過ごすことが大切である。

現実は決まっている感覚、自分である感覚、相手に任せない感覚が必要であり、起こることにノージャッジであり、気づいて終わりである。

フィーリングを感じて動くと、フィーリング=行動が自然に一致する。この一致感が大切である。

これからは、もう一段環境は厳しくなりそうであるが、淡々とそして揺れたときはそれを見つけ、楽しみ、一歩一歩前に進もうと思っている。

そして、魂の共鳴に感謝!

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