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2020年イラン旅 目的のシャー・チェラーグ廟には入れなかったけれど

他の人たちはnote書くとき、どんな画面で書いているんだろう?私は、最初の2つくらいはスマホの画面で書いたけど、一度PCの大きな画面で書いたら、スマホで書けなくなった。長距離バスの移動時間とかが活用できないのは痛いけど、「一度にまとまった量の文章が見える」ことは私のちいさめワーキングメモリーにとって大きな助けになってるみたい。あれからまた旅に出ていたので筆が止まっていました。

そうそう、イランの話だった!

結局、旅の目的であるシャー・チェラーグ廟には入れなかったのです。もともと、入れるかは神の思し召しらしいのだけど、「この季節はツーリストの入場はご遠慮いただいています。」的な説明だった。違う季節なら入れたのか?とりあえず、①一人で②ガイドさんと正面から③地元の親子と別の入り口から、トライしてみたが「エクスキューズミー」とお断りされた。

あきらめが悪くてごめんなさい。お墓のルールを冒涜するつもりはなく、会った人にイランに来た理由を話したら、「え?入れるっしょ?ついてきて」って導いてくれたんやもん。期待しちゃうじゃん。

シャー・チェラーグ廟は入れなかったけど、シーラーズにはまばゆい緑の輝く建物はほかにもあったのです。

ひとつは、シー・チェラーグ廟のすぐ近くにあるイマムザデ・シーイド・アラジン・ホセインというところ。

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もうひとつは、緑ではないけど、十分にキラキラで、案内係のバッハロミおじさんがどんな質問にも答えてくれて、お茶とクッキーまでいただけるミラクルなミラー・モスク(アリ・イビネ・ハムゼ Ali Ibn Hamza Mausoleum)。

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このふたつに行けたので、私のシャー・チェラーグ廟に行きたいおばけは成仏した。

バッハロミおじさんが教えてくれたことをここで紹介するけれど、あくまで私がそう受け取った・そう聞いたと捉えていただきたい。

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Q なんで鏡で埋め尽くされているの?

A 理由は二つある。ひとつは、鏡は私たちに真実を教えてくれる。そこに映るものによって。もうひとつは、明るさを得るため。昔は夜の礼拝で蝋燭を使っていた。絨毯とか可燃性のものがある中で何本も蝋燭を灯してたら危ないでしょ。鏡で1本を反射させて明かりを得ていたんだ。

へ~ほんとかいな!?1本で沢山の人が集まる中、コーランの細かい字が読めるのかな?そんなに反射する? ぜひ昔に戻ってみてみたい気がした。

Q これは何?お菓子に見えてしょうがないんだけど。

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A これは食べられません。モッホル(mohr)といって、特別な土から作った焼き物なんだ。シーア派のムスリムが祈るときに使うよ。「祈るときにはおでこが大地につかなくてはならない」って決まりがあって、ハンドクラフトの敷物ならすべての材料は自然(なので大地の延長)だからそこで祈ればいいんだけど、最近は機械製の敷物(化学染料で染めている)が敷いてあるモスクがほとんど。人工物だから、このモッホルをおでこの下に敷いて祈るんだ。

なるほど!モバイル大地とはすごい。

Q あとあれもみんな持ってるね。どうやって使うの?

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A あれは、キャペレッツとかレイゾリー(Rasory)というよ。お祈りするときに、何回唱えたかカウントするためのものなんだ。33つの珠ごとに小さい珠で区切られているでしょう。まず34回「アラッホ・アクバル=God is grate」、33回「アルハンド・リ・ラ=Thanks only for the god」、33回「ソップ・ホーナンラ=God is purity」と唱えながら、珠を繰っていくんだ。

ええ~!?すご!考えた人天才か?私も筋トレしてたとき、「あれ、いま何回目だっけ?分かんなくなっちゃった。」ってなっていつまでも終わらなくて困ったことがあったよ。その発想があればまだ筋トレも続いてたかもしれない・・・。

仏教の数珠とか、ロザリオも似てるよね。なんか起源はインドで同じらしい。数えるために使ってる人は見たことないけど・・・。(このブログがまとまっている)


シャー・チェラーグ廟には入れなったけれど、思いがけない発見があり、昔の人の知恵に感嘆したのでした。キラキラに浸れて満足。クッキーでお腹も満足。

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