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黒木渚ワンマンライブ2022東京公演を見


る前に、川崎市にある岡本太郎美術館に行ってきました
と言う日記なのでライブのネタバレはほぼ書いてないつもりです

とは言えライブ会場の写真は貼る

岡本太郎、黒木渚が敬愛する芸術家、彼女が年パスを持って本屋感覚で通う(作品の写真も撮れる)美術館

感染症の脅威に足を運ぶことを遮られていたけど、Instagramでの弾き語り映像を見て次のライブまでには必ず行くと決めた


黒木渚の見る景色、黒木渚の感覚、それを一致させることは無理
でも彼女の源のひとつを味わい、近づけたらと


森を抜け、美術館の入り口を過ぎて、まず向かったのが“ 母の塔”がある原っぱ

Instagramで黒木渚が我々に向けて曲「大本命」を歌ってくれた原っぱ

そこにある石に腰掛けて、ギターを構えていた黒木渚が見た景色を重ねる

こういう視線で音楽を聞かせてくれてたんですね


ステージ上からの景色は見られない、けどInstagramでファンのために投げかけてくれた景色が一致させることができると思って


その後、美術館に入り岡本太郎の生い立ちや、作品•考えに触れた

難しいことはあまり書けないけれど
“芸術は演繹的なもので、自分発信。民俗学に没頭し、物•他から見直して世界を作り直す、演繹と帰納がぶつかったところに真の芸術がある“と映像等で述べられていた

2022.7.8の東京国際フォーラムCでの“光“に関するMCはこの考えに近いものがあるのかなと感じた

もちろん詳細は書かない
きっと福岡公演でも同じ趣旨のMCがあるだろうし、いつか映像化したもので更に噛み締められたら嬉しい

強く暖かいMCに今夜も心震わされた、黒木渚の言葉は強すぎる

アーティストのアクトとファンのレスポンスにしろ、MCに心突き動かされることにしろ、衝突なのだとつくづく思う

ダンスを自分なりに楽しむのもアーティストにぶつけてるのだし、まだ声は出せない状況でもこちらが投げかけるものは充分にある

そもそも1つだったんだから、ぶつける選択肢は尽きない

濁流みたいな毎日を、くそったれな日常も、他人との関わりが億劫だからこそ他人との関わりで「私」を見つめ直す選択肢をひとつでも多く持てたら、もっと強くなれると思う

あの日、原っぱの石の上で黒木渚の視線に重ねようとして
日頃の観客•ファン側からではない、アーティスト側から世界の一端を見直して「私」を見つめなおせた

「私」にとっての光である、黒木渚の光はなんだろうかと考える。
考えたり、ぶつけたりこれからももっともっとしてみよう

コールアンドレスポンス、楽曲•小説•セトリ•演出をそれぞれがそれぞれに詰め込み合う、詰め込み膨らませてやる、破裂させる勢いで

その衝突が理想像を目指し続けて、演者と客が作り上げていく空間芸術としての“黒木渚“を磨いていくのかな、だと良いな

缶に、箱に、殻に、枠に入ったとしても、内同士や、外に対してぶつかり膨らませていけば限界線はいくらでも越えて駆け抜けていける、ひとまず武道館かもしれないし、100年後なのかもしれないけど

2022.7.10の福岡2公演
もちろん岡本太郎の話なんて知らなくても楽しめるのだから、まずはワプミダンスをより完璧して黒木渚にぶつけなくては。

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